第86話 黒髪の女性、麗しく

 しばらく高速道路を走ったのち、昼過ぎ頃にはインターハイの開催県へと到着した。

 まずは会場から近くにある宿泊用のホテルへと向かい、問題児達を降ろしたあと、俺は明日の試合に関する手続きをするため、試合会場へと来ていた。


 アリーナの敷地内にある駐車場に車を停め、そこから試合会場の受付へと向かう。

 この弓道専用のアリーナは、総合体育競技を行う、競技場のような場所を改修して作られている。


 交通量の多い、発展した都心部の中に設立されていて、その競技場の隣には、目印となる立派なお城が建っている。

 そこを横切り、アリーナに設置された受付場所と向かう。


 アリーナの外観は、外壁の塗装こそ綺麗だが、舗装されたコンクリートなどを見ると、その傷は歴史を感じさせる。


「えーっと、受付はこっちか」


 スマホを見ながら建物の中に入ってすぐ、目的の場所へと到着する。

 受付には、他校の顧問らしき方々が並んでいたので、俺は最後尾へと並ぶと、順番を待つ。


(明日は早めに来るかな、道具の搬入もあるしな)


 そんな事を考えながら、なんの気なしに順番を待っていた。


(ん?)


 受付を終えた女性が、せかせかと歩いていた。

 突然鼻を刺激する、華やかな香水の匂い。

 すれ違う直前、俺はその女性を目視する。


 その一瞬だった―――時が、止まったかのように思えた。


 その女性は、ポケットに両手を突っ込んだまま通り過ぎていく。そして麗しく長い黒髪を揺らしながら、アリーナの外へと去っていった。


(………………)


「あの〜〜、お次の方〜〜どうぞ〜〜」


 その声に、我に返る。

 すいませんと一言謝り、俺は受付の手続きを行う。


「はいこれ、トーナメント戦の抽選結果です」

「ああ、はい。ありがとうございます」


 小さな冊子を受け取ると、そのままショルダーバックへと入れる。

 先程すれ違った女性の事を考えながら、アリーナの外へと出た。


(なんか、モヤモヤするな)


 考え事をしながら、駐車場へと歩を進める。

 ポケットから鍵を取り出し、顔をあげたその時だった。



 度肝を抜かれ、戦慄が走る――あなたは。



 俺の歩は止まり、その女性に眼を奪われた。

 腕を組み、車にもたれかかるその黒髪の女性。

 ラフな上下に、太ももくらいまである艶のある黒髪。

 顔は美形であり、大人の余裕と魅惑が見てとれる


 初めて会う? いや違う――――

 俺はこの女性を知っている――――――


「フフフ、何を呆けている。私が誰かわかっているだろ、挨拶くらいしたらどうだ?」

「ええ……お久しぶりです………氷室ひむろ先生……」

「随分と大きくなったな、後藤葵。その髪型、イケてるじゃないか。彼女は出来たか?」

「………そんな事より………教えてください。桃山ももやま高校の顧問は……やっぱり先生なんですか?」


 その女性は、もたれかかった体を起こし、しかめっ面となる。

 面倒くさそうに、そして荒々しくため息を吐く。

 ポケットから電子タバコを取り出し、カートリッジに煙草を装填する。


 煙を吐きながら、不機嫌そうに言葉を放った。


「そんな事、聞いてどうする? なんの意味がある?」

「それは―――知りたいからですよ! なんで廃校になった高校の名前があって……その高校がインターハイに出ているんですか?」

「フウゥゥゥーーー。そうだな」


 麗しい黒髪を揺らしながら、その女性はこちらへと歩み寄る。

 色香のある匂いが、再び俺の嗅覚を刺激する。

 そのまま俺とすれ違った直後、立ち止まった。


「トーナメント1回戦でまた会おう、真弓高校の顧問よ。全力で来い、桃山高校は、強い」

「……………」


 氷室先生の足音が、徐々に遠のいていく。なぜだか俺は、振り向く事が出来ない。ただひたすら、その足音が無くなるまで。


 唖然とその場に立ち続ける事しか出来なかった。


「なんで……なんで氷室先生が―――なんで!!」


――その女性の名前は「氷室 絢ひむろ あや」―――


 俺の高校時代、弓道を教えてくれた、先生の名である。

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