17 悪い予感は無駄に当たる
「あれー、
背筋が凍る。
なかなかそんな体験をすることはなくなってきている今日この頃。
仕事の時以外でそんな状態変化を起こす場面なんて、ほとんどない。
それなのに、こんな休日に、しかも慣れ親しんだ声で戦慄することがあるとは。
いや、今回は親しい間柄だからこそ私は驚いているわけだが――。
「……だ、誰かしら」
恐る恐る振り返ると、そこには後輩の
白いトップスにグレーのタックの入ったハーフパンツに、黒のブーツという
ブランド物のネックレスやバックで装飾しているあたりはさすがに社会人だが……。
彼女は不思議そうに目を丸めながらも、休日だからだろうかいつも以上に砕けた表情をしている。
「あ、やっぱり先輩じゃないですかぁ。こんな所で会うなんて珍しいですねぇ?」
私だと確信したあたりでいつもの柔和な笑顔を浮かべる。
口調もさらに砕けて、いつも以上に緊張感のない感じで接してくる。
やはり、繁華街なんて来るべきじゃなかった。
「そうね、珍しいね。じゃ」
私は手を上げて、もうこれ以上はいいよとジェスチャーで表現して踵を返す。
このまま何事もなかったようにして退散させてくれ。
「それで、そちらの可愛い子は誰なんですか?」
「……」
ですよねー。
ばっちり見られてますよねぇー。
背中が洪水を起こしそうだった。
隣の雛乃を見ると、彼女は私の危惧していた事態を察しているので、どう表情を作っていいか迷子になっていて見たことのない変な顔になっていた。
「誰だろうね」
「さっきから先輩、なんで何も知らないふりしてるんです?」
何もなかったことにしたいからだよ。
勘づけよ。
感じろよ。
しかし、七瀬はそんな私をお構いなしに雛乃に興味深々である。
私と一緒にいる雛乃との関係性に興味があるに違いない。
彼女は社内でもゴシップ好きの情報収集屋として有名である。
彼女から社内の恋愛事情をいつも教わっていたりした。
それだけにこの状況を見逃すはずもないことを分かっているから、私は嫌なのだ。
「
雛乃は余所行きの声で頭を軽く下げる。
七瀬が私を先輩呼びしていることから関係性を推察してくれているのか、彼女なりに丁寧に接してくれていた。
「あ、これは丁寧にどうも。
やべぇ。
会話始まっちゃったよ。
「上坂先輩とは一緒の会社で働かせもらっていて、わたしがダメダメなのをいつも助けてもらってるんですよぉ。本当にお世話になっているんです」
「え、えっと、あたしは……」
こ、この女……。
自己紹介をすることでしっかり雛乃から情報を聞き出そうとしている。
この会話の流れで雛乃が何も語らないのは明らかに不自然だ。
そのおかげで雛乃がどう答えていいか分からず四苦八苦している。
さっきから、ちらちら雛乃が困ったように私に視線を送ってるもん。
困ってるのは私も同じなんだけどなっ。
「見ての通り友達だよっ」
私がカットインする。
必要以上の情報は提示しない。
幸いだったのは雛乃が制服姿ではなく買ったばかりの私服姿であったということだ。
これで押し通す。
「先輩にこんなかわいいお友達いたんですか?」
「なんだその引っ掛かる物言いは」
「だって先輩、“友達とか会うことないし遊ぶこともない”って断言してたじゃないですかぁ」
うん、やはり常日頃から余計なことを言わない方がいいなと思った。
プライベートがないことを晒すのも、プライベートな情報になるのだと初めてここで痛感する。
「この子だけは特別なの」
色んな意味で。
「でも先輩のお友達にしてはタイプがけっこーちがうというか……若い?」
七瀬がじろじろと雛乃を見やる。
やはりギャルな見た目と、じっくり見るとその若々しさを隠しきれないか。
特に鋭い察しの良さをもつ七瀬は侮れない。
「わたしは23才なんですけど、おいくつですか?」
「あ、えっとー、なんていうか……忘れた的な?」
「上坂先輩と同じで、どうして自分の年齢すら分からなくなっちゃうんですか?」
確かにそれは無理がある。
雛乃も精一杯誤魔化そうとしてくれているが、逆にそれで怪しさ倍増。
さっきから私と雛乃の空気は急によそよしく変なものになっている。
七瀬はそれを敏感に感じているし、それを明瞭にさせようと矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
雛乃は眉を寄せて困ったように私に表情で助けを呼びかける。
「七瀬よりは年下だよ、それより私たちは急いでるからもう行くね」
というわけでもはや敵前逃亡。
忙しいアピールして、雛乃の手首を握って退散しようとする。
「あ、そうなんですかぁ。
年下と分かるや否や、名前呼びだって……!?
なんだその距離感の縮め方は。
ていうか私もまだ名前で呼んだことないのに……!
あ、いや問題はそこじゃない。
変なことに意識をとられて、また脱するタイミングを失ってしまった。
「あ、うん。一緒に洋服を……」
雛乃は手に持っている買い物袋を少し持ち上げる。
七瀬もこれを見て察したのだろうし、これ自体は何の問題もない。
休日にショッピングなんて普通のことすぎるからな。
「へぇー。ほんとうに仲いいんですねぇ。“服とかもうネットでいいから、外で買い物に行くとか疲れてムリ”って先輩、前言ってましたよね?」
ああ……本当に余計なこと言うもんじゃないなぁ。
私にとってはそんなことも普通じゃないんだなぁ。
特に相手が七瀬なのが悪い。
こいつは社内で最も私のことを知っている。
「たまにはね。私だって買い物する時くらいあるから」
「なるほどー。まあ、これだけかわいかったら一緒に服を見たくもなりますよねぇ」
ジロジロと七瀬は雛乃に対する好奇の目線を隠さない。
「そ、そうかなぁ……えへへ」
さっきから“かわいい”と連呼され、まんざらでもない雛乃が笑顔をこぼしている。
簡単だな、こいつっ。
でも単純で可愛いなっ。
「どこで寧音ちゃんは上坂さんとはどうやって知り合ったの?」
「それは、その……」
街で酔っ払った私がお持ち帰りしたんだよっ。
言えるわないけどなっ。
ダメだ、これ以上は危険すぎる。
このままいたら情報の全てを搾り取られる。
私と雛乃の関係性はトップシークレットなのだから、もうダメだと私の警報アラームが鳴りやまない。
「なんだっていいでしょ。そういうあんたこそ、何しに一人で街に来たのよっ」
「あ、はい。これからランチの待ち合わせでぇ」
ちらっと七瀬は手首の時計を見る。
いつもの男案件か。
それならそれで勝手に楽しんでちょうだいな。
「そうか、それはお邪魔しても悪いからね。私達はこれで失礼するねっ」
「あ、でももう少し時間あるのでわたしは全然いいですけど」
こっちはもう一秒たりともあんたと一緒にいたくないの。
私も雛乃も誤魔化すの下手なのは今の一瞬で痛感したので、もうオサラバしたいのっ。
「いや、私達もこれから忙しいのっ。じゃっ」
もうダメだと雛乃の手をとって歩き出す。
雛乃もそれに合わせて私についてくる。
「ざんねーん。寧音ちゃん、今度一緒にお茶でもしようねー」
「あ……はあい」
雛乃も曖昧な返事を返す。
そんなことあってたまるかと、その思いを強くすると手にも思わず力が入った。
「知り合いに会っちゃったね」
雛乃がいつものトーンで私に声を掛けてくる。
二人になってようやく空気が落ち着いてくる。
「まったくだよ、困った困った」
「……あたしとしては上坂さんの知り合いに会えるの新鮮だけどね」
「そう?」
「うん」
そんなよく分からない感想を述べて、私と雛乃は繁華街を後にする。
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