第128話『和弓を介し、継ぐ想い』

 選考会は無事に終了。あとはこの冷たい雨が降る中、帰るだけだ。傘をさし、車へと向かいながらも、弓具を持ち、隣を歩く矢野に選考会の感想を聞いてみる。


「どうだった、少しは勉強になったか?」

「選手の人から色々な話が聞けて、勉強になったわ。ただ待機中は静かだったけど、終わった途端あれだもの」

「ははは、そっか」


 俺の前方では傘を持ち、はしゃぐ藤原や他校の選手達。遠足にでも来たかのような様子だ。榊原はやはり、あの子にキーキー言わされているようだが、意外とお似合いかもしれない。

 

「ねえ先生。タバコ吸わないの?」

「ん、あぁ。少し減らそうと思ってな」

「そうなのね。でも、ステージ上で言ってた事は……本気なの?」


 いつもと少し違う矢野の雰囲気に、さっきの言葉を思い返してみる。もしかして、技や知識を託すと言った言葉が気にかかっているのだろうか。


「本気だよ。ただ、俺としては手探りの部分もあるし、実際どこまで教えてやれるかは正直わからない。それに」

「……それに?」

「俺が目指すのは、来年のインターハイでの優勝。それが第一目標だ」

「……………」


 俺は歩く足を止め、立ち止まった矢野の様子を伺った。珍しく暗い表情をしているようにも思うが……。俺は沈黙を続ける矢野に、言葉をかけた。


「矢野の先輩は凄い選手だ。選考会を1位通過するほどにな。でも藤原は来年卒業し、今度は矢野や榊原が先輩となる」

「そうね………」

「だけど、その藤原の想いを背負うのは他の誰でもない。矢野だ」

「それは……どういうこと?」

「いま矢野が持っている弓だよ」


 その弓は、藤原が強くなりたいと願ったときに部費で買った弓だ。藤原が卒業すると同時に、それは誰かが使う弓となる。


「その和弓を介して、使い手の想いを後輩へと繋げていく。もし自分が強くなりたいと思うなら、その弓を引けるようになれ」

「この……弓を? わたしが?」


 傘をうちつける雨の音。それは弾かれ、舗装の上へと落下していく。矢野の袴の裾は、濡れていた。

 一瞬の突風が、矢野の持つ傘を吹き飛ばす。


「―――あ!?」

「ほらよ」


 俺は持っていた自分の傘を、矢野と弓が濡れないように差し出した。俺の上着は濡れていくが、そんな事はどうでも良かった。


「先生……」

「なさけないと思う気持ちがあるなら、挽回すればいいだけだ。藤原みたいになれずとも、矢野のやり方で弓を引けばいい。弓の技術に答えはない、それを証明するのは結果だけだ。それがどんな結果になろうとも、先輩が目標まで引っ張ってくれたその道は、後輩達が受け継ぎ歩む。そうやって想いを繋いで強くなっていくんだ。それが和弓であり、弓道だ」


 俺の縛った髪が濡れ、静かな沈黙の時が流れた。

 やがて、矢野は俺が差し出した傘を右手で受け取ると―――微笑んだ。物静かなその表情は、澄み切ったような嬉し顔で。

 うるんでいるかのような瞳はきらびやかに、その肩ほどまである黒髪を、冷たい雨風になびかせて。左手で抱える和弓を、濡れたビニール越しにギュッと抱きしめて。


 飛んでいった傘のほうから、榊原の大きな声が聞こえてきた。


「おーい先生、傘飛んできたぞぉ〜!」

「ああ、飛んじまったんだ。今とりにいく」


 俺は傘をとりにいくため、歩き出そうとしたその時。


「後藤先生。その……これからも稽古の指導を、よろしくお願いします」

「あぁ、当然だ。ほらいくぞ、藤原と榊原が待っている」

「はい」


 首筋にあたる雨を感じながらも、手を振る榊原の元に少しかけ足で。案外冷たいものだなと思う。ただ、教え子達が悔しいと思う気持ちを抱えてしまったのは、俺の責任でもある事に負い目を感じて。

 やはり、俺なりに悔やんでしまう気持ちもある。


「すまんな榊原、助かった」

「ほんとだよなあ。先生がドジするなんてなぁ! 不思議!」

「ははは、まぁそう言うな」

「そうそう、安大寺高校の先生が、後藤先生にこれ渡してくれってさ」


 榊原から傘を受け取ると、一緒にメモ用紙を受け取った。そこには連絡先と、謎のメッセージが書かれてあった。


「なんだこれ?」

「なんかさ、安大寺の先生は転入してきたアイツに影響されて、弓を引く練習してんだってさ。それにしてもすげぇよな〜。先生おっさんなのにモテモテじゃん!!」

「おっさんは余計だろ……でも弓を教えてくれって事だろう」

「知らね〜。でもさ、やっぱりすげぇよ!! それにあたし、やっぱり後藤先生で良かったと思う!」


 榊原は腰まである金色のポニーテールを揺らし歩いている。物柔らかな様子なのに、まるで心が弾んでいるかのようだ。

 髪は濡れながらも、左手で差している傘は、弓道衣の懐に入れてあるゆがけと、お腹あたりで大事そうに抱えている矢筒を、濡らさないようにしながら。

 

「なにが良かったんだ?」

「あたし、中学時代は入賞することで頭がいっぱいだったからさ。でも先生に弓道を教えてもらってさ、新しい目標も出来たんだぜ!」

「どんな目標だよ?」

「来年は、弓道FPS盃の代表選手になる!! それと、今度はあの桃山高校の坂本に勝つ!!」


 そうか、榊原は大きな目標を抱えたもんだ。表面上では分かりにくかったが、やっぱり悔しいと思っている気持ちはあったか。それとも、藤原が代表選手になった事に影響されたのか。まぁ、どっちだっていいさ。


(安心したよ)


「そうか、じゃあしっかり稽古しないとな。もちろん、みんなでな」

「みんな?」

「目標があるのは、あなただけじゃないって事」

「なんだぁ、話聞いてたのか。盗み聞きかよ?」

「なにが盗み聞きよ、あんたの声がデカいのよ」


 その場で立ち止まり、揉める2人を残して、白いバンの横で待つ藤原の元へ。なぜか傘を差しておらず、畳んだ傘を手に持ちニヤニヤしていた。寒くないのだろうか?


「なぁ先生、温かいものが食べたい!」

「それはいいけど、なんで傘差してないんだ?」

「なんとなくだ!!」

「はぁ……なんとなくね……とりあえず乗れよ、風邪ひくぞ」


 マイペースすぎんだろ。藤原は車へと乗り込むと、俺は荷台のドアを開け、傘を畳む。

 なぜか藤原は後部座席から身を乗り出し、俺の方をジロジロと見始めた。


「今度はなんだ?」

「クックック、なんでもないぞ」

「………そうかい」


 遅れてこっちに来る矢野と榊原に目を向けると、そこには相変わらずの2人。ただいつもと違うのは、大事に弓具を持ってきていると言う事だけ。ただいつになったら揉める事がなくなるのだろうか……はぁ。

 

「なぁ先生。私が卒業したあとの事だが、聞いてほしい」

「ん?」


「――――――――――――。なのだ」


「おいおい………。まぁ、分かった」

「クックック! 私と先生だけの秘密だ!」

「やれやれ。藤原の秘密を抱えるとは、困ったものだな」


 気が済んだのか、前の座席に移動していく藤原。俺は榊原と矢野に目を凝らす。

 もしかして藤原は、夏のインターハイの時、みんなの気持ちを分かっていたのかもしれない。だとしたら、申し訳ない気持ちとなってしまう。

 でもな、そのおかげで、今の2人は確かに成長している。妹尾や妖狐を引っ張るだけの実力はまだないかもしれない。それでも、その目標に対して、まとまり始めているように感じる。

 後藤葵として、来年はインターハイで笑いたいと願う気持ちに応えてやるために。もしその願が叶ったなら、その時は俺も……。


(晴れてあの喜びを―――もう一度掴めるだろうか)


「だからぁ!! 矢野はあたしのサポート役だろ!!」

「はぁ? なんであたしが榊原のサポート役なわけ? ふざけないで!」

「んだとこのぉぉぉぉ!! 琴音ぇぇぇ!」

「えらそうに! 舞のわからずやがぁぁぁぁ!!」


 でもこれじゃ、先が思いやられそうだ……はぁ。


「なんでもいいけどさ、早く乗れよな」

「クックック、せんせ〜お腹すいたのだ!」

「……そうだね」


 内心呆れながら、騒がしい声を聞きながらも、空を見上げた。そこに映る景色は、祝福とは言い難いものだろうと思う。ただ、少なくともここにいる問題児達には、あまり気になってない雨のようにも思える。

 インターハイに負けたからこその気持ち、もしそうであるなら、雨上がりにかかる虹は、綺麗なものとなるだろうか。


 ***


 こうして、インターハイで敗北を味わいながらも前に進んでいく真弓高校。

 目標は一つになれど、破天荒な少女達が目指す道は、未だひとつになってはいない。だが、やがて一本の道となった先には、どのような未来が待っているのか。


 それは弓を振るい、放つ矢風と。

 和弓が描く軌跡が―――道しるべとなるだろう。


【第2部―完―】





 

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弓の使い手 〜繋ぐ想いは華やかに〜 もっこす @gasuya02

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