第80話 妖怪巫女娘
道場の片付けを終えたあと、俺は神社の駐車場に停めている、白いバンの荷台に弓具を積み込んだ。
道場内で制服へと着替えた問題児達は、さっそうと神社へと向かったようだ。
せっかくなので、神社の観光をする事になったからである。
観光の前に、俺は妖狐の住む屋敷へとやってきている。
この3日間、お世話になった人達に挨拶をするためだ。
屋敷の入口には、妖狐の母親がこじんまり立っている。
清楚な雰囲気を漂わし、こちらを見てニコニコとしていた。
「ごめんなさいね、主人は仕事なんですよ……」
「いえ、ご無理を言って申し訳ないです。急な事になったかと、思っていますから」
「そんな事ないわ、私もた〜くさんご飯が作れて、楽しかったのよ? また、いつでも来てね」
「はい。その時はまた、よろしくお願いします!」
俺は感謝の気持ちを込めて、頭を深く下げた。
きっとまたいつか、あの弓道場をお借りする事になると思う。
制服姿になった妖狐が、玄関から「あたふた」と外に出てくる。その左手には、痛々しくテーピングを巻いたままだ。
俺の隣に立つなり、嬉しがるように母親へと手を振る。
妖狐にとっては見慣れた観光になるのだろうだが、それでも一緒に行くらしい。
「なんだか、ウキウキとしているな。そんなに楽しみか?」
「うむ、妾は楽しみじゃ!」
(そうか。それは良かったよ)
不意に、妖狐の母親は少し浮かぬ顔になる。
「ねぇ先生。一つお聞きしたい事があるのだけど、いいかしら?」
「はい、なんでしょう?」
「お付き合いしてる人は、おられます?」
妖狐の母親は、何か意地悪そうな笑顔で俺にそう訪ねてきた。俺は笑いながら、そんな人いませんよ、と答えた。
すると、隣に立っていた妖狐が、口角をぺろりと舐めた。
(妖狐のこの表現は、嬉しいって事なのか? たぶん)
「のう先生、妾と手を繋ぐか?」
「……考えとく」
(こいつは、母親の前でなんて事を言い出すんだよ。父親に知られたら……)
「さぁ行こうか。たぶん皆、待っていると思うよ」
「そうか!! では母上、妾も行ってくる!」
「ええ、行ってらっしゃい、鈴ちゃん」
妖狐の母親は、相変わらずニコニコとしながら、俺と妖狐を見送ってくれた。
その場を去り、神社の入口へと歩いていく。隣では不機嫌そうに口をとがらせた妖狐が、渋々と歩いていた。
「のう先生、なんで手を繋いでくれんのじゃ? たまには、よいのではないか?」
「まぁ……考えとく。お、いたいた」
神社の入口には、制服姿の4人の少女達が、待ちわびた様子でこちらへと手を振っていた。
その左手にしていたテーピングは、もう外したようである。
合流するなり藤原は、突然矢野の体を怪しい手でサワサワした後、涼しい顔で階段を駆け上っていく。
矢野の表情はしかめ面となり、同時に口も悪くなる。
「な!? また触った!?」
「クックックッ! 私が一番早く頂上にたどり着くぞ!! ニャッハッハ!!」
「ふざけるなぁぁ! 待てぇぇぇぇ! 糞メガネぇぇぇ!!」
怒った矢野は、藤原を追いかけるように階段を駆け上がっていく。
「ニャッハッハ!! ビリは昼食を奢るのだ!! はい決定、もう決定!!」
藤原の言葉に、榊󠄀原は目を丸くすると、慌てた様子で階段を駆け上っていく。
妹尾もそれに釣られ、必死に階段を駆け上がり始めた。
「やべぇ、藤原先輩マジだぜ!! いくぞぉぉぉぉぉ!!」
「な!? ちょっと、わたくしは疲れてますのよ!? でも、奢るのは嫌ですわ!!」
ここは間違っても神社である。その迷惑極まりないその行動に、俺はつい目頭を押さえてしまう。
(あいつら、まあ他の参拝者がいないようだけど……はしゃぐ場所じゃねえだろ……)
提灯が飾ってある門を抜け、4人の問題児達はさっそうと階段を駆け上がっていく。
いったいどこに、そんな体力があるのだろうか?
———ふと気がつけば、俺の隣にはポツンと立っている少女が居た。
「ん? 妖狐は行かないのか?」
「妾は……やはり置いていかれるのか……」
妖狐はもの悲しい様子で、左手に巻いたテーピングを見つめている。
意図的に置いてけぼりにされているわけでも、ないんだけどな。
(変なとこ気にするんだな。やっぱり、まだまだ子供だな……やれやれ)
「ほら妖狐、早く行くぞ」
俺は門の手前で立ち止まると、後ろに向き直り、右手を差し出した。
妖狐はキョトンとした様子で、こちらに歩み寄ってくる。
そして怯えるように、ゆっくりと右手を差し出す。
(いまさら何を怖気づいてんだよ———ったく!)
「違う! こっちの手だ!!」
俺は右手で、テーピングが巻いてある妖狐の左手を握った。
妖狐は目を見開き、頬を赤く染める。
まあこうなってしまっては、もう後戻りは出来ない。
「どうせ、奢るのは俺だよ。心配するな、今からでも追いつく、俺が引っ張るからな」
「わらわは……」
「痛いのはしょうがない、でもその手の傷が、チームで練習した証だ。ほらいくぞ!!」
少し強引に妖狐の体を引っ張り上げる。
俺の右手を、ギュっと握り返してくる力が、伝わってくる。
嬉しがる妖狐の笑顔。不覚にも、可愛いと思ってしまう。
「先生……痛くないのじゃ———」
「———その意気だ、追いつくぞ!」
覚悟を決めた俺は、妖狐を引っ張りながら階段を駆け上がる。
実際、いまからだと追いつくのは、もう難しいだろう。
でもそんな事はもう、どうでもよかった。
テーピング越しに、小柄な少女の体温が伝わってくる。
チラっと後ろを向くと、さっきまでの表情が嘘のように、その狐色の髪をした少女は、笑い泣きをしていた。
———目尻に薄っすらと『嬉し涙』を浮かべて———
俺は正面へと向き直ると、上を目指して登っていく。
でも、なんだか誰かに追いかけられているような……
―――――カシャカシャカシャ!!!
「なんだ? 隣からカメラのシャッターの音——まさか!?」
「WoW! WoW! 凄イデスネェ!! 速イデスネェ!!」
「や——やめてくれぇぇぇぇぇぇ!!!」
こうして、合宿を終えた真弓高校弓道部は、インターハイに向け、新しいチームメンバーを迎え入れる。
妖怪巫女娘。またの名を、
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