第72話 第1関門を突破とする!
とあるイベントを終え、その場から逃げるようにトボトボと弓道場へと来たのは、ついさっきの話である。
現在俺は射場の隅っこへと座り、妹尾と妖狐の射を見ていた。
―――――カシュンッ――カシュ
―――――――パァン! ――パァン!
その道場内には、弦から手を離す、かん高い離れの音と、的を貫く音だけが響いている。
別段『立』をしているわけでもなく、矢数をかけるべく『射込み』をしている。
30本程矢を射ったところで、午前中の練習を終えた。
今から昼休憩にしようと妹尾に伝えたところ、俺の顔を見るなり、不思議がる様子で俺に声をかけてきた。
「なんだか、元気がありませんわね? 何が悪いものでも、食べたからですの?」
「いや、別に悪いものを食べたわけじゃない。まあ、大人の事情という奴だ」
「そうですの?」
俺は妹尾と一緒に、射場から外へと出る。
巻藁矢が並べてある入口を通り過ぎ、すぐ目の前にある廻廊の脇へと腰掛ける。
妹尾はレジャーシートが広げてある場所へと座ったならば、妖狐が持ってきてくれた、少し大きめの弁当を受け取った。
食事付きとは、本当に有難い限りである。
「ほれ、弁当じゃ。これは妾と、お嬢の分じゃぞ」
「申し訳ありませんわ。——まぁ! 美味しそうな唐揚げ弁当ですわね!!」
確かに彩りも良いし、美味しそうな唐揚げ弁当ではある。
だがなぜかその数は2つ。持ってきてくれた妖狐に、その理由を尋ねてみた。
「それはじゃな、父上いわく、顧問の先生には、特別なお昼を用意すると言っておったぞ」
「……………まじ?」
「なんじゃ、嘘は言っておらんぞ? ほれ、噂をすればとやらじゃ」
箸を手に持ったまま、妖狐は廻廊の奥を指差す。
そこには紫色の袴姿の男、相変わらずシャリシャリと音を鳴らしながら、こちらへと歩いてきた。
(あの音……
その男は妖狐達が座るレジャーシートの横までくると、優しそうに微笑みながら喋り始めた。
「やあ、よく来てくれたね。そちらのお嬢さんは、妖狐がいつも話してくれる、妹尾さんだね?」
「申し遅れました。わたくし、妹尾沙織と申します。初対面ですのに、お見苦しいお姿をお見してしまい、申し訳ありませんわ」
「ふふ、いいんだよ。しっかり食べて、しっかり稽古してください。この数日間、できる範囲でサポートしますから」
「まぁ…そのお心遣い、大変感謝いたしますわ」
妹尾は慣れたように、その男に行儀良く挨拶をする。
その隣には、妖狐がモグモグと弁当を食べていた。
「そうじゃ、妾の父上じゃ。何も遠離はいらんぞ、父上はお優しい方じゃ。先生も、気を使う必要はないぞ?」
「はは……本当にそうかな~」
するとその男は俺の方を向くなり、遠離はいりませんよと言ってくれる。
その笑顔は、まさしく男優のそれである。
俺は知っている、この男の真の姿を!
「それでは先生、行きましょうか? 私の屋敷が、すぐそこにあるんですよ。昼食を準備していますので、よければそちらに」
「ええ……ありがとうございます……」
(さっきと全然違うじゃねぇか……だけど、妖狐にとっては優しい父親らしい。ここは我慢だ)
俺は妹尾と妖狐に見送られ、廻廊から反対側の方向へと歩いていく。
弓道場を横切り、神社の敷地らしき境界を越えたあと、道路を横断する。
少し歩けば古民家のような外観をした、大きな家へと案内される。
玄関の引き戸を開けると、男は何かを掴む。
そしてこちらを向くなり、いきなり塩をかけてきた。
「あの〜〜……?」
「貴様は、娘をたぶらかす妖怪と心得ている。清めてから入れ」
(帰りたい……)
「まあ入れ、ロン毛妖怪よ」
「おじゃま……します……」
ああ。俺は生きて帰れるのだろうか?
念のため、心構えをしてからその男の家へと入る。
屋敷の雰囲気は和風建築ではあるが、ところどころリフォームされているのか、あまり古さは感じない。
俺は靴を脱ぎ、玄関へとあがると、来客用の座敷へと案内された。
「そこで待っていろ、ロン毛妖怪」
「はい……待ってます……」
(相手は、妖狐の父親だ、ここは素直に従え。我慢だ!!)
案内されたその座敷の中央には、背の低い大きな机がひとつ。
なぜかその中央には、灰皿が置いてあった。
俺はその灰皿を見つめながら、その場に座る。
(罠だ、これは罠に違いない! 耐えろ。心を強くもて、耐えろ!!)
しばらくして、妖狐の父親がお盆を持って座敷へと入ってきた。
机の上に置かれたのは、小さなお椀が一つだけであった。
「遠離はいらん、飲め」
「はい。頂きます!」
お椀の中を除くと、透き通ったような色をしている。
具は何も入ってないが、いい出汁の香りがしていた。
(お吸い物か、具はないけど)
そして何故か、妖狐の父親は俺の対面に座る。
腕を組み、圧倒的な威圧感を放っている。
(なんだこの威圧感は……だが、耐えろ俺!!)
俺はそのお椀を両手で持つと、ゆっくりと口に運んだ。
ゴクリと喉を通り過ぎ、口の中にはフワりと出汁の香りが広がっていく。
「———美味しい」
するとその男は、眉毛をピクりとさせ、俺に問いかけた。
「そのお吸い物に使われている、出汁を答えよ」
「……もう一口、飲んでもいいですか?」
「いいだろう」
俺は集中する。もう一度お吸い物を味わい、味覚と心に問いかける。
(………………)
そのお椀をゆっくりと置くと、俺は答えた。
「昆布、カツオ、しいたけ、あと……薄口醤油」
自信はない、だけどその男は目を閉じ、何かを考えている。
そしてゆっくりと、口を開いた。
「第1関門は突破とする。喫煙を許可しよう、ただしこの部屋だけだ、いいな?」
「はい……わかりました」
男はそこから立ち上がると、静かに部屋を出て行った。
生きているので俺は内心、安堵していた。
(はぁ、緊張したわ~~なんだよ第1関門って)
これから始まる合宿は、どうやら俺も鍛えられるようだ。
そして、今日の昼食は1杯のお吸い物だけだったのだが。
不思議と、俺は満足した気持ちとなったのだった。
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