稽古の開始

第8話 報われない努力

 榊原と出会ってから次の日の朝。俺は真弓高校の弓道場へと来ていた。今日は土曜日なので、学校は休みである。


 職員室から持ってきた鍵を使い、道場の鍵を開ける。

 下駄箱に靴を入れると、段差を登り、神棚にゆうをする。


「やっぱり綺麗に掃除されてるな。お?」


 射場の弓立てに置いてある、弦の張ってない弓が一本あったので、それを手に取り観察してみる。

 ボロボロになった白い握り皮、所々には赤い染みがある。

 その弓のしなりを確認してみると、ヘタってはいないようだ。


「弓の強さは11、そして伸びか。でもこれじゃあ——」


 すると〈ガラガラ〉と道場の扉が開き、黒髪でショートヘヤの少女が射場へと上がってくる。俺の姿を見るなり、いきなり目つきが鋭くなった。


「ちょっと!! 勝手に弓を触らないで!!」

「あはは、おはようございます……」


 タイミングが悪い、とゆうか来るのが早い。

 まだ7時前なのに……俺は手に持っていた弓を、弓立てに戻した。


「なんであんたがいるのよ。昨日も言ったでしょ? キモロン毛は帰ってよ!!」


(完全に敵対されているな……榊原の稽古もあるし。この少女には、どうやって認めてもらえばいいんだろうか?)


 その少女は更衣室のような部屋に入ると、俺を睨みつけた後、引き戸を勢いよく閉めた。

 ため息を吐き、今度は矢立箱に入った白い矢を手に取って見てみる。ボロボロの羽に、少し曲がった矢もある。これはきっと、的まで飛ばないから変形しているのだろう。


 黒髪の少女が更衣室で着替えているうちに、矢を矢立箱に戻す。

 今度は玄関にあったサンダルを履くと、矢取り道を通って的場へと向かう。盛られた土の山、通称『安土あづち』の表面を手で触ると、カチカチだった。


「これはひどいな……ん?」


 ある部分だけ、手入れされている様子の安土がある。それは昨日、あの少女が的を置いていた場所だった。

 おそらく、あの少女が道場の手入れをしているのだろう。

 性格はともかく、そういった面には、素直に関心する。


「きっとあの少女は、弓道が上達しない自分に、情けなさを感じているだろうな。俺が弓を教えてやれればな……」


 射場に戻るため、再び矢取り道を歩いていると、なんだか射場から騒がしい声が聞こえてきた。


「なんで舞が来るのよ!! もう二度と弓は引かないって言ってたじゃない!」

「うるさいな〜こっちにも色々あんだよ。嫌なら矢野こそ帰れば?」


 矢野って聞こえたな。あの少女の名前か?

 なんにしても、早く戻らないとな。


 少し駆け足になったのち、急ぎ射場に戻る。

 射場へと入るなり、目に映った光景。袴姿の矢野と、弓を担いだ学生服姿の榊原だった。


「おいおい、喧嘩はよくないぜ」

「キモロン毛! あんたまだいたの?」

「これはあたし達の問題なんだよ! 首を突っ込むな!!」


 うげぇ……こりゃ半端ないな。仲がいいのや悪いのやら。


(どうすれば喧嘩が治まる? ……そうだな)


 俺は喧嘩する二人を静止するため、ある提案をする。


「争うなら、弓で競ってみろよ。それでどうだ?」


 すると、争っていた二人が沈黙した。なんとか静止できたようだ。

 だけど案の定、榊原がニヤリと笑う。


「いいぜ、その話のった!!」

「…………」


 自信満々の榊原に対し、沈黙を続ける矢野。

 そこで俺は、ある条件を提示する。


「ただし、その子には2本だけ矢を射たせてほしい」


 黒髪の少女が再び、鋭い目付きで俺を睨んでくる。

 だが今度ばかりは、俺も後ずさる気はない。


「不快かもしれない、でも騙されたと思って、俺の指導を受けてみないか? 弓道経験者ってのは、本当なんだよ」

「……わかった」


 榊原は持ってきた道具を置き、更衣室へと入っていく。

 矢野と呼ばれた少女の目付きには、今までの鋭さはない。

 きっと、自分の実力を理解しているんだろうと思う。


「俺は後藤葵。君の名前、聞いていいか?」


 弓を持ち、準備をし始めた少女に名前を尋ねてみる。実は先ほど聞いているのだが、立ち話を聞いたなんてのは気まずいからだ。


矢野やの琴音ことね……」

「聞けて良かったよ、それじゃあさっそく準備してくれ」


 矢野は棚に置いてあった弓を手にとると、慣れた手付きで弓に弦を張り、道具の準備をし始めた。



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