第76話 2日目

 神社での合宿は2日目の夕方頃となり、空は徐々に暁色へと染まっていく。

 早朝から始まった今日の練習は、現在終盤を迎えていた。

 俺は射場の隅でパイプ椅子へと腰掛け、練習の様子を見ている。


 5人の少女達は袴姿で、的に向かって矢を射っているのだが、蓄積された疲労がピークなのだろう。表情が仏頂面である。


(おー怖い怖い。でも、頑張ってるな)


 全員弓を握る左手には、痛々しく白いテーピングが巻いてある。

 弓の引き尺も小さいし、その右手もプルプルと震えている。


 それゆえ的にあたりはしても、その射形はこじんまりと、苦しそうなものだ。

 弦から手を離す音と、的を外れ、安土へと刺さっていく寂しい音だけが響いていた。


――――カシュン――カシュ――カシュ―

         ―パスパス――パス――


 最後の一本である矢をつがえ、全員が弓を打ち起こし、会へと入っていく。


―――――カシュ――カシュ――カシュ

―――パス――パンッ――パス


 射場から的場へと、複数の矢が無造作に飛んでいく。

 最後の矢が安土に刺さったのを見届け、俺は号令をかける。


「よし、今日の練習は終わりだ」


 俺の言葉を聞き、射場の雰囲気はスイッチが切り替わるように賑やかなものとなる。


「終わった終わった!! にしても、手がいてぇ〜〜」

「そうね。明日は、絶対筋肉痛ね……」

「クックックッ! 晩御飯が楽しみだろう! そうであろう? ああそうだとも!」


(お疲れさん。妖狐が矢取りに行ったみたいだな)


 部員達に自分の道具だけ片付ければいいと伝え、俺は道場から外へと出た。

 的場に向かう途中、矢取りを終えた妖狐がこちらに歩いてくる。

 妖狐とすれ違う寸前、告げられた言葉に、俺は唐突に絶望する事となる。


「おおそうじゃ、お主、晩御飯は一緒に食べようと、父上がそう申しておったぞ」

「………マジ?」

「嘘は言っておらぬ。何やら男のケジメとか言っておったか? 妾はよくわからんが、つまりそういうわけじゃ」


(ケジメって……俺はついに、消されるのだろうか?)


 虚しい気持ちで、妖狐の後ろ姿を見届けた後、重い足取りで的場へと向かう。

 とにかく今は疲れた部員達に代わり、片付けをしようと思う。


「まぁ今はとにかく、片付けだ」


 安土から的を外し、せっせと看的小屋の中へと収納していく。

 水を撒き、軽く安土を手入れした後、矢取り道を通って射場へと戻っていく。


(ん? 妹尾はまだ残っているのか)


 みんな帰ったかと思いきや、妹尾はまだ射場に残っていたようだ。

 パイプ椅子に腰掛け、目を閉じて何か考えている様子だ。


 俺はひとまず、掃除道具入れに立て掛けてあったモップを手に持ち、床を掃除してまわる。


(なんだ? 何を考えてるんだろう?)


 床の掃除が終わり、雨樋を閉めたあとだった。

 パイプ椅子に座っていた妹尾が、おもむろに話しかけてきた。


「ねえ先生、斜面打ち起こしって、覚えるのは大変ですの?」


(お、何かと思えば、流派の事か)


「1から覚えるなら、そんなに難しくはないかな。ただ、正面から斜面へと引き方を変えるのは、かなり大変だと思うよ」

「そうですのね……」


 なぜそんな事を考えていたのか、理由を聞いてみる。

 どうやら、矢の飛距離の違いを感じたのだそうだ。


「疲れていたとはいえ、あそこまで飛ばなくなると、思ってもいませんでしたわ」

「そうだな。いつもの練習なら、気がつかない事かもな〜」


『斜面打起し』の藤原、妖狐の場合、終盤のほうになると、2人ともほとんど引き尺がなかった。

 ただ、放つその矢は、的場には届いていた。

 

 それと対称に。


『正面打起し』の矢野、榊󠄀原、妹尾は、終盤のほうになり、引き尺が小さいのは同じだが、的場に届かない矢も多かった。


 技術的な違いを除いたとして、その差は何か?

 それは『引く弓の強さ』の違いである。



 現在妹尾の弓は、グラスファイバー『13の伸寸』


[第26話参照]


 藤原や妖狐は、そもそも引き尺がなくても、的場に届く力を持つ弓を使用している。要はそれだけである。


「そうですの? でもわたくし、強い弓を使っても、疲れてたら引く自信がありませんわ」

「そうでもないぞ。斜面打ち起こしのほうが、引き尺は調整しやすい。疲労してても、慣れたら正面打ち起こしより、楽に引けるぞ?」

「はぁ、難しいですわね」

 

(難しいか。まあ、色々と思う事はあるだろうな)


 その話を終え、妹尾はパイプ椅子から立ち上がると、スタスタと道場から屋敷に帰っていった。

 どういった心境なのかは分からないが、俺はポツンと残されたパイプ椅子をたたむ。

 ため息をつきながら、そのパイプ椅子を片付け、道場を後にしたのだった。










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