第50話 正面と斜面の違い②

 俺は旅館の外にある、小さなテラス席へと座り、電子タバコを咥えていた。

 お風呂上がりのためか、温もった体に触れる夜風が心地よい。


「フゥゥゥーー……はぁ」


 周囲はすっかり暗くなり、小さな虫たちの鳴き声がよく聞こえてくる。


「やっとひと息だな。ほんと、騒がしい子達だ」


 食事の時間が騒がしかったので、俺はこの時間を堪能たんのうしていた。

 白い煙を吐きながらボ〜ッとしてると、黒いスーツを着た男性が、ゆっくりと近付いてくる。

 その手には火が灯った蚊取り線香を持っていた。


「こちらをどうぞ」

「あ、ありがとう……」


 俺の足元の近くに蚊取り線香を置くと、そのスーツ姿の男はその場を立ち去った。


「片付け……どうしよう?」


 そんな事を考えていると、旅館から浴衣姿の妹尾が出てくる。

 お風呂上がりなのか、後ろ髪を縛り、ヘアクリップで挟んでいる。

 俺の姿を見つけるなり、テーブルを挟んだ反対側の椅子へと座る。


「どうしたんだ、部屋にいなくていいのか?」

「部屋が騒がしいんですの、だから夜風にあたりにきたのですわ」


 変な事を言う、それぞれ個室にしたから、騒がしい事はないはずなのだが。

 もしかして、部屋に誰か来ているのか?


(やめだ、詮索せんさくするのはよそう)


「……そうか、さっき使用人の人が、蚊取り線香を置いていってくれたよ」

「みたいですわね。後片付けも、やらしておきますわ」


 俺は吸い殻をゴミ箱へと捨てると、電子タバコを机の上に置いた。

 その様子を見てか、気にする事はないと、妹尾が言ってくれる。

 俺はこれもマナーの一つだと、そう返事をした。


 妹尾は沈黙し、何か考えている様子となる。

 俺は静かに、虫達の音楽発表会に耳を傾けながら、妹尾が口を開くまで待った。


「後藤先生、ちょっと教えてもらえませんこと?」

「うん? 何が知りたいんだ?」

「今日の、巻藁練習場での事ですわ」


 妹尾は巻藁練習場で感じた事を、俺に喋り始めた。

 あの光陽高校のリーダー「斉藤弓雄」の事である。

 妹尾は試合を観客席で見ていたから、あの男が斜面打ち起こしで戦っていたのを知っている。


 だが、あの男が巻藁矢で引いたのは『正面打起し』それも、その射形は綺麗で、妹尾も認める程のものだったそうだ。



 そもそも、弓の引き方である『正面打起し』と『斜面打起し』には、大きな違いがある。

 その違いがある中で、もう少し深く掘り下げてみる。


[第13話参照]

 

 簡単に言えば『正面打起し』よりも『斜面打起し』のほうが、今の競技方法には向いている。


――その理由として、例をあげるならば。

・手の内、弓を握りながらでも動きやすい事。

・原理上、矢勢のある強い弓を引きやすい事。

・正面打起しよりも、短い準備で会に入れる事。


 実際、昔の戦国時代では毒矢を中てる事をメインとされていた。

 それはそもそも、弓自体の殺傷能力が低い事にある。


――理屈は単純で、弓から放つ矢は。

〈距離が飛ぶ程、到着点での威力は低下する〉

〈近ければ近い程、その威力は向上する〉


 そして至近距離で射ち合う場合、矢を射る準備をする時間が少ない、斜面打ち起こしのほうが、弓道FPSでは向いているのだ。


 こういった点を踏まえた上で、おそらくあの男は、途中で流派を変えたのだろう。

 そして勝率を高めるために、あえて『正面打起し』から『斜面打起し』へと流派を変え、射を変えたのだ。


 実際のところ『正面打起し』のほうが、綺麗な射形で引きやすいのは、理屈的にも事実である。

 それはそもそも『斜面打起し』よりも、綺麗に引く事が長けている流派が『正面打起し』なのだ。



 その違いが、あの男の射形で見てとれたのだ。


 妹尾はなんだが、理解はできるが納得がいかないといった表情をしている。


「妹尾が目指すのは、綺麗な射形なんだろ?」

「ええ……綺麗に引いて、当てる事にこそ、意味があると思っていますわ」


 その気持ちは分からなくもない。

 それに弓の引き方に違いはあれど、中る事が出来るのであれば、結果としては変わらないからだ。


 正直、インターハイで何がどこまで通用するかは分からない。

 だが今は、明日の決勝戦で勝利する事が大事だと思っている。


「まぁ、もし斜面が引きたいなら、いつでも教えるぞ?」

「フフフ、わたくしは結構ですわ」

「そうか……そろそろ戻るか?」

「そうですわね、疑問が解消されて、良かったですわ。わたくしは、わたくしの引き方で、勝ちますわ」


 妹尾のその表情は、自身に満ち溢れていた。

 俺はその自身に期待しつつ、部屋に戻る事にする。


(お風呂、もう一回入らねぇとな〜)


 そんな事を考えながら、俺は妹尾と一緒に、その場を去った。

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