第75話 傷ついた心
俺は現在、来客用の和室で布団の上に寝転んでいる。クーラーはかけてなく、扇風機が動いているだけだ。
心配していた晩御飯なのだが、普通に食べさせてもらえたので現在は満腹である。
どれも家庭的な料理だったが、盛り付けも丁寧にされていて、個人的には見た目も味も良かったと思っている。
「晩御飯、美味しかったなー」
お風呂も入り、あとは眠くなるのを待つだけである。
すると突然、座敷の引き戸が〈ガラガラ〉と開く。
誰が来たのかと顔だけ向けたところ、俺は布団から飛び起きた。
その女性は引き戸を閉めるなり、畳の上へと座る。パジャマ姿ではないが、ラフな感じの部屋着姿だ。
「お疲れのところ、ごめんなさいね。寝たままでもいいのよ?」
「いえいえ、まだ眠ろうとしていたわけではないので、大丈夫です」
「そう? なんだか気を使わせて、ごめんなさいね。ちょっと、聞きたい事があってね、聞いてもいい?」
穏やかな雰囲気を漂わすこの女性は、妖狐の母親である。
食事を運んでくれた人でもあり、その性格は温厚、唯一安心して会話できる人である。
「俺の答えれる範囲なら、いいですよ」
妖狐の母親が聞いてきたのは、夫の事であった。
失礼な事はされてないか?嫌な思いをしていないか?など、夫の性格を理解しているのか、俺に気を使ったような言葉をかけてくれた。
(奥さんは、夫と正反対の性格をしているのだろうか? とても、優しい人だ)
俺は少し考えたのち、思った事を素直に話した。
それは父親として、娘を大事にしている想いが伝わってくる事。
神社の弓道場を借りている事に対しての感謝である。
妖狐の母親は、どこか遠くを見るような目で、俺の話を聞いてくれている。
「……そうなのね。良かった、嫌いになってるかと思ってね。後藤さんと言ったかしら? おばさんが、突然変な事を聞いちゃってごめんね」
「いえ、全然変でもなんでもないですよ。旦那さんの事、大切にされているのが、よく伝わってきましたから」
「そう? ねぇ、もう一つ聞いてもいい?」
妖狐の母親は、少し真剣な表情をしたあと、俺にこう尋ねた。
「部活での妖狐は、どんな感じかしら? 楽しそうにしてる?」
「ええ、とても楽しそうですよ。元気すぎて、こっちが疲れるくらいですよ」
何故か俺は、話を少し大袈裟に言ってしまう。
別に嘘ではないし、実際楽しそうにしているのは事実だ。
だけど、真剣な母親の表情を見るなり、反射的にそうしろって、誰かに言われたような気持ちになったのだ。
「ありがとう、後藤さん。お邪魔して、ごめんなさいね」
「いえ、お話しできて、良かったです、おやすみなさい」
妖狐の母親は、俺にお上手ねと言ったあと、この部屋を出て行った。
俺は電子タバコを準備すると、口に咥えた。
部屋の窓を開け、外に向けて煙を吐く。
「フゥゥゥゥ………」
俺は煙が消えていく様子を見ながら、少し考える。
(妖狐の母親は、本当は何を知りたかったのだろう。娘を過度に心配する程、何か特別な理由でも、あるのだろうか?)
「考えてもわかんねぇか。寝ようかな」
俺は部屋の明かりを消すと、布団の上に寝転がる。
季節は夏とはいえ、夜は涼しく、扇風機があればぐっすり眠れそうな感じである。
俺は大きな欠伸をしたあと、目を閉じた。
(うーん。おやすみなさい)
夜も更けた頃、俺は何かの音で目が覚めた。
目は閉じたままだが、何かの気配を感じているのは確かだ。
(………ん……なんだ? なんだか、扉が開いたような音がした気が)
ゆっくりと目を開ける。
(なんで、ここに来たんだ? 寝れねぇじゃねえかよ……あれ?)
俺の布団の横、畳の上には枕を持った、パジャマ姿の妖狐の姿があった。
だが何故か妖狐の目尻には、泣いたような跡がある。
なんだろう。誰かに怒られたのだろうか?
仕方がないので、俺は快適な睡眠を諦める事にした。
(はぁ……早起きするか)
俺は自分にかけていた布団を、妖狐にそっとかける。
扇風機の風を弱め、そのまま敷布団の上へと転がる。
(おやすみ……)
なぜ妖狐がこの部屋に来たのかはわからない。
人知れずこの少女は、何か辛い思いをしているのかもしれない。
今の俺にやれる事は、そんなにない。
だけど、今はこの少女の願い事を叶えてやろうと、そう思うのだった。
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