第3話 ライラックの歌
発端は今日の昼休み。黎人が同級生の女子生徒、
そんな東さん。二週間前の昼休みに、前日までに返却された本の整理を行っている最中、
「ライラックの歌」は毎週月曜日の放課後、返却と同時に、残るもう一冊が同じ生徒によって借りられていく。貸出期限が一週間なので、読み切れずにもう一冊を借りることによって、事実上貸出期間を延長したと考えれば辻褄は合うが、東さんが何よりも疑問だったのは、貸し出しカードに残されていた借りた生徒の記入だった。
その生徒には学年など所属の記入がなく、ただ「夜生井好」と名前らしきものが記入されていただけ。加えて記録によると、近年「ライラックの歌」を借りた生徒は夜生井好ただ一人。本自体もかなり古く、三十二年前に出版された、年季の入った初版本であるそうだ。
こういった経緯から東さんは、誰も借りることの無かった古い本を読み進める、学年不明の女子生徒の存在に興味を持ち、ミステリー好きを公言している黎人に相談という形でこの話題を提供したそうだ。明後日、金曜日には委員会の会合があるので、月曜日を担当している生徒に話を聞けば真相は簡単に分かるそうだが、それまでに黎人が推理をまとめ、答え合わせが出来たら面白そうだねと、二人の間で話しが盛り上がったそうだ……もしかしたら東さんは私のライバルに成り得る存在なのかもしれない……失礼、ちょっとだけ私情が。
とにかく、私と黎人はこの二日間で、近年誰も興味を示さなかった「ライラックの歌」を借りる、学年不明の女子生徒、夜生井好の謎を解き明かさなくてはならない。これは事件でも何でもないし、謎を解く必要があるのかも分からない。だけど、明確な時間制限があると燃えてくるから不思議だ。長年、黎人のミステリー好きに付き合わされてきた影響か、少なからず私もその熱にあてられているようだ。
そして黎人の読み通りならばヒントは夜、すなわち定時制に隠されている。
「おはようございます。
「おはよう。比古さん」
公園で黎人と別れたその足で、私は陽炎橋高校に登校した。生徒玄関で靴を履き替えていると、廊下を副担任の
引白先生は現在二十八歳で担当教科は国語。明るく親しみやすい人柄で、晴れやかな笑顔が素敵だ。入学してから一カ月と少しなので他の先生のことはまだあまり知らないけど、副担任が引城先生で良かったなと思っている。
「先生、一つ聞いてもいい? 図書室って定時制の生徒でも使えますか?」
黎人が私にお願いしたことその一を、私は引白先生に質問した。
「借りたい本でもあるの?」
「まあ、そんな感じです」
「同じ陽炎橋高校の生徒だから、もちろん定時制の生徒も図書室を使えるし、本の貸し出しも可能だよ。あまり知られていないから、定時制の利用者はほとんどいないけどね」
実際、私も先生に聞くまでそのことを知らなかったし、そもそも定時制の生徒で図書室を利用する発想を持った人は少ないかもしれない。いずれにせよ、定時制の生徒でも図書室を利用可能かつ、利用者自体が非常に少ないということも判明した。これで謎の一つは解けたといっても問題ないだろう。
「教えてくれてありがとうございます。先生」
先生にお礼を言うと、私は教室へと向かう。まだ午後五時台なので、校内は部活や委員会活動に励む全日制の生徒達の活気で溢れていた。
定時制の教室は全日制と共有で、私達一年生の教室は日中は一年A組の教室と利用されている。ちなみに黎人の教室は二つ離れたC組で、定時制では三年生が利用している。
「おはよう、胡桃。今日は少し遅めだね」
「近くの公園で幼馴染と話してて」
ギリギリに登校してくる生徒も多いから、教室にはまだ人の姿はまばらだけど、その中には友達の
風花は柔らかなショートボブの髪と大きな目が特徴的だ。自分の魅力をよく分かっており、仕草の一つ一つが可愛らしい。それでいて、それを嫌味に感じさせない無垢な少女のようなな魅力を合わせ持っているのだからもはや無敵だ。デニムジャケットを主役にしたガーリーなファッションも、印象付けに一役買っている。
「噂の幼馴染くん、確か猪口くんだっけ? 登校前に全日制の男子とデートとは青春してますな~」
「茶化さないの。これがデートを満喫してきた乙女の顔に見える?」
「うーん。どちらかというと、聞き込みを終えて辟易としている刑事の顔かな」
「だいたい正解。そういう風花はFBIの分析官か何か?」
「まさか、ファミレスで働いてたらこれぐらい余裕だって」
実は影から全てを見ていたのではと疑いたくなる。風花は顔色を読むのが上手くて勘も鋭い。本人はファミレスで仕事をしているからだと言うが、仕事を始めてから一カ月と少しでその領域に達する辺り、風花のそれは天性の才能なのではないだろうか?
「それで、胡桃はどうして刑事の顔に?」
「実はかくかくしかじかで」
別に隠すようなことではないし、風花に聞きたい話もあったので、私は事の経緯を風花に聞かせた。
「なるほど。ミステリー好きの猪口くんか。噂以上に面白い男の子みたいだね。それに付き合う胡桃も一途ですな」
「……返す言葉もございません。それで、風花はこの名前の生徒に心当たりは?」
正確な読みが分からないので、私はノートの端に「生井好」と書いて風花に見せた。私に覚えがない時点で、一年生でないことは確定だ。
「うーん。他の学年のことはあまり知らないからな」
全日制と違い、定時制では部活動の期間が限られていたり、生徒会以外には委員会活動が存在しなかったりと、他の学年の生徒と交流する機会はあまり多くない。ましてや私達は入学してからまだ日が浅いので、他の学年の生徒の氏名までは把握出来ていなかった。
「あっ! おはよう玲央。突然だけど生井好さんって生徒のこと知ってる?」
「ビックリした。本当に突然だな」
教室に入ってきた
「それで、一体何の話?」
楠見くんは一度自分の席に鞄を置くと、誰も座っていない私の一つ後ろの席に腰を下ろした。楠見くんは黒髪短髪で顔の掘りが深い。身長も高いので同い年なのに大人びて見える。無地のシャツにデニムというシンプルな格好もその一因だろう。
日中は市内にある書店で働いており、私も時々利用している。入学以来、仕事中の楠見くんと顔を合わせる機会も増えた。
楠見くんとは風花を通じて親しくなったけど、自由奔放な風花とそれに振り回される真面目な楠見くんという構図は、楠見くんには申し訳ないけど、見ていて親近感を覚える。現在進行形で幼馴染に振り回されている今日は、特に感情移入出来た。
「実はこれには、深くて浅い理由があって」
本日二度目の状況説明。頷きを介しながら真っ直ぐと私を見据える楠見くんの眼差しは「比古も大変なんだな」と同情が見え隠れてしている。振り回される側の人間にシンパシーを感じるのは楠見くんも同じようだ。
「事情はだいたい理解した。
「楠見くん。知り合いなの?」
「俺の働いてる書店のお客さん。何度か接客したことがあって、学校でも顔を合わせたから、『同じ定時制の生徒だったんですね』みたいな感じで親しくなって。それ以来、顔を合わせたら世間話をする程度には交流があるかな。生井さんって話し上手で楽しい人だから、ついつい話し込んじゃうんだよな」
「あれ、玲央ってもしかしてその生井って人といい感じ?」
声を低くしてやきもちを焼く風花と、ゾクリとしたのか背筋を正す楠見くん。分かりやすい二人だ。
「生井さんとはそういうのじゃなくて、年の功というか、親戚のおばさんと話してるような安心感があって」
「年の功?」
「親戚のおばさん?」
私と風花の疑問が連続する。生井好さんのことを一方的に、同年代の少女としてイメージしていた。
「生井さんは五十六歳。人生の先輩として、よく相談にのってくれるんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます