37 その気持ちを教えてよ


 しおり……しおりさんか。


 まだ言い慣れないけど、ちょっと新鮮な気持ちになる。


 あたしは結局、栞さんの家に戻って来た。


 あれだけ雰囲気たっぷりに去って行った後だから、すぐに戻ってくるのは正直恥ずかしさもあったけど……。


 それでも、栞さんがあたしのことを迷惑に思ってないことが分かったし。


 最後まで面倒を見てくれると、栞さんの方から言ってくれた。


 それが嬉しかった。


「……くぅ」


 そしてその栞さんは今、目の前でうたた寝をしている。


 仕事終わりだし、あたしのせいで心配をかけた後だから余計に疲れていたんだろう。


 ご飯を食べると、すっかり夢見心地になっていた。


「栞さん、そのまま寝ると逆に疲れるよ」


 とは言え、ベッドを背もたれに座っている状態で首だけ下を向いているのは体に負担が掛かる。


 まだお風呂にも入ってないし、ちゃんと寝るなら準備してベッドで寝るべきだ。


「……」


 だけど、栞さんは全く反応を示さない。


「ねえ、起きなって」


 仕方ないので体を揺する。


 ブラウスの上から伝わる肩の感触。


 少し暖かくて、あたしより一回り小さい体はこの手の平の中に収まりそうな気がした。


 そんなわけないのは分かってるけど。


「……むっ」


「え、あれ」


 栞さんは不機嫌そうに目を半開きにすると、あたしの手を握ってきた。


「……なにしてんのよ」


「いや、栞さんが寝てるから起こしたんだけど」


 寝ぼけているのか、状況はちゃんと理解できていないらしい。


「……私は、起きてるよ」


「今はね。さっきは寝てた」


「……そう?」


 微妙に会話がズレる感じは、やはり栞さんの頭が覚醒しきっていないせいだろう。


「そうだって。ていうか、いつまで握ってんの?」


「……ん?」


 栞さんはあたしの手を握ったまま放さない。


 恐らく反射的にやった行為で、そのまま無意識で握り続けたんだろうけど。


「なにこれ」


 にぎにぎ、と栞さんは手を握り込んでいく。


 思っていた以上に柔らかい指の感触と、やっぱりあたしより暖かい温度が何とも言えない感覚を伝えてくる。


「ちょ、ちょっと手だって」


 あたしは何だか変な気になって、その動きを止めるように促す。


 なんだか落ち着かない。


「ああ……手か。なんで、ここに手?」


「だから起こすためだって」


「……そうか」


 疑問は残しつつも、あたしの手だと理解した栞さんは力を抜く。


 解放された手の中に、栞さんの感触が残っている。


 そんな余韻を残しているあたしも変な気がする。


 どうしたんだろ。


 ……。


 まあ、いいや。


 今はそれよりもだ。


「ねえ、栞さんお風呂入らないの?」


 こまた首をこっくりさせ始めた栞さんに強めの声を掛ける。


 “むむっ”と変な返事をしながら、また目を半開きにする。


「……風呂はたまにしか入らん派じゃ」


 誰だよ。


「いつも入ってたじゃん」


「……めんどくさいぃ」


 いや、まあ分かるけど。


 眠い時に入るお風呂ほど大変なのは分かるけど。


「じゃあ、せめて化粧落としてから寝れば?」


「……こんな汚い状態で寝ても寝た気がしないぃ」


 この人どうしたいんだよ。


「じゃあ、どうするのさ」


「お風呂入れて」


「……ん?」


「雛乃が、お風呂、入れて」


 どうしてそうなる。


「自分で入りなよ」


「頭とか体洗うのめんどくさい。雛乃が洗って」


 そこまで言われちゃうと、思わず想像する。


 栞さんが服を脱ぎ裸になって、お風呂にいる姿を。


 きっと栞さんが自分で言っているよりも体の脂肪は少なくて、ちょっとだけ慎ましい胸なんかを気にしたりしつつ。


 そこにスポンジで体をこするあたし……って、いやいやっ。


「それは変じゃんっ」


「そんなことないよ、裸の付き合いって言うし」


「洗わされてるだけだよね?」


「だいたい、最初は裸で寝た仲だし。遠慮はいらないよ」


 ……そうだ。


 最初はそんなこともあったんだ。


 あの時は覚悟も決めてたのもあって、簡単に脱げたけど。


 今もそれを出来るか想像して、結構抵抗がある自分に気付いた。


 なんでだろう。


 ものすごい恥ずかしい気がする……。


「会話になってないし。もう、そのまま寝ちゃっても知らないから」


 このまま会話していると変な気分になりそうで。


 そうなるあたし自身も意味が分からなくて。


 その場から立ち上がる。


 先にあたしの方からお風呂に入ってしまおう。


「誰にでも、オッケーするわけじゃないんだけどな」


 後ろから、ほとんど独り言のような声。


 振り返れば、やはり夢の世界に突入しようとしている栞さん。


 姿勢は段々と崩れて行って、そのまま床で寝てしまいそうだ。


「……えっと、それって」


 栞さんは自分で言っていたけど、女性が好きな人だ。


 そんな栞さんに恋人はいない。


 じゃあ、栞さんにとってあたしってどういう存在なんだろう。


 最初の頃は、あたしの事が好みなんだろうと思ってからかったりもしてたけど。


 その気持ちはどこまでのものなんだろう。


 出会いは栞さんの方からあたしに声を掛けて来て。


 でも高校生だからと止めて、それからは一切何も求めてこない。


 なのに、こんなに面倒くさいあたしのことを最後まで面倒を見てくれると言ってくれた。


 それって、どういう感情なんだろう。


 全然わからない。


 ただ、一つはっきりしていることもある。


「酔っぱらっても眠そうでも、絶対あたしには手を出してこないよね」


 それは、栞さんにとってどんな意味をもつのだろう。


 あたしにとっても不可解だ。


 そして、なんでそんなことにこんなにヤキモキし始めているのか。


 変わりつつある自分の感情をコントロールできなくて、あたしはシャワーを頭にぶっかけることでリセットする方法しか思いつかなかった。


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