転:再会 25歳

 番号に25の数字が灯る。奇しくも自分の年齢と同じだと広人は思った。


「どうも~こんにちは~」


 柔らかい笑顔を見せて、おばさんのハローワーク職員は頭を下げた。


「1ヶ月ほど前にお辞めになったんですね。そろそろ新入社員の時期なので、今は採用絞ってるところが多いですね~」


 少し世間話をして、経歴の確認に入った。新卒で入った会社をたった1年で辞め、次の会社もまた1年で辞めたと一目でわかる。プリントアウトした求人票を見せ、職員に状況を伺ってもらうが、もう決まっていた。


「まぁ~でも1年は続いているわけですし、大丈夫ですよ。まだ若いんですから」


 お決まりの文句らしき励ましに、広人も「はい、ありがとうございます」とお決まりに返した。

 池袋のハローワークは、サンシャイン60の中にある。施設を出ると、親子連れ友達連れ恋人同士と幸せを振りまいた人たちが歩いている。


 ――いっそ、陰鬱なハローワークにいた方が心地いいな。


 心の中で呟いて、益体もない言葉だと頭を振る。

 もともと自分から輪に入れる性質ではなかった。高校で少しそれが変わったかと思えば、大学時代にまたぶり返す。成績はよくても、結局活躍できるのはコミュ力があり、聞くばかりでなく言いたいことも主張でき、ほどよく遊べる要領のいい人間なのだ。


『さっさと童貞捨てろよ』


 蘇る声。あの時から、歯車がズレた気がする。そして今でも童貞のままだった。



 サンシャイン60を出て、道1本隔てたスーパーに入った。何をしなくても腹は減る。面倒だが、外食せず自炊する。貯金や失業保険金はあるが、節約するに越したことはない。

 初めて気付く。世間ではホワイトデーなのだと。だが関係ない。またもやし炒めでもしようか、いやさすがに飽きた……と考えていると、鈍い音がした。遅れて肩をどつかれる。見るからに柄の悪い客が無言で獣のように遠ざかっていく。音の正体を探して後ろを向くと、サラダ油のボトルが倒れていた。

 どうせ時間はある。広人はしゃがんで元に直しはじめた。


「すみません、ありがとうございます!」


 店員さんが駆け寄ってきた。


「――……」


 聞いたことのある声、薄いピンクのネイル。


「……狭山さん?」

「……コンノ?」


 隣の店員は、ぎょっと目を見開いていた。



「マジ、こういうことあるんだねぇ!」


 ケラケラと笑って、莉果子はウーロンハイを呷った。池袋の焼きとんメインの居酒屋。そこのカウンターの二人席に座っていた。

 なぜ飲みになったのか、広人にもわからない。莉果子がもうバイト終わると言い、話が転がって居酒屋まで来ていた。


「びっくりしてないの?」


 無言のままの広人に、莉果子が問う。彼女は髪型も髪色も変わらず、ウェーブがかった茶髪のセミロングだった。だが耳にはピアスが輝き、顔は少し面長になった印象がある。というよりも、頬がこけている、と言った方が正しく思えた。


「びっくりしてて、言葉にならないだけ」


 言いながら嘘だと自覚した。居たたまれなくなってウーロン茶に手を伸ばすと、傍らに置いていた鞄が倒れる。中身が床にぶちまけられた。

「あーあ、もう」


 パンツルックでオフショルダーの莉果子が拾う。慌てた広人だったが、遅かった。

「あ、これ」

「……そうだよ。無職なんだよ今」


 ハローワークの利用者カード。それを見られたくなかった。


「結局、うまくいかないんだ俺。大学でも馴染めなくて会社でも世渡り下手で」


 口を衝く言葉。なぜこんなことを言っているのか、自分でもわからない。慰めてほしいのかと思うと、情けなさがこみ上げる。莉果子の顔は見れなかった。


「あははっ、似たようなもんじゃん!」


 肩に痛み。叩かれていた。痛いが不快ではなかった。


「うちも、専門出たんだけど、結局全然違う業界に就職しちゃってさ。そこで頑張ろうとしたんだけど、まーうちバカだし、失敗ばっかりで。それで、付き合ってた彼氏が東京に行ってて、呼ばれたから来たんだけど……ま、ぶっちゃけた話、遊ばれてただけだったのよ。でも田舎に帰るのももう面倒になっちゃって」


 ウーロンハイを飲み干すと、ゆっくりテーブルに置いた。


「ほんとねー、人生山あり谷ありだよね」


 乾いた笑いに、広人の心臓が跳ねた。


「ほんと、昔に戻りたいよね……」


 潤んだ声に、広人は初めて莉果子の横顔を見た。

 涙が一筋、頬を伝っていた。

 広人はあらためて前を向く。タッチパネルで注文をした。


「時間は不可逆だよ」

「あー理屈っぽ。外見も言い方も相変わらずだねコンノ。でも、大丈夫じゃん? コンノは大学出てるし真面目だし、真面目過ぎるところはあるかもだけど……」

「違う、そうじゃなくて」


 注文が運ばれてきた。2杯分の豚汁。


「涙で塩分抜けただろうから、それ食べて」

「また理屈っぽいこと言ってるし。でもあんがと」


 広人は体ごと、莉果子に向けた。 


「俺は戻りたくないよ。今だから言えることがあるから」


 涙を拭って、呆けたような莉果子の顔に告げる。


「俺はこれから、リカコと二人でいたい」



↓『結:未来 30歳』に続く

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