30 欲しいものはあるのに


上坂うえさかさんってさ、何か欲しい物ないの?」


「欲しい物?」


 朝、眠い体を起こして、お味噌汁を飲んでいると、ふと雛乃ひなの

が聞いてきた。


 いきなりだな、と思いつつも考えを巡らせるとすぐに答えは出る。


 恋人だな、うん。


 一人には慣れているつもりでも、突然襲い掛かる孤独感は年々ひどくなっている気もする。


 そろそろ、私も一生を添い遂げることが出来る人を見つけたかったり……。


 って、こんなの女子高生に言ってどうする。


 家族にだって、こんなこと言えやしないのに。


「一生働かなくていいだけのお金かな」


 お金があれば、それを目当てについて来てくれる人もいるんじゃないだろうか。


 それはそれで寂しいけど。


「なんか、思ってたのと違う……」


 私の回答がお気に召さなさそうな雛乃。


 まあ、私も思ってたのとは違うこと言ってるしね。


「いきなり、どうしたの。そんなこと聞いて」


「いや、単純に上坂さんのことまだ知らないことあるなと思って」


 私のことなんて知っても何の得にもならないと思うんだけどな。


 それでも雛乃は私に興味があるらしい。


「恋人いたのっていつが最後なの?」


「……」


 なんてことを聞いてくるんだ。


 そんな私の恥部をさらしてどうしたい。


「上坂さん?」


「私が残念な恋愛遍歴を辿っているのは察しがついているでしょう?」


 なのに、あえてそこを掘ってくるとか。


 どういう精神をしているのかしら。


「いや、そんなこと思ってないし。どんな人と付き合ってたのかなーって気になるし」


 黙秘権を行使する。


 ただでさえ人に言いたくないのに、10代にして絶対私より経験豊富であろう雛乃を相手にどうしてそんなことを言わなければいけないんだ。


「そういう雛乃の方こそどうなのよ。どれだけ多くの人を惚れさせてきたのかな」


「ないない、そんなのないって」


 なんか前にも恋人はいないって言ってたけど。


 過去にはそれなりの付き合いをしてたんだろう、どうせな。


「何人くらい付き合ってきたのよ」


「だから、ないって」


「……ん?」


「え?」


 いやいや、それはおかしいじゃない。


「……あのー。雛乃って、別に私みたいな人ってわけじゃないのよね?」


 女の子しか愛せない、私のようなアブノーマルな存在ではないはずだ。

 

 なし崩し的に、仕方なく私の相手をしてしまっただけで。


「うん、特にそういうのはなかったね」


「で、恋人もなし?」


「うん」


 ……え?


 じゃあ、なに。


 それって初めての相手が私になるってこと?


「あの……じゃあ、エッチ的な経験はなかったってこと?」


「ない、ね」


 ……ダラダラ。


 汗が、朝なのに汗が噴き出てくる。


 今さらすぎるけど、やはりとんでもないことをしてしまったんだと思う。


 さすがに経験くらいはおありなのかと思ってたんだけど。


 ほら、最近の子は早いって言うし。


「……」


「上坂さん?」


 ……どうしよう。


 これはいずれ、雛乃が家に戻る時は私もついて行った方がいいんだろうか。


 ご両親に土下座の一つでもしないと、許してもらえない気がする。



        ◇◇◇



「うーん……」


 上坂さんを見送ってから、喫茶店 椿つばきにバイトへやってきた。


「今日の上坂さん、途中から上の空だったなぁ」


 多分、経験があるかないかの話のせいだよね。


 上坂さんに、あたしの初めてを奪ってしまったと思わせてしまった。


 本当は上坂さんともしてないんだけど、したと言って騙しているから必然的にそうなってしまう。


 余計な罪悪感をまた植え付けてしまった。


「だったら、経験ありって嘘でも言っとけば良かったんだろうけど……」


 でも、そうとは言いたくなかった。


 なんというか、そういう軽はずみな人と思われたくなくて。


 ほんとに矛盾しすぎだ。


 住む場所のために体を売ったと騙しているのに、誰とでも体を重ねる軽はずみな人間だと思われくないだなんて。


 こんなの都合が良すぎる。


 なのに、上坂さんの前ではそう言いたくなってしまう。


 間違っていると分かっているのに。


 自分でもどうすればいいかのか分からない。


「おーい、手が止まってるぞぉ」


「あ、すいません」


 開店前の掃除をしていたのに、考え事をしていたらつい動きが止まっていた。


 まあ、そんなに急ぐ必要もないとは思うんだけど。


「どーせ、“開店してもすぐに人こないから良くねー”とか思ってんでしょ」


 バレてる。

 

「いえ、そんなことは……」


「頼むよ。ホールは雛乃ちゃんしかいないんだからさ」


 何でも以前働いてたホールスタッフは全治1か月の怪我をしてしまったらしく、あたしの短期バイトはその間の埋め合わせだった。


「とは言え、一ヶ月だけなのが惜しい人材ではあるんだよねぇ。でも雛乃ちゃんは一ヶ月でいいんだもんね?」


「あ、はい。とりあえずは」


「アルバイト初めてって言ってたけど、お給料を使う予定はあるの?」


「友達の誕生日プレゼントを買おうと思って」


 それがあたしの目的。


 それから先のことは、その時に考えればいいと思っている。


 少しだけお金を残しておけば、何かあってもどこかに行けるし、そこでまた働けばいいし。


「友達って、昨日の?」


「あ、そうです」


 察しが良い店長は、へえ、と興味なさそうにしながらも頷く。


「あの小柄の人。雛乃ちゃんのこと大事に思ってるよね」


「そうなんですか?」


 一瞬ちらりと見ただけなのに、どうしてそこまで分かるんだろう。


「うん、わたしが雛乃ちゃんに近づいたら鬼の形相でこっち見てたから」


「あ、そうですか……」


 でも、ちょっと嬉しいかも。


「めっちゃ睨まれるから悪いことしたのかと思っちゃったよ」


 “あははー、怖かったー”と、大して怖くなさそうに笑っていた。


 店長はいつも力が抜けていて、本心が見えない。


 そこら辺は感情がすぐに出る上坂さんとは違うなと思う。


「だから、プレゼントしたら喜んでくれるだろうね」


「店長はそう思いますか?」


「うん。きっとね」


「そうだといいな」


「何をあげるつもりなの?」


「まだ決めてなくて。欲しい物は聞いたんですけど」


「なんて言ってたの?」


 ……言っていいのかなぁ。


「“一生働かなくていいだけのお金かな”って」


「……あー。バイト代をそのまま渡す感じ?」


「ですかねぇ?」


 なんか違う気もするけど。


「いや、それはやめときなよ。大人が高校生に貢がせてるみたいになるから」


「ですよねぇ」


 実際はあたしが上坂さんに養ってもらってるんだけど。


 どっちにしたって歪な形で。


 このまま、どれだけ過ごせるのだろろうと。


 そんなことを思った。


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