41 気持ちに寄り添って


「――って、感じで家を出たんだよねぇ」


 事のあらましを雛乃ひなのは淡々と語った。


 悲観するわけでも、激昂するわけでもなく。


「……そうだったんだ」


 何と言えばいいのだろう。


 やはり、雛乃の家出は家族間の不和によるものだった。


 雛乃の自由に生きたいという願望と、家族の求める生き方による軋轢。


 それに弾かれるようにして雛乃は家を飛び出してしまったのだ。


 彼女の気持ちも分からないわけではない。


 でも、家族の方も全面的に悪かと問われれば答えに窮する。


 確かに家族の雛乃に対する態度は冷たく、適切なものとは思えないけれど、それでも言っていることが全て間違っているとも思えなかった。


 純粋に価値観の相違が大きすぎたように思えてしまうのだ。


「いやぁ、でも実際に家を出るとビビったけどね。最初は自由だと思ったんだけど、いざ外に出ると何にも出来ないじゃんって」


「……その結果が、身売りだったわけね?」


「そうだね。それくらいしか思いつかなくて」


 家を本当に出てしまう思いきりの良さも、居場所を得る為に体を売ろうとする覚悟も、その強さには感服させられる。


 同じ10代だった頃の私では……いや、今の私にだってそんな行動を選択することは出来ないだろう。


「でも、やっぱり家出は良くないし、身売りも同じくらい良くないよ」


「……まあね。でも家にはいられなかったし、あたしが出来ることもそれくらいだったし」


 どこにいたって、価値観の相違も、それによる軋轢は生まれてしまう。


 人は人といる限り、その不和から逃れることはできない。


 だから、その中でどう上手く擦り合わせていくか、溶け込ませていくか、馴染んでいくかが大事なんだと思う。


 だけど、それすらも雛乃には出来なかった。


 それは、どうしてか。


「ほんとバカだよね。雛乃は」


 私は立ち上がる。


「分かってるって。あたし自分のこと賢いと思った事なんてないし」


 頬を膨らませる雛乃。


 私はその隣に座った。


「ほんと、雛乃は不器用すぎだよ」


「もう分かってるって。あたしは、しおりさんみたいに賢く生きれる人間じゃないんだよ」


「もっと上手いこと、出来たでしょ」


「あたしは出来ないの、嫌だと思ったら嫌って言っちゃうの」


 そうは言っているけど、きっと雛乃は自分の至らぬ部分を理解している。


 それでも心の方が拒否をしてしまう、彼女の若さとも言える純粋さがそれを拒み続けさせたのだろう。


「ていうか、隣に来てまでお説教?」


「そうだね、雛乃にはお説教が必要だね」


 でも、それよりも――。


「こっちにおいで」


「え、あっ」


 私は雛乃を抱き寄せた。


 不意に引き寄せられた雛乃は簡単に体を崩して、私の胸の中に収まった。


 背は高いくせに華奢な体は、すとんと私に沈み込む。


「ちょっ、栞さん……?」


 状況を理解できない雛乃は、困惑したように胸の中でくぐもった声を上げる。


 私はそんな雛乃の動揺を打ち消すように、彼女の頭を撫でた。


 少しでも安心できるように、出来るだけ優しく。


 全身が緊張していた雛乃の体から、徐々に力が抜けていく。


「ツラかったんだよね?」


「……えっと、なにが」


「誰も認めてくれなくて、一人になって寂しかったんだよね」


「……そう、なのかな」


「でも私は知ってるよ。雛乃はちゃんといい子だって」


「……」


 私は知っている。


 雛乃は自己主張をするだけの子ではないことを。


 いつも私のために気を利かせて、色んなことを考えて自分を捨ててくれている雛乃。


 そんな彼女が全てを拒絶してしまったのは、きっと受け入れてもらえなかったからだ。


「雛乃は優しいし、人のことを考えてあげられる子だよ。だから、強がるのもうやめなよ」


「べつに……強がってなんか……」


「いいんだよ、私は拒絶しないから」


 雛乃は私に体を委ねていく。


「……本当?」


 きっと雛乃が求めていたものは誰かが認めてくれることだったんだと思う。


「うん、私は雛乃は雛乃らしく生きて行けばいいと思う」


「それで、いいのかな……」


「いいんだよ」


「そっか、栞さんがそう言ってくれるなら、そうだよね」


 雛乃の体温が伝わってくる。


 こんな暑い時期に二人で身を寄せ合って何をしているんだと思うけれど、それでも雛乃を放しておけなかった。


 彼女にはこういった優しさが足りていなかったんじゃないかと思うのだ。


「ねえ……栞さん」


「なに?」


「あたしのこと迷惑じゃない?」


 この期に及んで、何を聞いて来るんだ。


「そんなわけないでしょ。いてくれて良かったと思ってるよ」


「連れ戻して後悔してない?」


「するわけない。あのまま家を出て行った方が後悔してたよ」


「そっか……なら良かったよ」







 長い沈黙。


 どれくらいそうかしていたか、時間も見ていなかったけど。


 私達は自然と二人で身を寄せ合って黙ったまま時間を過ごした。


 それでも窮屈な間ではなく、居心地の良い空間だったのは雛乃との関係性を現わしている気がする。


「ねえ、栞さん」


 その沈黙を破ったのは、雛乃の方だった。


「なに」


「あたしのこと、抱きたくないの?」


「……?」


 はて、話しの前後が繋がってないぞ。


「いや、無言はさすがになしでしょっ」


 ぐわっと、体を預けていた雛乃が起き上がる。


 恥ずかしかったようで顔を真っ赤にしていた。


 その反応から見るに、聞き間違いではなさそうだ。


「いや、もう抱いてたし?」


 自分で体を起こしておきながら、“抱かなくていいの?”と聞いて来るとは、なかなかにハイレベルな事をする。


「そうじゃなくてっ。直接的な意味じゃなくて、ほらもう一つの方の、夜のやつ」


「……えっ」


 雛乃が言わんとすることが私もようやく理解して、慌て始める。


 なんてことを聞いて来るんだ、この子はっ。


「いやいや、さすがに、それはないでしょっ」


「……ないの?」


 なんで更に追い打ちで聞いて来るっ。


「雛乃は子供なんだから、もっと自分を大事にしないとっ」


「それって、私が子供じゃなかったら抱きたいってこと?」


 う、売り言葉に買い言葉を……。


 どうしてそんな根掘り葉掘り聞いて来るんだ。


「ほら、雛乃は私みたいな人じゃないんだから、もっと真っ当な道を……」


「いいから、はぐらかさないで質問に答えてよ」


 ぐっ、と今度は雛乃が体を寄せてくる。


 目の奥を覗き込んできて、視線すら逃げる事を許そうとしない。


「そっ、そりゃあ……酔ってたとは言え、抱きそうになったくらいだし……」


「そういう欲求はあるんだ?」


「ないと言えば、嘘になるけど……」


「へえ、やっぱりそうなんだ」


 雛乃は満足そうな笑みを浮かべる。


「あたしはいいよ、抱かれても」


「な、なぜそうなるっ」


 どうしてこの展開で雛乃はこんな行動を始めるっ。


 何か、おかしくないかいっ。


「ほら、栞さんにはお世話になったし。そのお礼として」


「い、要らないっ!そんなお礼は求めてないっ」


「……意地張るなぁ」


「だって、もう違うからっ。私と雛乃はもうそういう関係じゃないんだからっ」


「子供だから抱けないっていう、栞さんの理屈でしょ?」


 そうだ。


 そうであっても、これは譲らんぞっ。


 それを崩しては私は雛乃と向き合うことが出来なくなる気がするのだ。


「駄目、ダメったらダメ!」


「わかった……分かりました。じゃあ、そっち向いてよ栞さん」


「は、なにそれ」


「いいから」


 なぜかそっぽを指差す雛乃。


 そこに何かあるのかと思って見てみるが、やはり何もない。


 いつも通りの雑多な私たちの部屋だった。


「やっぱり何もな――」


 突然、雛乃の匂いが鼻腔をくすぐる。


 私の頬には柔らかい感触があった。


 首を動かそうにも、その感触が私の動きを止める。


 呆気に取られていると、雛乃の匂いが遠のいていった。


「な、ななっ……!?」


 何をしたの、この子!?


「あたしからの感謝の気持ち」


 雛乃は少し恥ずかしそうにしながら頬を染める。


「ううっ」


 や、やはり、あの柔らかい感触は雛乃の唇でぇええええ……。


「……しゅ」


「え?」


「もう寝ましゅっ!!」


「は、早くない……?」


 あああああああああ。


 雛乃との適切な距離が分からないぃぃぃっ。


 とにかく、眠って精神を整えないとおかしくなりそうな、そんな夜だった。


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