第3話 罵倒される

 弓道場の射場に入るため、引き戸になっている扉を〈ガラガラ〉と開ける。履いていた黒い革靴を下駄箱に入れると、ちょっとした段を登り、道場の中へと入っていく。


(床も綺麗だし。それになんだか懐かしいな)


 広々とした道場の片隅に、綺麗に清掃された神棚があったので、そこに向かって頭を下げ『揖』をする。

 懐しさのあまり、フローリング張りの床を、ゆっくりと摺足すりあしで歩いてみた。



ゆう

 ごく浅い礼のこと。弓道において礼節や、感謝の念を表すために行うもの。



「あの、あなたは誰ですか?」


 その言葉にハッとなり、足をとめる。声がした方へと体を向けると、そこには弓を手に持つ顔の整った黒髪少女の姿。いきなり入ってきてしまったせいか、変質者を見るような眼差しをしている。


「突然すまない、でも怪しいものじゃない」


 言葉が悪かったのか、その少女はしかめた顔つきとなる。

 今さらだが、突然入った事を後悔している。


「その言葉に説得力はないです。十分怪しいですけど?」

「俺は新人教師の後藤です。偶然にも、ここに辿り着いたので」

「そう。練習の邪魔なので、帰ってもらえませんか?」


 冷たい視線で、俺に邪魔だと言い放つ少女。

 顔は美形だし、もう少し愛想があれば良かったんだが……

 ともあれ、さっきから気になっていた事をこの少女に聞いてみる。


「あのさ。君、弓道部員なんだろうけど、もしかして初心者だったりする?」

「はぁ? いきなり何よ……なにも知らないくせに。あなたこそ、そのキモロン毛はなに? ナルシストじゃないの!?」


(言葉がきつい………めっちゃ怒ってる……)


 清楚な子かと思ったら、かなり毒舌だった。

 期待していた反応とはまったく違うので、俺は少し心が傷ついた。


「あはは……いやさ、俺弓道の経験者なんだよ。実はこの場所が気になって、こっそり矢取り道から君のしゃを見ていたんだよ」


 その言葉に、少女の目つきがギロりと鋭くなる。

 もしかして、墓穴でも掘ったのだろうか?


「どうせあなたみたいな人、最近流行っている競技方法に影響されただけでしょ? 本当の弓道も知らないくせに、経験者だなんて言わないで!!」

「いやいや、そんな事ないぞ? だって俺は——」

「はやく帰って!! 帰らないと、警察に通報するわ!!」

「ははは……わかった。帰るから騒がないでくれ……」


 就任早々、問題を起こすのは避けたいところではあるので、ここは大人しく帰る事にする。俺はトボトボと下駄箱に向かい、靴を履き、玄関の引き戸を開ける。

 ただこのまま追い返されるのも悲しいので、道場から出る直前、その少女へと向き直った。


「あのさ」

「なによ? まだ何か言いたい事があるわけ?」

「持っている弓の弦の高さ、調整してみ。握りから弦までの距離は、15センチ程度が基本だぞ。それを見た限り、14センチ程度しかない。それだと離れをした後、弦で顔を打ちやすいぞ」

「——え?」


 しかめっ面をしていた少女の表情が和らぎ、今度は困惑したものとなる。去り際の決め台詞を放ったあと、道場の外へと出た。

 来た道を戻るようにして職員室へと向かう途中、先ほどの少女の言葉を思い出す。


(最近流行っている、競技方法か……)


 毛嫌いしていた新ルールの競技方法だが、久々に体験してみようかと考える。


 昔は弓道の選手として活躍していた俺だが、競技法が変わった頃からまるで関心がなくなっていたからな。そのせいか、さっきの少女に何も言い返せなかった自分が情けなく感じたのかもしれない。


(凄腕の射手か……今の競技法でも通用するのか、試してみるか)


 俺は葬式モード中の職員室へと戻ると、有給届けを提出し学校を後にする。

 多数の先生方から非常識だと白い目で見られたが、俺にとっては気にならない事だった。

 何故なら、どうしても行きたくなった場所が、出来てしまったのだから。



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