第120話『矢風』

「後藤くん、あのね。あの時の出来事は、気を落とすことないと思う」

「………なんだよそれ。鴨川は同情してんだろ? だからそう思うんだよ。俺は―――」

「体裁なんて、そんなに大事かな?」


 俺の言葉を塞ぐように鴨川は喋った。

 強い口調で、なんだか怒っているかのように。


(俺は人を射ったんだぞ……正当防衛といったって、後悔してんだよ。もう一度弓を引くのに、どれだけ葛藤したか……)


「わたしは、ただ怯える事しか出来なかった。だから後藤くんに助けてもらったことを感謝してるの」

「だからって、俺が人を射った事実は変わらない。弓道で一番やってはいけない事をやったんだよ。俺にとっては醜い過去でしかない」


 わかってる……仕方ないことだって。ああしないとヤバかったって、理解もしてる。だからこそ立ち直れたんだ。

 でも振り払えないんだよその事実が。別にその理由がなんだってかまわない、技術は変わらないし、弓を教えてもやれる。それでいいじゃねぇかよ。またほじくり返す必要なんてないだろ。

 醜い真実なんて、墓場まで持っていけばいい。


「そっか。じゃあなんで髪を縛っているの? なんで切らないの?」


 その言葉に俺の心は揺さぶされた。だって高校時代……。


「それ、ほどいたら?」

「………なんでだよ」


 鴨川は近寄ってくると、縛った俺の後ろ髪へと手を伸ばした。ほんの一瞬の出来事かのような、そう思ってしまったくらいになにも抵抗出来なかった。

 縛っていた俺の髪が首筋に触れる。なんでほどくんだよ……人前では絶対縛ってたのに……はは。

 近かった鴨川との距離が少し遠のいて、それと同時に怒っていたような表情が、笑い顔になった。


「髪の長さ、昔とかわらないね。覚えてる? みんなから、ロン毛の後藤って呼ばれてたこと?」


(久々に聞いたわ、その


「あぁ、覚えてるよ」


 覚えてるよ……それはもう酷い言われようだったことも。卒業式のとき、部活のみんなから縛った髪型について非難されてたこともな。

 イケてるだろって誤魔化したけど、結局後藤だからって終わったことも。

 あの日以降、思い出さないように髪を縛るようにしたからな。切ろうとも思った、でも結局のところ切り捨てられなかったんだ。

 みんなと輝いていたあの時代を。髪の長さを罵倒されても、みんなと笑っていられたあの時代を。

 俺といったらロン毛みたいに言われて、試合で勝った時もロン毛のおかげとか言われて。でも楽しそうに、嬉しそうに笑ってて。みんなで弓を引いてたときもよく笑い話にされてて。それでも大切な思い出なんだ―――切れるわけねぇよ。


「じゃあ弓の使い手なんて関係ないよ。大好きな弓道で人を怪我させた、それは辛いと思う。でもそれがゴール終着点なのかな? 後藤くんの事だし、心のどこかでは、わかってるんじゃないかな? 教え子達に、何を教えてきたの?」

 

 俺は追想する。愚行を背負っても教えてきたこと。心が嘘のように熱くなった時もあった。それは……弓を振るって一生懸命に戦ってきた皆の―――弓を引く姿があったから。


 思い描いたのは、教え子達と交わした言葉。

 弓の使い手じゃない―――その言葉―――。



《あたしに、弓道を教えてください!!》

《……わかった、じゃあ明日から練習開始だ》


《当たった……的に……》

《そうゆうこと、とりあえずそれでやってみ》


《じゃあ、私に勝つために、恥じたというわけか!!》

《………何か勘違いしているようだな》


《後藤先生、ちょっと教えてもらえませんこと?》

《うん? 何が知りたいんだ?》


《わらわは……》

《痛いのはしょうがない、でもその手の傷が、チームで練習した証だ》



 俺の心を駆け抜けるのは―――――矢風やかぜ

 今まで曇っていた気持ちに光がさした。

 風をきり、曇りをかきわけ振り払う。


 長髪で変な髪型だと不評だったけど、気にしてなかったろ。世間の評価なんて関係なかったんだ。後藤葵って男は、弓道が大好きなやつだ。弓の使い手は憧れる存在でありたい、そう思っていただけで。

 

 でもそれは『過去の栄光、未来じゃない』


 過去に縛られていたのは、縛っていたのは俺自身の弓道に対する気持ち。そのはずなのに俺はあの子達に弓を教えてこれた。なんでそんな事が出来たのか、今本当の理由がわかった。

  

 新しい気持ちが芽吹いて成長してんだ、単純に教師として―――。

 後藤先生としての想いが———弓の使い手を越えてんだ———。


「俺、弓道を教えてきたよ。先生として」

「……うん!」


 不思議な気持ちだ。でも、なんで鴨川は俺が過去を引きずっているってわかったんだろう。普通に弓は引いてたし、別に疑わしい行動なんて、してなかったはず。


「なぁ鴨川、でもなんで俺の気持ちを察することが出来て、ここに俺を連れてきたんだ?」

「インターハイの試合を見てたの。後藤くんの教え子達がね、戦ってた。でもわたしは、後藤くんらしくないって思った」

「俺らしくない……流派が違うまま戦ってたことか? それはでも、仕方なかったんだよ」

「ちがうよ、正直に言うね。あの試合、本当に勝ちたいって気持ちで戦っていたのは1人だけだった。後藤くんが言ってたことと、違ったから」


(もしかして……)


「チームで想いをひとつにしないと勝てない。それは射形じゃない、技術じゃない、心だって」


「なんだよそれ……本当に俺が言ってたことか?」


――言ってた。


「それに、見ただけじゃわかんないだろ?」


――そんなことない、わかる。


 鴨川はため息をついた。まるで、子供のワガママに呆れた親のように。俺はただ、答えを確かめるようにその姿をじっと見つめていた。


「わかってるでしょ? じゃあ後藤くんは教え子達の目標、ちゃんと理解していてあげれてる? その声を、聞いてあげれてる?」

「……わかったわかった、降参だよ」


 鴨川は再び笑うと、その髪ゴムを俺に手渡した。

 俺はそれを受け取ると、言葉を交わす。


「なんつー女神だよ、ほんと」

「ふふふ。せっかくだし、ちょっと覗いていかない? あの場所」

「あぁ、いいよ」


 鴨川はクルりと体の向きを変える。俺は受け取ったヘアゴムを右手にはめた。弓を引かないときの俺の髪型、みんなに酷い言われようだった俺のスタイル。

 鴨川の隣に立つと2人で歩き出す。廃棄のようになった弓道場へと。みんなと騒いだ、その場所へと。

 生い茂った草木の前でたち止まると、鴨川は荒れた家屋のほうを見ている。俺はその隣にある、弓道場を見た。


(俺がやった事は弓道家として最低だ。でも別に、弓の使い手の終着点がそれでも、後藤葵として弓道を教えてやれていた。教え子達に弓を教えることに、過去の事なんて関係なかったんだ―――ん?)


 気のせいだろうか、なぜかそこに学生時代の俺がいるような気がした。そんなはずないのに。だけどここにきて、氷室絢先生の言葉を思い返した。


《思い出せ、私の言葉を。思い出せ、昔の自分を。思い出せ……仲間の気持ちを。その答えは、お前はもう知っているはずだ》

  

 その時、突然の突風が吹いた。俺の首筋から髪の感触がなくなる。ゆっくりと風は吹き止み、まだ穏やかになる。そこにはもう、幻覚のようなその姿はない。だけど———なにかを取り戻した気がしたんだ。


(弓の使い手じゃなくても、繋げてみせる。そういう男だ、俺は)

 

 気がつけば鴨川は、俺のほうを見ていた。

 やたらニコニコとしている。なんだよ?


「後藤くん、なんでニヤニヤしてるの?」

「え? 俺の顔ニヤけてる?」

「うん。とっても」


 そうか———微笑んでんのか、俺。

 

「後藤くん、お腹すかない?」

「そういや、朝から何も食べてないか。パン買ったけど、何か食べに行くか?」

「うん、そうしよ!」


 俺と鴨川はその場からきびすを返す。なんだか照れくさい気持ちだ。だけど悪い気はしないし、むしろ大切に思ってんだよな、鴨川のこと。

 

(教え子達の気持ちか、中身はクセの強い問題児達なんだけどな。しかし鴨川も柄にもないことを言うもんだ、だからだろうか、意識してんだな)

 

 俺は気恥ずかしい気持ちを隠しながら、鴨川と車へと向かった。一瞬電子タバコを取り出そうかと思ったが、すぐにその気がなくなった。少しの間だけ髪を縛る事はやめよう、なんたって。


 自称、イケてる髪型だからな。


 この場を背にして歩く俺の背中には、廃墟になった思い出の建物がある。されど、この場を去ることは逃げることじゃない、未来に向かって進むんだ。

 昔も今も、弓道が好きだった男として。教師の後藤葵としてな。

 

「後藤くん、来年はインターハイの優勝目指すの?」

「ああ、目指すよ。来年は皆で優勝する、絶対にな」

「ふふふ、応援してるから!」

「ははは、さぁ行こうか。美味しい店、知ってるんだよ」

「うん!」


 ***


《鴨川 恵見》


 懐かしかったな〜、あの横顔……ねぇ氷室先生。後藤くん、微笑んでくれたよ。今度会ったとき、きっと驚くんじゃないかな。みんなも、きっと驚くと思う。 


 ふふふ。でも一番最初はわたしだね、そうだよね『後藤くん』

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