第34話 矢野と筒野

 着物のような袴姿のその男、武田は不気味な笑みを浮かべていた。


 こいつは武田智。本城晃と同じように、高校の時の弓道部員、つまり同期だった奴だ。

 一言で表すなら、チャラい男だ。

 よく他校の女子をそそのかしては、こいつは……玩具のようにもて遊んでいた、クズ野郎だ。


 だが実力はあったゆえ、当初はレギュラーメンバーで弓を引いていた事もある。

 それも、立ち位置は大前でだ……武田はチラりと矢野を見るなり、目が笑う。


「おやおや? いけませんねぇ。今度はその娘で遊ぶ気ですかぁ? 悪い先生だ」

「っち、いい加減な事を言う。お前と俺を一緒にするな」

「そうですかぁ。1回戦の勝利、みてましたよぉ……凄いですねぇ〜」


 相変わらず、わざと気持ち悪い喋り方をしやがる。

 俺は怒りを込めた言葉で、言い返した。


「何が言いたい? この糞野郎」

「このまま勝てばぁ……いずれウチと戦いますねぇ……楽しみですよぉ〜」


 確かにこいつの言う通り、このまま勝ち進めば、準決勝戦で戦う事になる。

 同じブロックに、こいつが顧問をする高校があるからだ。


「果たしてぇ〜ウチに勝てますかねぇ? 去年は本城の駒に負けましたがぁ……ウチは強いですよぉ?」

「ふざけやがって。それに部員は、手駒じゃねえだろうが!」


二ノ宮にのみや高校高等学校』

 昨年の決勝戦では光陽高校と戦い、破れた高校だが、その過去では選抜大会で優勝し、インターハイにも出場している。


 確かにこいつの学校も強い。

 そしてもう一人、こちらに近付いてくる人影……それは、袴姿の少女だった。


「さあぁ……こちらに来なさい……愛しき娘よ……」


 その少女は無言のままこちらへと近づくと、武田の横へと立ち並ぶ。

 後ろに居た矢野が、その少女の姿を見て、驚いたように声をあげた。


「まさか……筒野なのか?」

「久しぶりね、矢野琴音。その通りよ、私は筒野つつのあやよ。無様な表情ね、見ていて吐き気がするわ」


 黒髪で、長さは肩くらいまである。

 だが、その少女が発する言葉には、生気がまるでない。

 それは例えるなら、操り人形……

 再び不気味に笑う武田。飛び出しそうな矢野を、俺は片手で静止する。


「相変わらず、きたねぇ手を使いやがる……」

「はぁ~て? なんの事でしょう? これわぁ、挨拶ですよぉ?」


 こいつの目的は、おそらく精神攻撃だろう。だがそれは、言葉を変えればただの嫌がらせだ。


(後ろに居る矢野の表情が分らない。だが矢野の事だ、酷く憤怒しているはず)


 するとそこに、突風のような風が、勢いよく吹いた―――矢野を静止したその手が掴まれたような感触。

 

 そして、ゆっくりと下に降ろされた。


「……矢野?」


 袴をなびかせながら、矢野は俺の横に立ち並ぶ。

 その瞳は、ここにいる誰よりも、穏やかな眼をしていた。


「久々に会ったかと思えば、随分と楽しそうにしてるじゃない? 可愛がってもらっているのが、よく分かるわ」


 その矢野の言葉は冷たく、そして同時に余裕を感じる。

 予想外の言葉だったのか、筒野は目を細めた。


「あら? 強気なのね。あなたが下手くそなのは、1年生の頃からよく知っているわよ? さっきの試合だって、あれもマグレね」

「へぇ、見てたんだ? だとしたら、筒野の目はフシアナね。違う奴を見ていたんじゃない? ねぇ、お人形さん」

「なん…だと!?」


 筒野の表情が、一瞬ピクりと動いた。

 俺を見ていた武田の視線が、筒野を向く。


「はっきり言って、今の私は強い。何故なら、私を教えてくれているのは、"弓の使い手"と呼ばれている、後藤先生だからだ」

「先生が上手いからといって、矢野が上手くなるわけないでしょ!? 何言ってんのよ、あんた!!」


 その人形のような少女に、生気が宿る。

 さすがの武田も、言葉が出ないようだ。


(こりゃあ……墓穴を掘ったな、武田)


 再び、突風のような風が吹く。

 矢野の短い髪が「ひらひら」となびいていた。


「日本語も分らないバカなんだな。私は"強い"と言ったのだ。耳の穴を掃除してから、出直してこいやぁ!!」

「言ったな!! このぉ!!」


 飛び掛かってきそうになった筒野を、武田が肩を掴み、静止する。

 先程まで浮かべていた不気味なその微笑みは、もう消えていた。


「争うなら、弓で競ってみなよ。それでどう?」

「……上等よ、準決勝で待ってるわ」


 筒野は怒りをあらわにし、その場からきびすを返し立ち去る。

 武田の顔は、無表情だ。


「そういうわけだ、行けよ、武田智。茶番はもう終わりだ」

「いいだろう、後藤葵。貴様が勝つか、俺が勝つか……準決勝でケリをつける!!」

「あぁ、待っててやるよ」


 捨て台詞を吐いてすぐ、糞野郎はその場から立ち去った。

 矢野は集中力が切れたのか、おもむろにベンチへと座り込んだ。


(ははは、驚いたなぁ。あの言葉、俺が使ってた言葉じゃねぇか……)


 そよそよとした風が、また吹き始める。


 この場所は木陰ではない。だが今の俺には、なぜか涼しげに感じたのだった。

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