18 あたしの知らない上坂さん
逃げるようにして進んで行くその速度は、やっぱり見られたくなかったんだろうなぁと少しだけ暗い気持ちになる。
あたしの手を握っている上坂さんの手は熱い。
でもその熱さは、あたしを見られたこととか、プライベートな上坂さんを見られたこととか、きっとそんな焦燥感からきている。
なんか、そういうのって微妙だなぁと素直に思った。
「上坂さん、あの人って職場の後輩、なんだよね?」
「そうだよ、社内のゴシップはほとんど把握しているような子。まずった、一番タチが悪い子に見られてしまった……」
上坂さんはもう片方の手で頭を抱えながら、あたしのことは一瞥もせずに歩き続ける。
今の上坂さんにはあたしのことは一切頭にはなく、遠い未来とついさっきの過去を往来しているに違いない。
それも面白くなかったりする。
モヤモヤとあたしの中で良く分からない感情が渦巻いて行く。
「そう言うわりには、仲良さげだったじゃん」
「ん?……ああ、あの子は私のこと舐めてるからね。だから、そう見えただけじゃない?」
上坂さんは自分のことを“職場では遠ざけられがちで、いつも一人でいる哀れな女だよ”みたいなことを言っていたことがあったけど。
全然ちがうじゃん、と思った。
あれは舐めているだけで接してくる距離間じゃない。
確かに話し方に軽かったけど、その根底には上坂さんに対する親しみも見え隠れてしていた。
それに……。
「綺麗な人だったね」
何というか七瀬さんを見た時、やっぱり大人ってちがうなって思った。
上手く言葉には出来ないけど、メイクは自己主張が少ないのに丁寧で質が良い感じとか、背筋の伸ばし方とか、服の着こなしとか。
とにかく全体の雰囲気が完成されていた。
「……あの子は最近自分磨きも頑張ってるぽいからね。確かに垢抜けたかもね。そして努力しない私を心の中で見下してるんだよあいつは……くそぅ」
最後にどうして上坂さんが卑屈になるのかはよくわからないけど。
だけど、上坂さんも綺麗だと認めたことには変わりない。
ああいう雰囲気は、綺麗や可愛いとされるあたしの友達やクラスメイトの中でも誰一人持ち合わせていない。
というか子供である限り、ああいう大人の洗練された雰囲気は出せないんだと思った。
勝手に知って、勝手に敗北感みたいなものを感じている。
その事で、あたしはモヤモヤしているように思う。
「上坂さん、ああいう人は好みじゃないの?」
綺麗で、洗練されて、上坂さんに親し気に接してくる若い人。
上坂さんの好きそうな感じじゃん、と思った。
「あー、あれは男遊びに夢中だから。付き合った彼氏によって意見を180度でも平気で曲げる恋愛体質だからね、あんまり触れない方がいいんだよ」
微妙にそれは答えになってない。
男の人と遊んでいることと、上坂さんの好みの話とは全くの別物だ。
むしろ、話題を逸らしたことでほんとは気に入っているんじゃないかと勘繰ったりしてしまう。
そして、どうしてそんなことまであたしは気にしているのか。
あたし自身も謎だった。
「でも職場では七瀬さんに仕事のこと教えたりしてるんでしょ?」
そんなことをさっき七瀬さんが言っていた。
「あー……一応、教育係だったしね。その流れで今も教えたりはしてるけど。ていうかなに、さっきから七瀬のことばっかり、どうしたの?」
「いや、なんとなく」
職場で、教育係をしていた。
それなら距離感も近くて、過ごしてきた時間も長いはずだ。
上坂さんの近くにあんな綺麗な人がいるのか、と思ってしまう。
会社という場所には、ああいう人がもっといたりするのだろうか。
「大人の人って綺麗だね」
「そりゃあ、みんなJKを終えてからも自分磨きしてるんだからねぇ。それなりにはなるよ」
確かにそうかもしれないけど。
でもそれは女子高生であるあたしには、どうにもできない現実でもある。
まだ子どものあたしには、その壁を超えるお金も、実力も、手段も、時間すらない。
「ていうか、さすがにもう職場の人がいたりしないよな……?」
上坂さんは当たりをキョロキョロと見回す。
知り合いの人に会いたくない。
それは、本来は上坂さんとは関係ないはずの人間であるあたしと一緒にいることを知られたくないからだ。
「いたらどうする?」
「逃げよう。もし会話することになっても、さっきの七瀬の時みたいに“友達”の強行突破で押し切るよ」
人には教えれられない関係性。
“友達”という偽りを言わなければいけない関係性。
それは、あたしが起こした行動の結果でしかないのは分かっている。
そんなことは最初から分かっていたし。
別に気にすることもなかった。
なのに、なんで今はそれがこんなにも気になるのだろう。
「こりゃ週明け、七瀬に質問攻めにされるな。なんか対策を考えとかないと……」
「なんか、ごめんね」
「え?なにが」
「あたしのせいで面倒なことになっちゃって」
上坂さんは“あー……”と言葉にならない声を漏らして視線を少し泳がせる。
「これくらいは覚悟の上だし、大丈夫」
「……そっか」
やっぱり、迷惑なんだろうなぁと改めて思う。
いくら家事を手伝ってるとは言え。
あたしは上坂さんにとって不利益でしかない存在。
こうしてお金ばかり掛けさせているし。
プライベートの時間にまで浸食してしまった。
それって、あたしは上坂さんにとってマイナスしか生んでいないことになる。
それは嫌だ。
最初は家出ができれば何でもいいやと思っていたけど。
今は上坂さんの邪魔にはなりたくないと思ってる。
でも、どこかに行く当てはないし。
帰る気はやっぱりない。
それにあたしは上坂さんとの生活に居心地の良さを感じ始めている。
邪魔になりたくないなら去るべきなのに、ここにいたい。
そんな自己矛盾。
思いは堂々巡りを繰り返すばかりで、答えは最初の位置から微動だにしない。
「とにかく、家に帰らないとって感じね?」
「そうね。あそこが安住の地。さっさと戻るよ」
結局、あたしはまだ上坂さんとの時間を失いたくないんだなと分かった。
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