40 好きなように生きて何が悪い


「と言いますか、その下の名前で呼びたい人って寧音ねねちゃんの事ですよね?」


 私の相談事は容易くその正体を明らかにされた。


 七瀬ななせの勘の良さは、こういう時は嬉しくない。


 かと言って、誤魔化せるような気もせず……。


「だったら、なによ」


「いえー。年下の子相手になら、もっと気にしなくてもいいと思うんですけどー」


 ぶっきらぼうに返事をされる。


「そもそも、まだ寧音ちゃんと仲いいんですか?」


 続けて訝しげに七瀬は尋ねてくる。


 なんだその質問。


 昨日の今日でいきなり仲悪くなるわけないでしょ。


 ……あ、いや、雛乃が家から出ようとしていたばっかりだったな。


 だが答えは決まっている。


「仲はいいよ」


「あれれ……おっかしいなぁ」


 しかし、七瀬は更に首を傾げていく。


 何に疑問を抱いているのか、さっぱり分からない。


「なによ、仲いいとおかしいみたいな反応して」


「あ、いや、そういうわけじゃないんですけど……もうちょっと言わなきゃダメだったのかなぁ……」


 七瀬はうわ言のように呟きながら、私との会話を打ち切ってしまう。


 よっぽど気になることがあったのか、急に気持ちがどこかへ飛んでいってしまった。


 まあ、いいや。

 

 私も私で難しい気持ちになってきたし。


 結局、仕事に集中するのは難しそうだな。



        ◇◇◇



 仕事帰り。


 家に向かう道中を歩きながら考える。


 私が雛乃を名前で呼べない理由。


 それはコミュ力不足だと言われれば、それまでだけど。


 多分、そんな単純な話じゃない。


『名前で呼びたい人なのにバレたくないなんて。仲良くなりたいのか、なりたくないのか。いまいち分かりません』


 七瀬に言われた言葉が妙に刺さった。


 私はきっと、雛乃との距離をこれ以上縮めることを躊躇している。


 それは社会人と女子高生というモラルの壁。


 いずれ離れなければいけない雛乃の境遇。


 そして私といる事の意味。


 それらが私の雛乃を遠ざけるブレーキとなって働いている。


 これを解決しないかぎり、私はこれ以上雛乃との距離を縮めることは難しいだろう。


 だから名前で呼ぶことが出来ないんだと考えると、妙に腑に落ちた。


「うーん。そう思うと、やっぱり相談した甲斐はあったのか……」


 七瀬による問題提起は、私自身の理解を指し示した。


 じゃあ、私はどうしたいのかと自分で問う。


 どう考えても赤の他人と未成年の生活なんてよろしくない。


 それはモラルだけの話ではなく、純粋に雛乃にとって良くないと思う。


 こんな私との共同生活ではなく、もっと女子高生らしい健全な日常を送るべきなのだ。


 だから、そのためにも彼女は実家に帰らなければならない。


 そして、私といることの意味だ。


 私はアラサーで独身の女性が性的対象の人物だ。


 世の中で多様性が謳われる昨今だが、まあ決して大多数な立ち位置ではないだろう。


 そんな私とずっと一緒にいるべきだとは、とても思えない。


 雛乃にはもっと明るい未来を切り開いて行って欲しいから。


「よしっ、やっぱり雛乃のことを聞かないとな」


 頭が整理されると、同時に覚悟も決まる。


 この生活の終止符。


 終わりの始まりを迎えなければならない。







「ただいまぁ」


 家の扉を開けて、居間へと進む。


「あ、しおりさん。早いじゃん」


 台所には料理中の雛乃。


 そこで私はちょいちょいと手招きする。


「ん?なに」


「いいから、来るのです」


「あ、はいはい」


 火を止めて、雛乃は私に駆け寄る。


「座りなさい」


 私は座椅子を指差す。

 

「ん、いいけど。やけに口調が強いね」


 それは私の覚悟の現われだな。


 私も雛乃の対面、ベッドを背に向き合う。


「話があるの」


「うん」


 私の醸し出す重めな雰囲気に、雛乃は素直に頷く。


「もうこれ以上知らないふりも出来ないから聞かせてもらうよ」


 以前は知らないふりを出来ていたけど、もうそれは出来ない。


 それはきっと雛乃も分かっている。


「……うん」


 雛乃は、少し間を開けて頷く。


「改めて聞くけど雛乃ってさ、どうして家出をしようと思ったの?」


「……そうだねぇ」


 それでも雛乃も分かっていたのか。


 驚いた様子は見せず、少しの沈黙の後、顔を上げる。


「別に面白くないし、ほんとにつまんない理由だよ?」


「いいよ、それで」


 理由自体は何だって良くて。


 大事なのは雛乃のことを知ることで、そして雛乃自身が向き合っていくことだ。


「じゃあ、言うけどさ……」


 雛乃はそのまま、ぽつぽつと思い出すように語り始めた。



        ◇◇◇



 あたしには二人の姉がいる。


 長女はもう働いていて、二女は大学に通っている。


 その二人はとても優秀だった。


 長女は大手企業に勤め、二女は有名大学に通う。


 絵に描いたようなエリート街道を地で行く人たちだった。


 だから、あたしはよく比較された。


『二人はとても優秀なのに、どうしてあなたは……』


 それは母親からよく聞かされた小言だった。


 元を辿れば母も父も立派な経歴の持ち主で、その遺伝子を受け継いだ二人の姉たち。


 だけど、あたしだけが違った。


 勉強には興味を持てず、する意味からしてよく分からなかった。


 あたしには親の言われた通り、世間の常識に合わせて、そんな型にはめられた生活を送る二人の姉がひどく窮屈なものに見えた。


 だから、あたしはあたし自身を主張したくなった。


『せめて、これくらいの高校には通いなさい』


 そこは姉たちに比べればずっと偏差値の低い学校で、でもあたしの努力次第では行けそうなくらいの学力、世間の評判としても悪くない学校だった。


 “せめて人並みであってくれ”と、言葉に発さずともよく聞こえた。


『いや、ちょっとムリかな』


 でも、それすらもあたしは否定した。


 勉強しなくても合格できる、定員割れもよくある学校をあたしは選んだ。


『なんてこと……』


 非難は覚悟の上だった。


 だけど、それよりも衝撃が上回ってしまったのか、母親はあたしと言葉を交わすことをやめるようになった。


『まあ、あんただったらそんなもんじゃない?』


 大学に通う二女には、鼻で笑われた。


『いいんじゃない?好きに生きたらいいよ。社会に出た時にその行為がどう自分に跳ね返ってくるかは考えておいた方が良かったと思うけど』


 大手企業に勤める姉は認めるような口ぶりではあったが、皮肉まみれだった。


 分かってはいたけど、家に居場所はなかった。


 それにムカつき始めて、あたしは更に自分の好きなように生きようと決めた。


 優秀な二人は、見た目も清楚そのものだった。


 黒髪、薄目の化粧、肌の露出はあまりせず主張の少ない服装を選んだ。


 だから、あたしはその逆を選んだ。


 もちろん、単純にそういう見た目が好みだったのは大前提だけど。


 髪は金色に染め、化粧は派手に、肌も可愛いと思える所までは見せるようにした。


『ちょっと、それなに』


 沈黙を貫いていた母が、あたしの恰好を見るなり憤りを隠さなかった。


『なにって、なに』


『その軽薄な髪色に、だらしない恰好のことよ。何考えてるの』


『別に、好きにしてるだけだし』


 分かり合えるはずもない。


 最初からあたしを否定する人なのだから、理解してもらおうとも思ってない。


 だから、そのまま通り過ぎて部屋に戻ろうとした。


『……なさい』


『は?』


 はっきりと聞こえない声に、あたしは反射的に聞き返した。


『出て行きなさい』


『何言ってんの?』


 言われなくても、こんな辛気臭い居間じゃなくて、あたしの部屋に行くし。


 そう思っていた。


『この家から出て行きなさいと言ってるの』


『……はあ?』


 なにぶっ壊れたこと言ってんだと思った。


 そんな親の権利を放棄するような行為こそ、あんたらが後生大事に守っている世間体を崩壊させるような行為じゃん。


『そんな見るからに質の低い人間がいると、品格が疑われるのよ』


『そんな古臭いこと言ってんの、この家しか知らないんだけど』


 テレビを見ても、ネットを見ても、もっと自分らしく生きようと叫んでいるのに。


 時が止まったみたいな価値観で生きているこの家が滑稽だった。


『あなたの意見は聞いてない。とにかくその軽薄な見た目を改めなさい』


『ムリって言ったら?』


『子供のあなたは親の保護なければ何も出来ないでしょう。自分で生きていく能力はないのだから、私の言う事を聞く以外に選択肢はないはずよ』


『……』


 なるほど。


 理屈とか論理の筋道だけで決めつけたような、頭でっかちの発言だ。


 あたしが何も出来ないと決めつけ、それを押し付ければ言うことを聞くのだと、そう思っている。


 そういう考え方からして、あたしは嫌いだった。


『あっそ。じゃあ出て行けばいいんでしょ』


『え、なに』


 玄関に向かうあたしに、母は戸惑った声を隠せていなかった。


『あたしは好きなように生きるから、それ邪魔するとかウザすぎだし。出て行けって言うならさっさと出てくし』


『は、ちょっと……』


 頭で考えて行動する母には、あたしの行動は読み取れない。


 あたしは感情の赴くままに行きたい。


 だから、ムカつくこの家から出て行けと言われるなら出て行きたかった。


 後先考えるよりも、とにかく自分の気持ちに嘘をつきたくなかった。


『待ちなさい、話は終わって――』


『うるさい、あたしを舐めんなよバーカッ』


 うろたえる母を見て、鼻を明かせてやったと思ったあたしは颯爽と家を出た。


 一人で生きてくくらい、べつに出来るし。


 そう思って飛び出した家の外は、自由な空気を感じさせた。


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