第4話 もう一つの謎

 翌日。私は再び登校前に公園で黎人と落ち合っていた。デートなら嬉しかったんだけど、目的はもちろん捜査の進捗状況を確認するためだ。夜、家に帰ってからメッセージで多少はやり取りはしたけど、話し合いはやっぱり、直接会った方が捗る。


「黎人の予想通り、本を借りていたのは定時制の生徒だったよ。名前は生井ういこのみさんで、年齢は五十六歳。図書室を利用している定時制の生徒はほとんどいないことも先生に確認済み。これも推理の補強になるよね」

「僕の予想と矛盾しない。東さんから話を聞いた時、随分と珍しい苗字だなと思ってたんだ。やはりそういう名字は存在せず、夜とは夜間部を示す言葉だったようだね」


 最初にその可能性に思い至ったのは黎人で、私はそれを裏付けるために、定時制の生徒でも図書室を利用出来るのかどうか。その名前に該当する生徒が定時制に在籍しているかどうかを確認しただけだ。


 陽炎橋高校の図書室で本を借りる際は、借りた生徒の学年と氏名を、貸し出しカードに記入する。貸出カードの記入欄は簡素な作りで、横長の一つの枠の中に、借りる生徒が学年、組、氏名をまとめて記入する仕様になっているそうだ。それ故に図書委員の東さんも学年や組の記入がない夜生井好に疑問を抱くことになった。夜間に学校に通う私達は陽炎橋高校定時制課夜間部の生徒。うちの高校の定時制は夜間部しかないけど、他にも昼間部の定時制が設けられている学校も存在する。所属を表す表記として、夜間部の私達を「夜」とすることはあり得る。


「それでも、学年の記載だけで夜としか表記されていないのは違和感があったけど、胡桃の情報のおかげで補完された。最初は『夜間部二年』といったように丁寧に表記していたのかもしれないけど、定時制の生徒で図書室を利用していたのが事実上、生井好さんだけだったのなら、夜間部の生井さんが借りたということだけが分かればさほど問題はないから、徐々に簡略化されていったのだろう。正確なところは明日、東さんに月曜担当の図書委員に確認してもらうけど、この読みは当たらずも遠からずだと思う」


 黎人はメモ帳に私と共有した情報やそれに基づく推理を綴っていく。昔から黎人はスマホではなく直筆でメモや記録を取る。本人曰く、その方が見返した時に感情ごと思い出せるので、推理が活き活きとする、とのことだ。


「私から提供出来る情報はこんなところかな。黎人の方でも何か調べて来たんでしょう?」


 昨日、黎人は塾がお休みで放課後はフリーだった。大のミステリー好きが情報収集を私にだけ任せて、一人で遊び歩いていたはずがない。


「僕は『ライラックの歌』の著者である酒武道氏について調べてみた。そうしたら興味深い事実が判明したよ。酒武道はペンネームで本名はさか健道けんどう。彼は僕らの通う陽炎橋高校の卒業生だ」

「それじゃあ、図書室に『ライラックの歌』が置いてあるのって」

「卒業生である小説家の作品だからね。初版本だったし、本人から母校に寄贈されたものなのかもしれない。それなら二冊と多めに置かれている理由にも納得出来る」

「坂さんのご年齢は?」


 初版本が出たのが三十二年前。だとすると坂健道さんも相応の年齢ということになる。もしかしたらそこにもヒントがあるかもしれない。


「胡桃もやっぱりそこが気になったか。坂さんは三十八年前に陽炎橋高校を卒業している。ご健在なら五十六歳になっている計算だ」

「ご健在ならってことは。坂さんはもう……」

「ああ。坂さんは三十年前、二十六歳の時に病気で亡くなられている」


 三十年も前とはいえ、学校の先輩が二十六歳の若さで亡くなったという事実には胸が痛む。これからも小説家として活躍していく未来に、きっと天望を抱いていたと思う。運命は残酷だ。


「坂さんと生井好さんは同い年だ。二人が同級生や友人関係にあった可能性は十分に考えられる。そんな生井さんが当時の知人のデビュー作を図書室で発見し、懐かしく思い本を熱心に読み込んでいる。先の名前の謎と合わせて、東さんの疑問の答えには十分だろう」


 黎人はあきらかにまとめに入っているけど、私は正直、まだ釈然としていない部分がある。


「ねえ、黎人。本当にこれで全て解決なの?」

「おっと、全てとは言っていないよ。僕は東さんの疑問の答えには十分だと言っただけだ。限られた時間の中で、東さんの疑問に対する答えは出したし、これが正解だという自信もある。東さんの疑問に答えるという点においては僕たちの調査は終わった。だけど個人的にやり切ったとまでは思っていない」


 黎人が愉快そうに口角を釣り上げた。そうだよね。黎人の探求心がこの程度で満たされるはずがないよ。私でさえも抱いている疑問を黎人が疑問に思わないはずがない。


「どうして態々、学校の図書室で毎回本を借りていくのかだよね?」


 黎人は私の言葉に無言で頷いた。

 生井さんが酒武道の知人で、当時を懐かしんで何度も本を手に取っている。だけど、どうして学校の図書室でそれを繰り返すのか? もちろん、普段通っている学校の図書室を利用するというのは理に適っているけど、地元出身の作家の作品とあれば、きっと図書館にも置いているはずだし、もっと言えば書籍を購入して、返却期限に追われずにゆっくりと自分のペースで楽しむことだって出来る。それなのに生井さんはどうして図書室で本を借りることに拘るのだろうか? そのことが私はずっと気になっている。


 謎を追いかけるこの感覚をしばらく忘れかけていた。確かにいつだって最初に行動するのは黎人で、私は振り回されてばかり。その構図は今でも変わりないけど、結局は一緒に行動している内に、私までも真実を知りたくなってしまい、最後まで突っ走ってしまう。どうやらミステリーに憑りつかれているのは黎人だけではないらしい。

 

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