第48話 選手の交代

 あれからしばらくして、榊󠄀原が落ち着いた事もあり、お婆さんとの別れを済ました。

 青色モヒカンはぐちゃぐちゃになった顔を整え、お婆さんの車椅子を押して部屋から去ろうとしている。


 そしてお婆さんが医務室を出たあと、その後ろ姿を見送ったその直後だった。

 目を赤くした榊󠄀原が、こんな事を言う。


「なあ……後藤先生、明日の試合。妹尾と交代させてくれないか?」


 その言葉に、俺は一瞬考えたが、思い当たる事を尋ねてみた。


「痛むのか?」

「違うんだ、痛みはないけど、決勝戦を戦い抜く自信がないんだ……」


 弓道において、心というコンディションはとても重要である。

 心が乱れると、それは射に現れるからだ。

 当然、持ち直す者もいれば、乱れたまま試合を終える奴もいる。

 色々と理由はあるだろうが、榊󠄀原は自分からその気持ちを察して、交代を申し出たのだ。


(さて、どうするか)


 悩んでいると、ちょうど医務室のドアが開き、真弓高校の選手達が入ってきた。

 すると藤原が、榊󠄀原の様子を見て、こんな事を言い始めた。


「さっき、矢野の話を聞いてきたぞ。榊󠄀原……明日の決勝戦は、妹尾と交代するがよい」


 矢野も妹尾も頷いた。

 榊󠄀原は驚いたような表情となるが、しばらく黙り込んでしまう。

 本来なら、顧問である俺が交代を告げる役割なのだが、この雰囲気を見る限り、その出番はなさそうだ。


「あら? わたくしも試合に出たくて、ウズウズしていたのですよ? ご安心なさい、絶対勝ちますわ」

「クックックッ、つまりそういう事だ。なぁに、榊󠄀原の分まで、存分に戦ってやろうぞ」


 矢野は沈黙を続けているが、榊󠄀原はその2人の様子に、申し訳ないように頷いた。


 すると藤原は突然、俺に車の鍵を貸してくれと言い出した。

 どうやら、先に車に行って待っているらしい。

 俺はポケットから白いバンの鍵を取り出すと、藤原に渡した。


「大丈夫だと思うが、絶対動かすなよ! 絶対にだ!!」

「クックックッ! 大丈夫だ、私に任せておけ。そうだ、任せておくがいい!!」


 藤原が軽快なステップを踏みながら、医務室から外へと出ていく。


「やべぇな……なんかめっちゃ不安だ。藤原って、免許持ってないだろ?」

「知りませんわ。それより、早く行きますわよ、お腹が空きましたわ」

「あれ? 妹尾も俺の車に乗るのか?」

「ええ、そのつもりですわ。しょうがないので、貨物車両に乗ってさしあげますわ」


(貨物車両って……確かにバンだけど)


 妹尾は鼻歌を歌いながら、医務室から外に出ていく。

 鼻歌を歌うくらい、やる気マンマンって事か?


 2人が部屋から出ていった後、矢野はため息をついて、榊󠄀原の側にいく。

 ベッドから降りようとしていた榊󠄀原に、手をさしだした。


「ちょっと、いつまで病人のフリをしてるわけ?」

「病人のフリって…………」

「その猿芝居、バレバレだけど? はやく行くわよ」

「………分かった、分かった。相変わらず、セッカチな女だなぁ~」


 榊󠄀原はその手を掴むと、グイッと引っ張りあげてもらいながら、そこから立ち上がる。

 珍しく榊原と矢野がフフっと笑う。


「安心して、榊󠄀原の身体に異常がないのは皆知っている。だからたまには、頼ってみなよ」

「ったく、矢野って奴は……うるさい女だな〜」


(ははは、何がうるさい女だよ。顔が笑ってんぞ)


 おそらく榊󠄀原の気持ちを、皆理解しているのだろう。

 だからこそ、藤原が交代しろと伝えたのだと思う。

 俺は椅子から立ち上がると、2人に声をかけた。


「ここから宿まで、そう距離はない。行くぞ、藤原と妹尾が先に行って待っているだろう」


 矢野と榊󠄀原を連れ、俺は医務室を去る。

 人が少なくなった廊下を進み、アリーナから外に出る。

 ふと空を見上げたなら、そこはもう綺麗な夕焼け色になっていた。


 吸い殻の溜まった喫煙所の前を横切り、駐車場に向かう途中、赤く染まったベンチを、チラっと横目で見る。


(懐かしな、この感じ。昔はよく、こんな光景を見てたな……)


 そんな事を思いながら、停めてある駐車場へと向かうと、そこには、エンジンのかかった白いバンが停まっていた。


 エンジンのかかった?


「ん………おい…………」


 そのバンの後部座席には、まるで隠れているかのように座っている、藤原と妹尾……俺は車の前面に立つと、その足を止めた。


 後部座席のスライドドアを開け、矢野と榊󠄀原が乗り込んでいく。

 そして車内からは、ワイワイとした4人の声が聞こえてくる。


 俺は深いため息をつくと、諦めて運転席へと乗り込む。

 すぐさま、藤原に一言申す。


「藤原には、もう絶対鍵は渡さねぇ……いいな!!」

「クックックックッ、まぁそう怒るな。いい男が台無しになるぞ? 後藤先生よ」

「いらんとこ、当てるなぁぁぁぁぁ!!!」


 叫ばずにはいられなかった。

 何故なら、俺の白いバンは凹んでいたからだ。



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