第5話 図書館

 金曜日の夜には黎人から、放課後に図書委員会の会合に参加した東花凛さんとの答え合わせについて知らされた。


 当事者の図書委員に東さんが確認したところ、貸し出しカードに記入のあった夜生井好の正体はやはり、定時制の生徒の生井好さんだった。定時制の生徒で図書館を利用しているが実質生井さん一人だけ。司書の先生や特定の曜日の図書委員とはすっかり顔馴染みとなり、最初は事細かに所属を記入していたものが簡略化されていき、現在は夜間部を示す夜の一文字で表現されている。実際は夜と名前の間は少し空いていたようだけど、所属は例えば1年C組のように、数字や英語の組み合わせだという先入観を持っていた東さんは、夜も含めて名前であると誤認してしまったようだ。何も偉そうなことを言えた立場ではないけど、一年生でまだ図書委員としての歴の浅い東がそう思ってしまうのは仕方がないことかもしれない。


 生井さんが毎回、酒武道の「ライラックの歌」を借りていく理由の一端についても、当事者の図書委員から証言が得られた。結論から言うと私と黎人の読みは当たっていて、生井さんと酒武道――坂健道さんは、中学生時代の同級生だったそうだ。生井さんは家庭の事情で高校には進学しなかったそうだが、数十年越しに定時制という形で陽炎橋高校に入学し、図書室で偶然見つけた、今は亡き同級生の残した小説に懐かしさを覚え、頻繁に本を借りるようになったという。


 名前の謎が解け、頻繁に「ライラックの歌」を借りる理由も、著書本人の知人であったということなら十分に納得がいく。黎人の伝えた推理と、図書委員から聞かされた真実がほぼ一致していたことに驚きながらも、東さんはその結果に満足してくれたそうだ。東さんが知りたがった範囲の答え合わせが出来たことで、この依頼(というと大袈裟だけど)は無事に達成されたといってもよいだろう。ここから先の調査は私と黎人の、極めて個人的な延長戦だ。


「ごめん。ちょっと遅れちゃったかな?」


 土曜日の午後二時四十五分。比古さん食堂でのランチタイムの勤務を終えた私は、黎人との待ち合わせ場所である陽炎橋市立図書館を訪れていた。週末は大学生の阿刀あとう麻希まきちゃんや中条なかじょう萌衣もえさんが積極的にシフトに入ってくれるので、ランチタイムの後はお休みを貰える日も多い。


「僕も今着いたところだよ。ごめんね仕事終わりに」

「気にしないで。今日は私も色々と調べる予定だったし」


 黎人は私に貴重な休みを使わせて申し訳ないのかもしれないけど、仮に黎人から誘われなくても、私は自主的に調査に時間を使っていたと思う。唯一、一人の時と二人の時とで明確な違いがあるとすれば、今の私はファッションに気を遣っていることだろうか。以前、風花と一緒に駅ビルで購入した、白いフリルブラウスとデニムのショートパンツを着て、今日は普段よりもちょっとだけ背伸びしてみた。


 目的は何であれ、週末に黎人とお出かけするんだもの。普段とは違う私を演出したい。黎人は優しいから自分も今着いたところだと言ってくれたけど、私はやっぱり少し遅れていたと思う。普段は着ていた楽な私服が多くて、本気でコーディネートを組んだのは久しぶりだったから。


 黎人はパーカーにチノパンというシンプルなコーデだけど、それぐらいシンプルな方が、黎人本人の魅力が引き立っているような気がする。かっこいいよ黎人!


「検索機を使ってみようか」


 陽炎橋立図書館は二階建てで、県内の図書館でもかなり大きな部類だ。休日の閉館時間は午後五時で残り二時間ほど。時間が限られているので、検索機で場所を確認することにした。著者名で検索。打ち込んだキーワードは「酒武道」だ。


「酒武道って、こういう字だったんだ」


 思えばこれまでは、黎人から口頭で名前を伝えられただけだったので、漢字表記を目にしたのは初めてだった。初見だと「たけみち」ではなく「ぶどう」と読んでしまいそうだ。検索してみると、地元出身の作家である酒武道には文芸の本棚ではなく、専用のコーナーが設けられていた。これなら適当にブラブラしても見つけられたかもしれない。


「図書館でも『ライラックの歌』は取り扱っているようだね」

「うん。その気になれば秋さんは図書館でも『ライラックの歌』を借りられる」


 専用コーナーでは酒健道のデビュー作にして代表作。「ライラックの歌」が表紙を向けて私たちを出迎えていた。これを見て思いついたことが一つ。


「何だかちょっと借りづらいかも」


 列記とした図書館蔵書の書籍で、もちろん借りることだって出来るのだけど、展示品のように大仰に置かれているので、これを借りてしまうことは何だか展示に穴を空けてしまうようで、ちょっとした罪悪感を覚えそうだ。

 年末年始や蔵書点検を除けば、図書館は基本的に年中開館しているし、貸出期間も学校の図書室が一週間なのに対して、市立図書館は倍の二週間。こういった面で学校の図書室よりも使い勝手が良いのではと思ったけど、もしも生井さんも私と同じような感覚を抱いたなら、普段通っている学校の図書室で済ませようと思ってしまうこともあるかもしれない。


「図書館では借りづらいから、学校の図書室で借りてるのかな?」

「その可能性もあるけど、もしかしたらもっと明確な理由があるのかもしれないよ」


 そう言って黎人は「ライラックの歌」を手に取ってパラパラとページを最後まで送った。


「少し新しいと思ったら、初版本じゃないのか」


 黎人の眼光が鋭くなる。謎に対面した際の臨戦態勢の目つきだ。何度も重版されているヒット作だったことが伺えるが、それが今回の謎にどう関わってくるのだろうか?


「すみません。少し聞きたいことがあるんですか」


 黎人は「ライラックの歌」を片手に、話を聞けそうな司書の方を探し始めた。近くに若い司書さんもいたけど、黎人は少し館内を回って、あえてベテランの女性の司書さんに声をかけた。私は黙って黎人の背中を追うばかりだったけど、一体黎人は何が気になったのだろう?


「酒武道さん著のこの本は、どうして第五版なんですか?」

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