淑女の願い

第111話

 現在俺は藤原の住む家を目指して、早朝から車を走らせていた。

 先日、藤原から相談したい事があると言われたかと思いきや、私の家まで来てほしいと頼まれたからである。

 家に招かれた理由は、藤原の家には小さな弓道場があり、そこで弓を引きたいからそうだ。

 あまりプライバシー的な事に首を突っ込む気はないのだが、珍しく真剣な表情でそう頼まれてしまっては、断り難いものである。


 藤原から聞いた住所を目指して、都市中央部から川を越えるための橋を渡り、緑豊かな土手沿いを抜けていく。

 その道中に高層ビルといった背の高い建物はなく、山々が連なる田舎風の景色が広がった場所へと出る。

 そのまま山の袂を走らせ、しばらく進んでゆくと、大きな家が見えてきた。


 だだっ広い古民家のような屋敷が、ポツんと佇んでいる。

 まるで時代劇にでも登場しそうな建物である。


「えぇ……ここか? えらいデカい屋敷だな。藤原ってこんなにデカい屋敷に住んでんのか?」


 車を徐行させ、敷地外にある広けた土地の隅っこへと車を停めると、手土産を片手に車を降りた。


 事前に聞いた話と同じなので、間違いはないと思うが。これだけの規模となると、いささか不安になるものだ。


 恐る恐るその屋敷へと近づいていく。

 黒く変色した門の横にあるチャイム押すと〈ギギギッ〉と軋んだ音を鳴らし、その門はひとりでに開いた。

 その奥には和風庭園が広がっていて、それを背景に家政婦のような服装に身を包んだ女性が、俺に頭を下げた。


 俺も挨拶を済ませると「こちらへどうぞ」と言われ、屋敷の中へと案内されたのだった――



 見事なまでに手入れされた色鮮やかな和風庭園を抜けると、だだっ広い屋敷の玄関。

 綺麗に清掃された和風建築の廊下を通る際、頭上を見上げるも、温かみのある露出した木材の骨組みに圧巻された。


(すげぇな……こんなにすげぇ家に住んでいるのに……藤原はあの性格なのか……)


「後藤様、こちらで瞳様がお待ちになられております。どうぞ、お入りください」


 引き戸になった扉を開けてもらうと、畳の敷き詰められた古風な和室…そしてその中央に座っていた女性の姿を見た瞬間。



――その気持ちは意外を通り越し、その姿に魅入ってしまう――



 そこには華やかな着物に身を包んだ、紫色の髪をした少女。

 いつもの眼鏡はつけておらず、装飾であろう見事なまでの髪飾りを付け、お淑やかに佇んでいた。


「藤原瞳さん……ですよね?」

「ああそうだ、何を驚いている。これが私の真の姿か、とでも言いたいのか? クックック」

「…………はいこれ、手土産」


(一瞬でも淑女だと思った俺が呪わしい……なんでそこでそんな笑い方すんだよ。やっぱ藤原だったな)


 いつもの我を取り戻した俺は、持ってきた手土産を藤原に手渡した。

 その中身は姉ちゃんに作ってもらった饅頭である。藤原は受け取るなり、家政婦を呼び茶菓子の準備をしてくれと頼んだ。


「おおそうだ、そこに座るがいい。なんだかんだ私の家だ、くつろいでくれ」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 背の低い大きな机の横に腰掛けると、藤原も俺の向かい側へと座り、姿勢をくずした。

 本題に入るのは、もう少し後のほうがいいのだろうか?

 そんな事を考えながらも、家政婦さんが来るのを待つ事にした。



 机の上に手土産の饅頭と、温かい緑茶が用意されたところで、俺は藤原に相談の件を訪ねてみた。


「ああ、その事だが……その前に私ともう一度弓を引いてくれないか? そのために後藤先生に弓具を持って来てくれと頼んだのだ。私の道具はもう準備してあるしな」

「もう一度弓を引くって言ってもな。まあ持って来たけど。なんでまた俺と弓を引きたいんだ?」


 確かに藤原は俺に弓具を持ってきてくれと言っていたが、それになんの意味があるのだろうか? 

 実演して教えるために、たまに部活でも弓は引いているし、俺の射が見たいって理由でもないだろうに。


 そう思っていた矢先だった。再び姿勢を正し、お淑やかに向き直る藤原。

 その藤原の言葉に、俺は度肝を抜かれる――


「私は〝弓の使い手〟と戦いたい。だから私と競射きょうしゃをしてくれないか? もし私が勝ったら、その由来を教えてほしい」


 その藤原の表情は、とても真剣なものだった。当時出会った頃の事を思い出すなり、交わしたその言葉が脳裏をよぎる―――


《つーか弓の使い手って、どういう意味でついたか知ってるのか?》

《意味? そんなの知ってるニャ!! 弓道が上手いから、ついたのニャ!!》


 俺はその時の言葉を回想しながら、ある考えに至る。それは……

 藤原瞳として『弓の道』を志す、弓道家としての純粋な探求心。


 その気持ちの変化が、藤原のその姿が示唆しているのであれば……そして俺は藤原にある条件を伝えた。納得いくまで『射込み』をさしてくれと。


 すると藤原はその場から立ち上がり、机のない場所へと移動する。互いの間に遮るものはなく、敷き詰められた畳のみ。そして俺と向かい合うように座り直したならば、深く頭を下げる。


 お淑やかに振る舞うその藤原の姿に、俺は儚い美しさを感じた。

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