38 あなたの未来を思う


 夜、何とかお風呂に入り、寝る支度を住ませて私はベッドに潜る。


 雛乃ひなのもそれに合わせて、私の隣で布団を敷く。


 寝るタイミングはいつも私に合わせてくれていて、そういう所は可愛かったりする。


 今日は色々あったので、すぐに眠ってしまいそうだ。


「電気消すよ」


 雛乃が電気のリモコンに触れる。


「おねがい」


「はーい」


 返事と共に電気が消える。


 視界は真っ暗になり、雛乃の布団の音だけが聞こえてくる。


 こうして、雛乃と暮らす日常に慣れ、それが失われなかったことに安堵している。


 けれど、それは一時的なことで、根本的な解決ではない。


 いつか雛乃に話を聞いて、彼女の問題と向き合わないといけない。


しおりさんって、寝るの一瞬だよね」


 何も見えない中で、雛乃の声はやけにはっきりと聞こえてくる。


「寝付けがいいんだよ。疲れてるし」


「大人ってそんなものなの?」


「さあ……そう言われると、どうなんだろ」


 人によりけり、か。


 何だったら疲れても眠れない人だっているしな。


 それはそれで闇が深い。


「でも、目覚めは悪いよね」


 若干小馬鹿にされている。


 関係性も深まってきて、その声音だけで感情が何となく伝わってくる。


「雛乃に起こしてもらってばっかりだね」


「それはほんとにそう。あたしが来る前は一人で起きれてたとは思えないんだけど」


「人間やれば何とかなるもんなのよ」


「今もなんとかしなよ」


「それはどうかなぁ……」


「なんでだよ」


 というか、雛乃が起こしてくれるからそれを信頼しちゃってる部分はある。


 本当に危ない時間になったらちゃんと起こしてくれるので、アラームなどを使う必要はなくなったのだ。


「ほんとに起きないから起こすの大変なんだよ」


「記憶ないんだよなぁ……」


 私的には雛乃に声を掛けられたらすぐに起きてるつもりなんだけど。


「何十回も声掛けてるし、そのうちの何回かは栞さん起きてるのに二度寝するから困ってるんだよ」


「うーん。それに関しては無自覚なんだよねえ」


「まあ、いいけどさ」


「いいの?」


 ここは非難を受けるターンだと思っていたのだけど。


「寝顔とか寝言、おもしろいから」


「……それは複雑だ」


「けっこうヒドイ顔してるよ?」


「えー……」


 まあ、確かに雛乃の方が毎日先に起きているから寝顔を見られるのは当然なんだけど。


 それを言われると羞恥心が湧いて来る。


 ただでさえ大した顔面じゃないのに、寝顔で崩れてる所を見られているのは問題だ。


「ていうか雛乃の寝顔とか見た事ないなっ」


 美少女は寝顔で美少女なのか、是非確認してみたい。


「先に起きなよ」


「善処しよう」


 正直、それが出来る日が訪れるような気はしていない。


「ちゃんと起きれるように戻しなよ」


「……」


 それは、雛乃がどこまで意識しているのか分からなかったけど。


 私にはとっては、いずれ訪れる別れの日を意識しての発言に聞こえた。


 この部屋からいなくなる雛乃、そしてまた一人になる私になっても大丈夫なようにと。


「安心して、こう見えて大人だから」


 それは、ほとんど強がりで。


 大人であればあるほど、自分がいかに子供かを理解している。


 どこまで行っても未熟な自分を、理想の姿に摺り寄せていく虚像。


 それをどうにか形にしているだけ。


「うん、知ってる」


 でも子供の雛乃にはまだそこまでは分からない。


 ほとんど虚像の私の部分を、大人として見てくれている。


 だから彼女は私の言葉を強く否定しない。


 いずれ私のほとんどが幼い人間であることを理解する日が来るだろう。


 でもそれはもっと先の話で、彼女が私の年齢に追いついた頃の話になるだろうか。


 十年以上は先の話だ。


 その頃は、彼女はどんな女性になっているだろう。


 きっと今よりも綺麗な女性になっていることは間違いない。


 そして、私は少しだけ年老いてそんな彼女が眩しく映るようになっているのかもしれない。


 そんな私たちを見てみたい気もする。


「まあ、雛乃も頑張って私に追いつくことだね」


「そうだね。栞さんみたいに自立した大人にならないとね」


「そういうこと」


「料理とか家事とかは、あたしもう大丈夫だと思うけど」


「おい、遠まわしにディスるな」


「あはは、そこは栞さんダメダメだから」


「強く否定は出来ないけど。社会人として働くのには必要ないってことだね」


「そっか。じゃあもっと別の能力がいるのか」


「って言ってるけど、実際は雛乃なら大丈夫だと思うけど」


「そうかなぁ?」


「うん、雛乃はコミュニケーション能力あるし。こんなコミュ障の私で何とかなってんだから、大丈夫だよ」


「栞さんがそう言ってくれるなら、心強いな」


 でも、そんな先の彼女を見る日は来ないだろう。


 私にとって、十年先はもうそこまで遠い未来じゃない。


 大きな変化を自分で起こさなければ、何となく見えている世界がある。


 私は強い変化を望んでいないのだから、この平坦な日常を続けていくだけ。


 でも、雛乃にとっては十年どころか、この数年先でも大きな変化を強いられるだろう。


 それは体も心も環境も。


 その時に見えている景色は彼女にとって、今とはずっと違ったものになっているはずだ。


 その時、彼女の隣にいるのは誰だろうか。


 誰にしたって、しがないアラフォーOLということはないだろう。


 それが寂しくもあり、でも喜ぶべきものでもある。


 雛乃には、正しく清らかな恋愛を謳歌してもらうことを願っている。


「さて、雛乃くん。私はもう眠いんだが?」


 そろそろ、話しはおしまいにして明日に備えようじゃないか。


「いや、あたしはもうちょっと話したいんだけど」


 元気だなぁー。


「話すことなんかもうないでしょ」


「なくてもいいんだよ」


「どういうこと」


「栞さんと話してるの、楽しいから」


「……はあ」


 うん、可愛いなこいつ。


「逆に栞さんがあたしに聞きたいこととか、ないの?」


 聞きたい事。


 それは雛乃の家出の原因、恐らく家族の問題かな。


 でも、今日はそれをするにはもう時間も体力もない。


 もうちょっと先、でも、もうすぐそこ。


 その日からカウントダウンは始まるだろう。


 この生活の終止符の。


「そうだねぇ。学校の成績とか?」


「……いいわけないの、分かってるよね?」


「いや、どれだけ低いのかなって」


「性格わりぃ……」


「心配もあるんだよ。高校卒業したらどうするのかなって」


「あー。何も考えてないなぁ」


 うん、さすがだな。


 私はそれなりには考えてたけどな。


「ちゃんと卒業はするんだよ」


「そこまでひどくないからっ」


「大学は?」


「……それはムリじゃね」


 まあ、別に大学が全てでもないしね。


「栞さんは大学行ったの?」


「一応ね」


 意味があったかと言われると分かんないけど。


「ふーん、じゃあ栞さんのような大人になるには大学を出とく必要があるのか」


「いや、そこら辺はどーにでもなるでしょ」


 というか私のような大人でいいなら誰にでもなれる。


 安心してくれ雛乃よ。


「栞さんは、あたしにどうなって欲しい?」


 ……なんだ、急にその質問。


 ふわっとしていて答えに困る。


 まあ、だけど。


「幸せになってくれれば、それでいいよ」


 まあ、それが一番難しいんだけどな。


「あー。それは簡単だね」


「はい?」


「それはもう見つかりそうだから」


「……そりゃすげえ」


 私の人生をかけてもまだ解決していない問題を、雛乃はもう解決できるらしい。


 羨ましいかぎりだ。


「後はあたしが努力するだけ」


「……なるほどね」

 

 若さも行動力もある雛乃がそこまで言うんだから、きっと大丈夫なんだろう。


 その幸せがずっと続くことを、私は願っている。


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