11 変化に敏感な人
「やっぱり男の人って、経済力が大事だと思うんですよぉ」
「はあ……」
職場での昼休みになった途端、後輩の
どういうつもりか知らないが、その手の話題を私に振るのは嫌がらせだろうか。
普通の感覚で言うと嫌がらせに他ならないのだが、この子は感覚がおかしいことも知っているので何とも言えない。
「お金を稼げる人だと頼りがいありますし、安心感もありますよねぇ」
「気のせいかな。この前は“働いてくれていたらそれでいい。何よりも思いやってくれる優しさが大事っ”……的な発言を
「あはは、やだなぁ先輩。わたしだって意見が変わる時くらいありますよぉ」
つい2週間前の話だけどなっ。
そんなコロコロと気分で主張を変えないでもらえるかなっ。
「そもそも経済力があれば人としての余裕が生まれますからね。それが優しさにも繋がるんですよ」
「今、思いついたように以前の主張を織り交ぜないでくれるかな」
「バレました?」
バレバレだよ。
……とりあえず、七瀬は懐に余裕のある殿方とお近づきにでもなったのだろう。
状況に合わせて価値観を一瞬で変容できるのは、彼女の柔軟さだとも理解している。
悪く言うと節操がない、だけど。
私はそういう柔軟さもなく、いつまでも昔に囚われているからこうして一人なのだろうし……。
おおっと、これ以上暗い方向に話を持っていくな。
メンタルが闇落ちする前に思考を放棄する。
七瀬の恋愛講義も終わった所で、私は
デスクの上にお弁当箱を広げる。
中身は蒸した鶏肉に大根おろしのソースを絡め、卵焼き、サラダが詰められていた。
なんか、体にも良さげで美味しそうなんだが。
「いただきます」
挨拶して箸で摘まむ。
鶏肉は歯切れが良くさっぱりとした味つけで、卵焼きはほんのりと甘く、サラダはレタスや豆腐との食感の差が心地よい。
雛乃の結婚した旦那は、将来こういう物が食べられるのかぁ……と謎の妄想を膨らませてしまった。
「……先輩?それ、なんです?」
横からずいっと七瀬が顔を出してくる。
いつも七瀬は職場の同期や知人と外食に向かうので、昼休みはすぐにデスクから離れる。
そのためもうすぐに行くかと思っていたのに、驚いて反射的に身をすくめてしまう。
「な、なにって……普通にお弁当だけど」
「先輩がお弁当なんて、初めて見たんですけど」
なぜかそんなことを気に掛ける七瀬。
こういう変化を見逃さない所が彼女の嗅覚の鋭さなのか、私自身のタイミングの悪さも感じる。
「た、たまには私だってお弁当くらい食べるから」
「“お弁当を作るのに掛かる時間とか食材費とか計算したことある?出来合いの物を買った方が絶対にコスパいいから”って身も蓋もないことを言っていた先輩が?」
ああ、そんなこと言ってたこともあったなぁ……。
自分で言ってる時は正論だとしか思えないのに、他人から聞くとやけに拗らせているのがよく分かる。
「たまにはコスパ悪いこともありかなって」
「先輩?コロコロと主張を変えると一貫性がない人だと思われちゃいますよ?先輩は頼られてるんですから、軸はしっかりしないと」
お前にだけは言われたくねえぇ……。
なんかしたり顔で語ってくるけど、私のその主張なんて数年前からのものだからな。
少なくとも、2週間で意見を手の平返しさせる七瀬にだけは言われたくない。
「で、誰に作ってもらったんですか?」
言い返そうとしたのに、七瀬が急に話題を変え、しかも嫌な所のど真ん中を突いてきて言葉を失う。
「……いや、自分で」
「普段料理をしない先輩がそんな綺麗なお弁当作れるわけないじゃないですかぁ」
「なんで断言できるのよ」
私の料理の腕前をなぜ知っている。
壊滅的なのは事実なのだけど。
「先輩が食に無頓着なのは知ってますからねぇ。あれですか、彼氏ですか?」
結局、そこに持って行きたいだけの七瀬である。
しかし、当たらずも遠からずという所が恐ろしい。
「いや、彼氏にお弁当作ってもらうとかないでしょ」
逆ならまだしも。
「今時それくらい不思議じゃありませんって。特に先輩にはそういう包容力のある男性の方が向いてると思います」
「勝手に私の恋愛観を語ってくるな」
「それで、誰に作ってもらったんですか?」
七瀬は私の話を聞いてるようで全く聞いていない。
私から香っている第三者の気配に興味深々といった様子で、その変化を面白がっている。
その嗅覚と他人に対する興味には恐れ入る。
しかし、その情熱を仕事の方に向けてくれないだろうか。
「私です」
まさか、女子高生に作ってもらったなんて口が裂けても言えるわけがない。
ここは押し通す他にない。
「嘘です。先輩はそんなこと絶対しません」
「料理を始めるようになったの」
「彼氏が出来たから、その人のために作るようになったってことですか?」
「話しを全部そっちに持っていくな」
恐ろしいピンク脳だ。
「じゃあ、どうしていきりなりそんなこと始めたんですか?」
「……将来のためよ」
いずれ現れる旦那様のために。
花嫁修業的なことを始めた、そんな設定にするしかないだろう。
「……先輩」
「なによ」
七瀬は急に目を細めて、何やら遠くを見つめたような表情を浮かべている。
そんな哀愁漂う空気を出される意味はさっぱり分からないが。
「先輩が目標に向かってコツコツと努力できる人だって知ってますし、仕事においてその姿勢をわたしはとても尊敬しています」
「え、あ、うん……」
なんだ、急に褒められたぞ。
後輩とは言え、常に仕事を一緒にしている人に評価されて悪い気はしない。
「でも、彼氏を作る努力をしないのに、デキた後のことだけ考えて練習するのは何か違う気がします……現実逃避っぽいです」
あ、ちがう。
こいつ、私を可哀想なものを見る目でそんな物憂げな雰囲気になってたんだ。
完全に憐れまれている。
「ていうか、正直怖いです」
「勝手なことを言うなっ」
「先輩、歳の割には若く見えて可愛いんだし。もっと彼氏を作る直接的な努力をしましょうよ」
「……う、うるさいなっ」
褒めと憐れみを同時にされて情緒がおかしくなる。
仕事はともかく、プライベートな話になると七瀬の手綱を上手く握れない。
「ていうか、今、歳って言った!?」
七瀬、やっぱり私のことを馬鹿にして……!?
「先輩がその気になったら、そういう場をセッティングしてもいいですし。なんだったら男性も紹介しますからっ」
要らない親切心。
そんなものなくたって、私は――
「間違った方向にだけはいかないで下さいね?」
「うっ……」
“間違った方向”
その単語に言葉が詰まった。
「七瀬、ごめーん。待たせたぁ?」
入り口から別の部署の女性スタッフが声を上げている。
それに合わせて七瀬が手を振る。
「ううん、今行くー」
七瀬はデスクから離れて行った。
「……」
何も言い返せないのは、女子高生を家に住まわせてしまった過ちゆえか。
それとも恋愛観に対して七瀬の意見が的を射ているからか。
どちらにせよ、私に問題があることに変わりなかった。
……まあ、私、彼氏なんて必要ないんだけどね。
そう言い聞かせる度に
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