10 朝日を浴びて


「……ん」


 ぱちり、と目を覚ます。


 カーテンの隙間から朝陽が零れている。


 スマホを覗くと時刻は7時前、いつもアラームに叩き起こされる私だが今日は先に起きてしまった。


 アラームが鳴る前に起きた時、例えそれが残り1分でも二度寝を試みる私だが(無謀な行為だとは自覚している)、今日はそんなことをしなくても良さそうだ。


 妙に目が冴えているのだ。


 よく眠れた気がする。


「う~ん……はあっ」


 体を起こして、伸びる。


 久しぶりに睡眠をちゃんととれた気がするのだが。


 なぜだろう……?


「ううんっ……もう起きたのぉ?」


「おおうっ」


 隣がぞもぞと動き出すと、それは寝返りを打ってこちらを向く。


 妙に暖かく、心地よい香りがするのは金髪の美少女だった。


 そうだった、今日も雛乃ひなのと一緒に寝たのだった。


「ごめん、起こした?」


「いや……いいんだけど」


 この人と一緒に寝る体温の感じがちょうど良かったのか。


 久しぶりにまともな食事をとれたのが良かったのか。


 それともお風呂に入れたのが良かったのか。


 なんにしても全部、雛乃のおかげのようで焦る。


 困っている対象のはずが、私の体調を整えられたりしたらどういう目線で立てばいいか分からない。


 きっと今日はたまたま目覚めが良かったのだと思う事にする。


「あんたはまだ寝ててもいいよ」


「平気だし……てか、今何時?」


 そうは言いつつも、雛乃は目を閉じたまま口だけを動かす。


 眠いのだろう。


 その子供らしい仕草は正直、可愛いなと思う。


「7時前」


「……はやくね?」


「普通でしょ」


「……下手したら寝る時間なんだけど」


「あんたそれ学校絶対行けてないでしょ」


「……たまにね。たまにの話」


 むにゃむにゃと混濁とした意識の中で喋っているようだが、さすがギャルだな。


 夜遊び後の朝帰り、昼まで寝て学校をサボったりしていたのだろう。


 勝手にそんなことを妄想したりした。


 なんにせよ、働いている私にそんなことは出来ない。


 ベッドから体を起こして、雛乃をまたいで立ち上がる。


 スーツに着替えて、髪をセットし、化粧をしなければならない。


 クローゼットのある部屋へと向かった。







「あれ?」


 身支度を整えて居間に戻ると、雛乃がキッチンに立っていた。


 何かを焼いてくれてるようである。


「あー……上坂うえさかさん。おはぁ……」


 目を半開きにしながら、力なく声を出している。


 まだ半分は寝ているような感じに見える。


「おはよう」


「……もう出来るから。とりま、座ってて」


「あ、うん」


 よく分からないが朝食を用意してくれているらしい。


 そんな半分寝ている状態で、よくやってくれている。


 しかし、立って作業してもななお、あんなに眠そうな人は初めて見た。


「はい……どぞ」


 テーブルの上にはマーガリンで焼いたトーストと小皿にヨーグルトが置かれていた。


 パンはいつも素のまま食べたりとか、何なら何も口にせずに家を出ることもあるので、こうして用意してくれるのは嬉しい。


「ありがとね」


「いいってことよ……」


 まだ覚醒しきれてないのか、返事がおかしい。


 雛乃は座ると、じーっと私の方のパンを見てくる。


「あ、上坂さんジャム塗る派?冷蔵庫の中に苺ジャムはあった気が……」


「あ、や、いいよ。これで」


「そう……召し上がれ」


「いただきます」


 サクサクとトーストされたパンの小気味の良い食感とマーガリンのほんのりとした甘さ、ヨーグルトもプレーンな味で胃に優しい感じがする。


 そんな私の様子を雛乃は黙って見ている。 


 彼女の前には、何も置かれていない。


「雛乃は何も食べないの?」


「あ、うん。朝から食べれない」


 まあ、今にも瞼が落ちそうな目をしているからね。


 食欲どころではないだろう。


「そんなに眠いなら無理しなくていいのに」


「いや、大丈夫。この後、寝るから」


「……あー。なるほどね」


 そうだよな。

 

 この子、何も用事ないんだもんな。


 いくらでもこの後、眠れるのか。


 純粋に羨ましい。


 雛乃はその後も頭をカクカクと落ちそうになりながら、何とか起きていた。







「それじゃ、行ってくるね」


 朝食を食べ終わり、玄関へと向かう。


 雛乃は律儀にも付いてきてくれて、お見送りをしてくれるようだった。


「あ、ちょっと待って」


「え?」


 そう言って雛乃はパタパタと居間に引き返す。


 戻ってくると、どこかで見覚えのある手持ちサイズの黒い保冷バックを差し出してきた。


「なにこれ」


「お弁当」


「……マ?」


 あ、やばい。


 雛乃の言葉遣いが移った。


「マ。食材そんなにないから大した物作れてないけど、ないよりマシかなって」


「よくこのバック見つけたね」


 これも社会人デビューの時に親が買ってくれたものだ。


 今の今まですっかり忘れていたものだけど。


「なんかキッチン周り見てたら新品かなってバックとお弁当箱見つけたから。使ってないんだろうなって」


「お弁当なんて用意できるわけないからね」


 そもそも夜ですら料理しないのに。


「そっかぁ……上坂さん、しっかりしてそうなのに。そういう所は生活能力低めなんだねぇ……ふぁあ」


 欠伸を交えてさらりと年上のお姉さんを軽んじてくるギャル。


 いや、言っている事はその通りなんだけど。


 朝に不適応な彼女もそれなりに生活能力は低そうなのだけど。


 けれど、こうして食事をしっかり用意してくれると何も言えない。


「雛乃は、家事能力は高いよね」


「いや、あたしなんて何も出来ないダメ人間だから」


 ははっ、と軽く笑っている。


「少なくとも私より料理は出来るけど」


「あたしが出来るようなことなんて、上坂さんがやる気になったら余裕だって」


 さも当たり前かのように言ってくれるが。


 雛乃はまだ私を見誤っている。


 私の方こそ基本的に何も出来ない人間なのだ。


「でも本当にありがとう」


 雛乃からランチバックを受け取る。


「あ、そういえばさ……」


「なに?」


 扉に手を掛けたところで、声を掛けられて振り返る。


「夜ご飯、何食べたい?」


「……え、そんな用意も出来るの?」


「まあ、ある程度なら。知らないものでも調べれば出来るだろうし」


「すご」


 その金髪も相まってか、雛乃から後光が差してきている気がする。


「食べたいのとか、好きな食べ物とか、ないの?」


 しかし、私も決して朝に強いというわけではない。


 夜に何を食べたいかと朝一に聞かれても分からないのが正直なところだ。


「夜はハンバークとかカレーとか、餃子とか食べること多いかな」


 もちろん、出来合いの物だけどね。


 とりあえずよく食べる物を列挙した。


「あはは」


「何か面白い所あった?」


「男の子みたいだなって、好きな食べ物」


「……悪かったわね、可愛くなくて」


 仕事終わりはある程度がっつりと食べないとエネルギーを補給できないのだ。


「いや、かわいいよ」


「……変なこと言わないでよ」


 普通に返されて返事に困った。


 雛乃は“ギャップでいいじゃーん”とか意味わからんことを言っていた。


 この歳で可愛いもギャップもないでしょ。


「どれか作っておくね」


「……わかった」


 扉を開ける。


「それじゃ、行ってきます」


「行ってらっしゃーい」


 ひらひらと雛乃は手を振る。


 眠そうな瞳はそのままに、目を細めて笑みを浮かべていた。


 そんな姿を捉えたまま、家を出た。


 ――カチャン


 と、雛乃の方から鍵を閉めてくれていた。


「……新婚生活って、こんな感じか?」


 いや、待て待て。


 女子高生を相手に結婚生活って何だよ、と自分でツッコむ。


 そんな浮ついたことを考えてしまうくらいには、気分が高揚していたのかもしれない。

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