承:別離 18歳
「はい、本返すわ」
「いや今、卒業式の前日だが?? むしろ俺が貸したことを忘れてたわ」
3月も下旬に差し掛かる頃の放課後、広人は莉果子と二人きり、3年A組の教室にいた。
「読み切るのに2年半もかかるのかよ」
「いやー文字だけのページ見てると眠くなっちゃうんだよね~」
窓に寄りかかり、手を伸ばして頭を掻く莉果子。赤のコートはどぎついが、莉果子には似合っていた。
「……コンノ、東京の大学でしょ? どこに住むカンジなん?」
「西東京市ってところ。大学からは少し離れるけど、家賃安かったから。通学時間は大体40分だけど許容範囲ではあるし」
「23区じゃないんだ。でも都内だよね。すご」
そのすごいが大学に受かったことなのか、田舎を離れて都内で生きることなのか、広人は聞かなかった。
「……狭山さんは? ペット系の専門学校だよね」
「松本駅の近く。学校すぐ隣だよ。うち朝弱いから」
ははっと笑う莉果子の声は乾いていた。
「……うちのおかげで楽しかったでしょ」
「恩着せがましいな」
ツッコんではみたものの、莉果子の声はいつもよりずっと頼りなかった。芯がない。
「まあ……俺みたいな陰キャでも、それなりに」
「それなりって、おーい」
「狭山さんのおかげなのは、認める」
メガネをあげながら答えると、莉果子はぷっと噴き出した。
「素直じゃないヤツ。……でも、うちが一番楽しかったのは、調理実習の時だったかもしんない」
「……調理実習って、1年の冬の時の? なんで」
「うちがバカやって、そのたびコンノが直して、何度も何度もボケてツッコンで、最終的にめっちゃうまい豚汁できたじゃん? ほんと偶然の産物ってカンジで」
「……確かに、おいしかったな」
たまたまあぶれた二人。包丁の持ち方の指導から始まり、隠し味などと生意気なことをする莉果子を止める広人。プリントのレシピ通りにきっちりグラム小数点まで気にする広人をからかう莉果子。二人の作った豚汁は、奇跡の出来になった。
「また食べたいね、あの豚汁」
「無理だよ。狭山さんが何を何グラム入れたか記録してないから」
「言えてる。てかコンノが几帳面すぎんのよ。大体さー」
「ごめん」
突然謝る広人に、莉果子は目を丸くした。広人は傍らに置いていた鞄に手を伸ばす。
「ホワイトデー過ぎちゃったけど、バレンタインのお返し」
取り出す紙袋の中は、チャック付きパックに入ったホワイトチョコのクッキーだった。
「狭山さんがチョコくれたおかげで、頑張れた」
不合格が続き、最後の砦が差し迫った先月。莉果子が「頑張れよ」とそれだけ言って渡したのは、チョコクッキーだった。その指に絆創膏があったことを、広人は見逃さなかった。
「もしかして手作り?」
「いや、大した手間は掛けてないよ」
「……マジかー、こういうことしてくるかー」
莉果子は受け取ると、その袋ごと抱きしめる。
「ありがと」
歯を見せて笑う莉果子を、広人は直視できなかった。
「溶けるよ」
「溶けてもおいしいでしょ」
沈黙が降りる。数秒か数分かもわからなくなる。
「「……あの」」
二人の声が重なった。視線がかち合う。ぶつかった途端、お互いに逸らした。
広人のガラケーが鳴る。取ると、母の声が耳に入る。
「……うん、わかってる」
手短に話して、切った。
「あ、時間、大丈夫?」
「……卒業式終わったら、もう次の日引っ越しなんだ。まだ荷造りが少し残ってて」
「大変じゃん! 早く帰りなよ」
「……そうだな」
広人は足を翻した。そこに「ねえ」と声がかかり、振り向く。
「さっさと童貞捨てろよ」
「うるせーよ」
それきり、広人は校舎を後にした。
↓『転:再会 25歳』に続く
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