第96話 心に勝て

 試合が終わり、アナウンスが流れる。


『只今の結果をお知らせします。女子の部、トーナメント1回戦において、桃山高校の勝ちが、決定いたしました』


「ワァァァァァァァ!!!」


 アリーナの観客席からは、歓声が飛び交っていた。

 椅子を立ち上がり、拍手の嵐が巻き起こっている。

 俺は椅子から立ちがったまま、その光景を眺めていた……


 氷室先生は椅子から立ち上がる。その艶のある黒髪を「ゆらゆら」と揺らしながら、腰に手をあて俺へと向き直る。


 その涼しげな笑い顔は、かつての教師である氷室絢先生。

 俺は目から溢れる涙を堪えながら、静かに先生へと身体を向けた。


「この勝負、桃山高校の勝ちだな。ふふふ、何を泣いている? 男の子だろ?」

「そうですね…でも、我慢しても我慢しても、なんか勝手に溢れてくるんですよ…あの子達の気持ち…痛いくらいにわかるから……」


 そう、俺は知っている。昔に経験した事があるから。

 でもその時……氷室先生は笑ってたよな、なんでだろう。


「いいか後藤、悔しい気持ちは分かる。だがそれは、顧問たる立場が表に出していい気持ちじゃない。私達の涙は、優勝した時だ。全国の強豪校を打ち倒し、その頂点に立ったときだけだ。それ以外は、絶対許されない」

「教えてください………それは、どうしてなんですか?」


 すると、氷室先生はポケットから、黒い文字で埋め尽くされた、白い布切れを取り出した。


 『かけ』をつけるときに、右手にはめる白い布。

 それは『下がけ』と呼ばれるもの―――

 右手にはめる『かけ』の下に着用するものだ。


 俺はその『下がけ』に見覚えがあった。

 それは、俺達が弓道部員だった頃に、氷室先生に贈ったものだ。

 その白い布には、その頃の部員達の名前が書いてある。


「思い出せ、私の言葉を。思い出せ、昔の自分を。思い出せ……仲間の気持ちを。その答えは、お前はもう知っているはずだ」


 そう言って、氷室先生は再びポケットに、その布切れをしまう。

 俺はただ、その様子を眺めていただけだった。


 思い出す…何を?

 あの頃の自分を?

 仲間の気持ち?


 俺は過去の記憶を遡っているうちに、気がつけばもう、涙は溢れていなかった……それを徐ろに手で拭う。

 すると、氷室先生はゆっくりと、アリーナから外へと歩き出した。

 ポケットに両手を突っ込み、麗しい黒髪を揺らしながら……その背中を目で追っていると、去り際に氷室先生は―――


――弓の使い手は、強い――

      ―――心に勝て――


 そう言い残し、去っていく。


 『弓の使い手』それは俺が「氷室絢」先生から託された言葉。

 その名を託された時……あの時も、笑ってたよな。


 その時、俺は記憶の中からそのヒントを見つける。

 もしかしたら違うかもしれない、でもその気持ちに、俺は心穏やかになる。


 氷室先生の背中は、もうそこにはない。されど、その背中を追いかけるわけではない。

 俺はただ、アリーナの外へと歩き始めた。そこには、大事な教え子達が待っている。


(学生気分ってのは、本当にそうだったんだ。戦うのは選手だとか言ってたけど、それは違うんだ……)


 俺は、氷室絢先生の事を尊敬していた。

 弓も上手いし、部員がどんなに落ち込んだ時だって支えてくれた。

 俺が学生だった頃、この人についていけば絶対大丈夫だって思っていた。


 でも……もう立場が違うんだ。


 今度は俺が支えてやるんだ。

 真弓高校、弓道部の顧問として。

 

 あの子たちの、先生として。



―― そうでしょ? 先生 ―――



 アリーナ席から招集場所へと戻った俺は、暗い顔をした少女達に歩み寄る。

 桃山高校の選手達は、もうその場にはいない。どうやら、試合後の挨拶は、済ませたらしい。


 応援にかけつけた妹尾と妖狐も、落ち込む3人の先輩の姿をみて、言葉を詰まらせているようだ。そりゃもう……『葬式モード』だな。

 そんな暗い顔をした少女達に歩み寄ると、声をかけた。


「ははは、まぁそう落ち込むな」


 そんな俺に、一同不思議がった様子だ。

 こんな葬式モードを振り払うべく、言葉を続けた。


「まぁそう暗い顔をするな、負けは負けだ。でもその気持ちは、必ず自分自身を強くする。悔しさをバネに、這い上がるしかねぇよ。ほらいくぞ、外で反省会だ」


――『後藤先生……』――――


 俺は教え子たちに背中を見せるようにして、歩き始めた。

 今俺の後ろをついてくる少女達が、どんな気持ちかは理解している。

 されど、それを一緒に悔やむ前に、次の目標を提示してやる必要がある。


 こうして、真弓高校はインターハイ1回戦にて、負ける事となる。

 だが、この敗北を次に繋げるために……俺は前に進む。

 


 

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