第2話 弓道場

 学校の東側にある正門に対し、北門から敷地外へと出る。

 その場へとしゃがみ込むと、ポケットから取り出した電子煙草を口に咥え、同時に携帯灰皿を取り出した。


「フゥゥゥー……これなら肉体労働のがマシかもな」


 白い煙を吐きながら愚痴をこぼす。

 荒れた校舎、どんよりとした職場の雰囲気に俺の気分は最悪だ。


 (いっその事、早退でもしようかな……)


——————ガンッ——


 何かを蹴ったような、そんな音が聞こえてくる。


「なんだ? 今の音って……」


 俺はすぐさま電子煙草をポケットへとしまうと立ち上がった。その音の正体を確認するため、聞こえてきた方向へと行ってみる。

 ここから西へと向かって少し歩くと、並んだ木々が見えてくる。その奥には道場のような作りをした建物がある。


「あれは、もしかして弓道場か?」 


——————カランッカランッ——


 今度は、なにかを床に落としたような音が鳴る。


(この音———聞き間違えるわけがない)


 それは昔、俺が弓道の初心者だった頃によく鳴らしていた音だ。


「やっぱり弓道場だな。するとあそこは、矢取り道か」


 木々に沿って作られた、30メートル程の真っ直ぐな砂利道がある。

 向かって右側の建物には、弓を引く場所が。

 左側には盛られた土の側面に、丸い的が設置してある。


 矢取り道まで歩いて行くと、ピンク色の蕾を持つ木々の隙間からこっそりと建物の中を覗いてみた。

 

 そこには弓道場で1人弓を引く、少女の姿。

 髪型は黒色のショートで、顔は整っていた。


 服装は白い弓道衣に、黒い袴姿、白い足袋。

 左手には『和弓わきゅう』を持ち、右手には茶色いグローブのようなもの『かけ』を着用している。


 その少女は床に転がっている矢を右手で拾い、弓を引き始めた。


 矢をつるに『つがえ装填』右手で弦を引っ張ってゆく。

 その右手はプルプルと震えており、弓を引く形『射形しゃけい』はとても見苦しい。

 その少女はぎこちなく、弦から手を離す動作『はなれ』をする。


——カシュ——————ガンッ!!


 放たれたその矢に勢いはなく、丸い的の枠に弾かれる。

 木の枠に弾かれたその矢は盛られた土『安土あづち』と呼ばれる土中へと刺さった。


「ダメ……もう一度……もっと引かなきゃ!!」


 再びその少女は矢を『つがえ装填』ると、強引に弓を『引き分け弓を引くこと』る。

 さっきよりも弓を引く右手の震えが大きい。


 立った位置から顔のみを左に向け、その右頬に矢を添える。

 そのまま静止し、狙いをつける『かい』となる。


(おいおい、強引に弦を引っ張りすぎだぞ……)


 俺の足元に、ボトリッと蕾が落ちてきた。


————バシンッ——!!


「きゃあぁ!!」


 少女が矢を射ると同時に、伸びていた弦は勢いよく縮んでいく。その際、顔面を強打したようだ。

 放たれた矢は、緑の芝生上『矢道やみち』と呼ばれる場所に転げ落ちた。

 少女はその場にうずくまり、痛々しく右頬をおさえている。


(ほれみろ、強引に引いたって、矢の飛距離がでるわけじゃねえのに……)


「——っつ。もう一度、あと一本ある!!」


 その少女は顔面を強打してもなお、弓を引こうとしている。

 がむしゃらに弓を引くその姿に、俺の心が何かを感じているのは確かだ。すでに握っていた拳に、グッと力が入った。


 少女が再び矢を『つがえ装填』ようとする。だが……それは手元を離れ、重力に引っ張られた矢が、ゆっくりと床へと落下する。


――カランッカランッ―——虚しい静寂が、この場を支配する。


 少女はその静けさに耐えかねたのか、崩れ落ちるようにその場へとひざまずいた。


(なにか、あの子に教えてやれる事はないだろうか?)


 これは無意識なのか、はたまた同情なのか、それは分からない。

 だが気がついた時にはすでに、俺は矢取り道から少女の立つ場所へと向かって、歩き始めていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る