第27話 孫娘の夢
選抜大会まであと数日となった頃、俺は忌々しい書類作成をしていた。
自分の机の上に書類を広げ、パソコンに向かい、仕事をしている。
「ああ…疲れたー…っと、もうこんな時間か」
誰もいない職員室、その部屋にポツりとある、壁掛け時計で時間を確認する。
〈現在時刻は20:00頃〉集中力も切れ、やる気もなくなる時間帯だ。
あぁ、めっちゃ帰りたい……でもやらないと終わらない……
ゴールデンウィークが明け、そこからは選抜大会を見据え、少しハードな練習メニューを組んだ。
そして練習を見るために、仕事を後回しにしつつ、道場へと通っていたのがつい最近の事である。
良かれと思って組んだ、練習メニューだったが……それはもう、問題児からの苦情が凄かった。
腕が痛いとか、肌が荒れるだとか、お腹が空いたとか、俺の髪型が変だとか……でも俺の髪型は関係なくね?
ただ、なんだかんだ言われながらも、一応こなしてくれた事には感謝している。
だからここ数日は、試合に向けて体を気付かう練習内容としていて、部活も早めに切り上げている。
ただどうやら俺は、早めに切り上げる事は難しそうだ。
そういった事情もあり、道場で問題児達を教える時間を増やすためとはいえ、残業はやはり辛い。
「しょうがない、チャージするか」
俺は席を立つと、職員室から廊下に出て、いつもの喫煙場所を目指した。
北門から敷地外へと出ると、電子タバコを口に咥え、煙を補充する。
「フゥゥゥーー……ケホッケホッ……」
ちょっと最近、疲れているせいか、珍しく咳き込んだ。
無理はいけないと、あらためて痛感する。
「それにしても、明日には、メンバーを発表しないとな」
選抜大会での出場メンバーも決め、その書類は提出したのだが、実はまだ、問題児達に発表はしていない。
経験上その編成によっては、やる気をなくす部員もいるからだ。
「ま、とりあえずあの仕事を終わらさないとな」
これを吸ったら戻ろうかと考えていた時。少し離れた場所から、車のヘッドライトらしき灯りが前方の道路を照らす。
視線を動かすと、黒塗りの車が1台、北門へと近づいてきた。
周囲は暗いのにも関わらず、鈍く黒光りしている高級車。
その車は徐々に減速しつつ、ゆっくりと俺の前で停車した。
(え? もしかしてかなりピンチ?)
タバコを咥えたまま、俺は硬直した。
すると後部座席の窓が開き、その奥に座っている初老の男性が姿を表す。
(え……極道の方ですか?)
「こんばんは、後藤先生でございますな。いつもお世話になっております」
「あ…どうも、後藤です。失礼ですが、どちら様ですかね?」
「ホッホッホ、まずはこちらへ、お乗りください」
初老のその言葉に、後部座席のドアが独りでに開く。
その車の室内は、やはり高級そうな雰囲気だった。
(乗らない選択肢はなさそうだ……誘拐されたりしないよな?)
俺は急いでタバコをしまうと、恐る恐るその車に乗車した。
ドアが自動で閉まると、その隣には黒い着物を着用した初老が、杖を手に持ちニコニコとしている。
静かに車が走り初めると、学校沿いに西へと向かう。
周囲の邪魔にならないような道路上で、その車は停車した。
初老は手に持っていた杖の先を、俺が座っている窓の方向に、ゆっくりと向ける。
「あれを、見て頂きたいのです」
その言葉に、俺は左側にある窓の外へと、体を向けた。
そこには、明かりの灯った真弓高校の弓道場が見える。
「あれは……」
車の中から見えるのは、道場の射場で、4人の少女達がワイワイとしている光景。
夜遅いというのに、とても賑やかな様子だ。
―――矢野と榊󠄀原が、何かガミガミと言い合いながら、的張りをしている。
それはまるで、的張りの出来栄えを競っているみたいだ。
(はは、それはたぶん。矢野のほうが上手いよ。榊󠄀原も、わるくはないんだろうけどな)
―――藤原は、弦の張った弓の中仕掛けを調整しているようだ。
その隣には、自慢げな表情でエッヘンとしながら、握り皮を見せている妹尾。
2人とも仲睦ましい様子で、それはまるで、先輩と後輩。
(ははは、藤原はまんざらでもないようだけど、相変わらずだな~妹尾は)
その温かい光景に、俺は思わず微笑んでしまう。
「ホッホッホ、やはり貴方様が、顧問で良かったと思いまする。その微笑み、信用するに値しますぞ」
「え、あはは。すいません、なんだか、昔を思い出してしまって」
「左様ですかな」
俺が気付かないところで、いつのまにかこの少女達は、同じ部員として、こんな関係になっていたんだな。
その光景は、普通の部活動としてはいたって普通のものかもしれない。
でも、俺にとっては、嬉しい光景であることに、違いはなかった。
(まったく、俺もまだまだ、修行が足りないようだな)
「……後藤先生や」
「はい、なんでしょうか?」
「そなたなら、いつか孫娘の夢を、叶えてくれると信じておりますぞ。例えそれが、遠回りになってしまったとしてもの」
「ええっと……貴方のお孫さんとはー…」
「ホッホッホ、それは秘密ですじゃ。頼みましたぞ、伝説の"弓の使い手"殿」
「………ええ、わかりましたよ」
その初老の言葉は、どこか意地悪で―
また、全てを知っているかのような――
そんな説得力のある言葉に感じた―――
そしてなぜか、懐かし気持ちになった。
記憶にはないけど、もしかして昔、俺はこの人に会った事があるのかもしれない。
ただその答えを聞くのは、遠い未来の事になりそうだ。
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