42 反応に困っちゃったみたいな


しおりさーん、朝だよぉ」


「……ううっ」


 朝、あたしの仕事は栞さんを起こす所から始まる。


 まずは一声を掛けて、覚醒を確認する。


 当然これ一つで起きることがないのはもう分かっている。


 今での経験から、これだけで起きた試しがない。


「ほら、起きないと遅刻するぞー」


「……」


 はい、無反応。


 目はちょっと開きそうだったけど、モゾモゾしながら布団にくるまっている。


 全然、起きそうにない。


 というわけで、あたしは腕を伸ばして栞さんの肩を掴む。


 しょうがないから、体を揺すって起こすのだ。


「そろそろ、起き――」


「ッ!!」


「え、うわっ」


 触れた瞬間、栞さんがパッと目を覚ます。


 そのまま体も起こす。


 反応が良すぎて、こっちが驚いてしまった。


「お、おはよよ、雛乃ひなの


 “よ”が一個多いけど、どうしたんだろう……。


 まだ寝ぼけてるのかな。


 その割には起きる反応はやけに早かったけど。


「今日は起きるの早いんだね?」


「そ、そうねっ」


「どう、すぐ着替えられる?」


「まあ、うん」


「あれだね、いつもみたいに着替えさせてとか言わないんだね」


 だいたい寝起きはいつも目を擦りながら、“着替えさせて~”って言ってくるのが定番なのに。


「きっ、着替えられるからっ。それくらいは出来るからっ」


「……?分かってるけどさ」


「私は大丈夫だからっ」


 なんかやけに口調は強めに、そのまま栞さんは居室へと消えて行った。


 いつもより起きるの早いし動き出しも早い。


「……珍しいこともあるんだな」


 栞さんにもそんなことがあるんだと感心しながら、朝食を作り始めることにした。







 今日は軽めにパンとフルーツのヨーグルト和えを用意した。


 栞さんはスーツ姿に着替え終わって居間に戻ってくると、座って一緒に食べる事に。


 ちなみに、朝はいつも無言なことが多い。


 理由は単純で、いつも寝ぼけている栞さんは朝ごはんの時も眠そうにしていて会話どころではないからだ。


 家を出る間際に、何か用事があればようやく口を開く程度だ。


「えっと、あー……今日は天気どうなのかな」


 そのはずなのに。


 どうしたどうした。


 なんか会話始めたけど。


 しかも超中身薄いけど、なんなの。


「天気予報では晴れるって言ってたよ」


「そうなんだ」


「うん」


「……」


 えっ、会話下手?


 ていうか、どうして朝なのにそんなムリに会話を始めようとする?


 いつものらしさがない栞さんに、あたしは疑問しか浮かばない。


「ねえ、栞さん」


「なに」


「なんか、今日変じゃない?」


「!? へ、へへっ、変じゃないけどっ」


 めっちゃ変なんですけど。


 声、完全に上擦ってるし。


「何かあった?」


「や、何も、至っていつも通りですけど?」


「どこが?」


「ほら、この通り朝ごはんもいつも通り食べ……ってうわあっ!」


「ああっ、ちょっとっ」


 いつも通りに食べれますよアピールを始めた栞さんだったが、謎に器を高く持ち上げた結果、変にバランスを崩して器をひっくり返してしまう。


 テーブルの上はヨーグルトとフルーツまみれになってしまった。


 あたしはすぐにタオルをとってきて、栞さんの元に駆け付ける。


「うわ、スーツにもかかっちゃってるじゃん」


「え、うそ……」


「ほら、そこ。とりあえず今拭くから」


 胸元に跳ね返ってしまっているヨーグルトを拭こうと腕を伸ばす。


「いっ、いいからっ」


「はい?」


 しかし、栞さんは謎に身を引いてあたしから距離をとってしまう。


「……なにしてんの?」


「いや、拭かなくていいよ」


「……いや、拭かないとシミになるかもしんないし。とりあえず汚いし」


「だ、だだっ、大丈夫」


「どこの何が大丈夫なの?」


 大丈夫の要素がどこにもないんだけど。


「わかった、自分で拭くから貸して」


 すると栞さんの方が腕を伸ばしてくる。


「まあ……いいけど」


 しょうがなく栞さんにタオルを渡す。


 いつもなら全部あたしに任せるくせに。


 今日は随分と自分でやりたがるなぁ。


 ……と、言うより。


「栞さん」


「私のドジっ子属性について語るのはやめてよ。アラサーのドジとか需要ないから」


 なんか意味分かんないことを言ってる。


「そうじゃなくて、あたしと距離を取ろうとしてない?」


「……さ、さあ……」


 いや、隠すの下手だな。


「何で?」


「いや、特に理由は……」


「理由もないのに遠ざけるとかヒドくない?」


 さすがに傷つくんだけど。


「ひ、ひいぃ……」


「なんで栞さんが悲鳴を上げるの」


 栞さんはずっと変な反応しかしない。


 嫌気が差しているというわけではないということは、分かってはいるんだけど……。


「ほら、なんかあるなら言ってよ」


 やっぱり気になる。


 理由があるなら言って欲しい。


 栞さんにそんな反応をされ続けるのは嫌だ。


「そ、そりゃあ、昨日あんなことがあったからねっ」


「昨日、あんなこと……?」


 昨日は栞さんがあたしのことを認めてくれて、嬉しかったことしかないんだけど。


 そんな栞さんがあたしを遠ざける理由なんて何も……。


 強いて言うなら寝る時の反応がおかしかったけど。


「ほら、これっ、これっ」


 栞さんが自分の頬を指差している。


 ブスッブスッと指で思いきり突いていて、ほっぺたがかわいそうだった。


 何もそんなに強く押す必要ないと思うんだけど。


「……ああ、ほっぺにチューしたこと?」


「イエスッ!」


 急にノリのいい返事が返ってくる。


「困っちゃうよね、あんなことされたら困っちゃうよねっ」


「……そうかなぁ」


 さすがに、あれくらいならアリかなぁと思ったんだけど。


 栞さんには想像以上の反応をされていた。


「私は若くないから、そういうのされると困っちゃうんだよ」


「嫌だったってこと?」


「ちがわいっ!」


「なんなの?」


 栞さんが意味不明すぎてついて行けない。


「とにかく一方的にああいうことされると、私もどう反応していいのか分からないから次からは控えるようにっ」


 ……まあ、そんな頻繁にする気もないけどさ。


 だからと言ってするなっていうのをルールにされるのも、違うような気がするなぁ。


「とにかく私は着替えてくるから」


「はいはい」


「……覗くなよ」


「覗いだことないだろ」


 ぴゅーっと栞さんは居室に消えていく。


 朝から本当に掴めない人だった。







「……それじゃあ、行ってくるから」


 着替え終わった栞さんを玄関まで見送る。


 栞さんは少し落ち着いたのか、声のトーンは下がっていた。


 だがしかし、やはりあたしは腑に落ちない。


「ねえ、栞さん」


「ん?」


 ドアノブに手を掛けた栞さんが振り返る。


「昨日さ、あたしのこと拒絶しないって言ってくれたよね?」


「……言ったけど」


 ちょっと照れ臭そうにする栞さん。


 でもちゃんと認めてくれるのは、あたしのことを思ってくれた言葉に変わりないからだと思う。


「あれ、嘘じゃない?」


「嘘じゃないよ」


「じゃあさ、ほっぺにちゅーするなって拒絶じゃない?」


「……え」


 栞さんがマズったみたいな表情に変わる。


「あーあ、傷ついたなぁ……。やっぱり栞さん、何だかんだ言ってあたしのこと全部は認めてくれないんだぁ……」


「いや、待って……それはケースバイケースで……」


 あたしはわざとらしい演技になってるだろうけど、虚をつかれた栞さんはそれには気付かず慌て始める。


 ちょっと悪いことをしてしまった気はしたけど、あたしが少し傷ついたのも事実だから、これくらいは我慢してもらおう。


「はぁ、ツラいなぁ……」


「ま、待って、ごめんっ、そんなつもりじゃなかったの」


 よしよし。


 それじゃあ、お願いしちゃおっかなぁ。


「じゃあ、はいっ」


 あたしは膝を曲げ、顔に横に向けながら栞さんに寄せる。


 髪は耳にかけて、顔の半分をさらした。


「……えっと、なに」


「お詫びに、ちゅーして」


 そのために頬を全部出したんだ。


「……ぶふっ」


 栞さんが意味不明な息を吹き出すけど、これはいつも通りなので無視しておく。


「拒絶しちゃったお詫びに、あたしと同じことしてよ」


「……い、いや」


「さっき“とにかく一方的にああいうことされると、私もどう反応していいのか分からない”って言ってたけど。じゃあ、一方的じゃなくてお互いに同じことすれば問題ないんじゃない?」


「あ、ああ……それは……」


 全部栞さんの言葉を使わせてもらったから、栞さん本人は完全に返す言葉を失ってしまう。


 それに、栞さんだって本当はまんざらでもないと思ってるんだ、あたし。


「ほら、仕事の時間でしょ。早くして栞さん」


「うっ……し、知らないからねっ」


 数秒の間があって、ほっぺにほんのりとした温かさと柔らかい唇の形が伝わってくる。


 ちょっと違うけど、これが栞さんのキスなんだなって初めて知った。


 照れ臭ったのか、その感触はすぐに消えた。


「ほ、ほらっ、これでいいでしょっ。私は拒絶してないからねっ」


「うん、安心した」


 栞さんを感じられて嬉しかった。


「栞さん、行ってらっしゃい」


 あたしは笑顔で手を振る。


「行ってきますよ!仕事ですからねっ!」 


 栞さんは家をダッシュで出て行った。


 なんかすごい語気を荒げてたけど、恥ずかしかったんだろうな。


 うん、本当に可愛い人だよね、栞さん。


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