69-擦れ違い


 誰もいない街で只一つ明かりの灯る古物店の二階。そこで獏と蜃と蒲牢は引き続き椒図について意見を出し合っていた。灰色海月もドアの脇で置物のように立って見守っている。

「やっぱり聞き込みなのかなぁ……」

 話が纏まらずぼやく獏を蜃は軽く蹴った。

「聞き込みって人間にだろ? 脆い人間に聞き込んでも無駄だ」

「あれは偶々だよ。偶然死んだだけ」

「偶然でもすぐ死ぬような人間に頼りたくない。時間の無駄だ」

「焦る気持ちはわかるけど、焦ると躓くよ」

 遠くを見詰めているばかりでは、足元の小石にでも躓きそうだ。あのビルから戻って来てから蜃の機嫌が悪い。焦燥が手に取るようにわかる。

 聞き込みに行った善行の先で依頼主が死んだことは確かに想定外だったが、同じことが何度も起こるとは限らない。もし起こるなら狴犴の仕業を疑う。

 どのみち一度で諦めるのは早過ぎる。獏はドアの脇に立つ灰色海月に目を遣り、彼女はすぐに汲み取り手紙を差し出した。

「スミレさんから預かった手紙です」

「ありがとう」

 むっとして睨む蜃の前で封を切る。何も手掛りが無いのだからやはり聞き込みをするのが建設的だ。

「えっと……『宇宙人と友達になりたい』?」

「宇宙人……?」

 今までにない願い事だった。

 こんな願い事も珍しくないのだろうかと思いつつ、蒲牢も真面目な顔をして訝しげに呟く。

「宇宙人とは……地球外の生物という認識でいいのか? 俺も会ったことがない」

「大体の人は会ったことがないと思うよ。この手紙は……幼い子供の字だね」

 よく見えるように手紙を広げると、興味深そうに蒲牢は受け取った。

『うちゅうじんと ともだちになりかた おしえてください』

 平仮名ばかりの拙い文字でそう書かれていた。確かに子供の字だ。

 不機嫌ではあるが、蜃も会話には加わった。他にどうすれば良いかわからないのだから、今は獏の案に乗るしかない。苛立ちは消せないが。

「友達と言うと椒図を思い出すが、さすがに椒図でも宇宙人と友達になりたいなんて言い出さない」

 何かと友達に拘っていた椒図だが、彼の口から『宇宙人』と聞くことはなかった。蜃は不機嫌なまま首を捻り、有り得なくもないか? とふと真顔にもなる。

 蒲牢も暫し考え、真顔で言った。

「俺も宇宙人に会ってみたい」

「何言ってるんだ君」

「……いいかもしれない」

「は?」

 蒲牢は変な奴だが、獏まで賛同するとは思わなかった。話が変な方向に流れている。そう感じ、何故一刻を争う椒図よりも突拍子もない宇宙人を優先しなければならないのかと蜃は不満げに顔を顰めた。

「空想の宇宙人と友達になりたいって言うなら流す所だけど、もし目の前に宇宙人がいるなら気になる」

「巫山戯てるのか」

「普通の人間を見ても宇宙人なんて思わないでしょ? 宇宙人に見える何か――これは確かめておきたい」

「椒図より宇宙人の方が大事なのか」

「そういうわけじゃないよ。気が乗らないなら蜃は待っててくれればいい。蒲牢と行って来るよ」

「…………」

 真面目に椒図を捜そうとしているのは自分だけなのかもしれないと蜃は急に馬鹿馬鹿しくなった。椒図を心配してやきもきして、皆同じ気持ちだと思っていた。なのに、そうじゃなかった。

 不信感を募らせる蜃の気持ちを知ってか知らずか、蒲牢もはっと手紙を示す。

「……待って。手紙の隅に『かっぱかもしれないです』って書いてる」

「椒図は河童じゃない!」

「それは俺も知ってるけど」

 話が噛み合っていない。蜃は徐々に苛立ち、杖を召喚した。蒲牢は椒図の味方をしてくれるかもしれないが、どうも緊張感が無い。

「もう勝手にしろ! 俺は一人で椒図を捜す。当たりを付けられなくても、虱潰しに捜せばきっと見つかる!」

 杖をくるりと回して姿を消す蜃を止める暇もなく、獏は蒲牢と顔を見合わせた。

「……怒らせちゃった」

「蜃は気負い過ぎだな」

「……しょうがない。二人で行こう」

 手紙を封筒に入れ、灰色海月に手渡しながら立ち上がる。灰色海月は襟の釦を外した獏の首に重く冷たい首輪を嵌めた。

 それを見るのは二度目だが、蒲牢は物珍しそうに見詰める。街の外に出る時は首輪の着用義務があるのなら、人間の病院へ連れて行った時は首輪をしなくても良かったのだろうか。誰も何も言わないのだから良いのか。

「これが僕に科された善行の装備だよ」

「狴犴の考えはよくわからないな」

 準備はできるが階下に洋種山牛蒡がいるため店の外へ出ることはできず、椅子を端に避けて灰色海月は部屋の中で灰色の傘をくるりと回した。

 転瞬の間に一変した景色は薄暗く、直後頭上に轟々と鳴り響いた騒音に三人はびくりと肩を竦めた。音はすぐに消え、恐る恐る暗い天井を見上げる。

「……橋?」

 目前に流れる川から察し、頭上にある天井はおそらく橋の底だろう。上に線路があるようだ。伸び放題の草で荒れる周囲を見渡してみるが、人影はなかった。

「今更なんですが、この手紙は未就学児の物だと思うんですが、いいんですか?」

「うん。契約する気はないけどね」

 聞き込みが目的なら契約は必要ない。あまり目立って騒ぎを起こすことは避けるが、執行人の鵺がこちらの味方でいてくれて助かっている。

「宇宙人……いますか?」

 川を見詰め、宇宙人も差出人もいない状況に暫し考える。近くにポストが無いことから、差出人の思念の方に転送したのだろう。つまり差出人はこの近くにいるはずだ。


「おねえちゃんたち、なにしてるの?」


 川を見詰めていた三人は背後から声を掛けられ振り向いた。小さな鞄を肩から掛けて制服を着た幼い男の子がきょとんと見上げていた。

「ねえ君、この手紙を出したかな?」

 届いた手紙を灰色海月から借り、蹲んで動物面の目線を合わせる。男の子は目を輝かせて食い入るように身を乗り出した。

「それ、ぼくの! あなたはばくですか? うちゅーじんですか?」

「獏だよ。宇宙人のことを聞きに来たよ」

「うちゅーじん! そのまえに、ちょっとまってください」

「うん?」

 男の子はくるりと踵を返し、橋脚に散乱しているゴミへと走って行った。肩に掛けた鞄をもたもたと開ける。

 獏達も気になり後ろからそっと覗くと、ゴミの中の空間に白に黒の模様が入った子猫が蹲っていた。鞄から出したパンを細かく千切り、男の子は子猫の前に置く。

「あのね、ぼくのいえは、ねこがかえないの」

「何だろう……親近感」

「バク科バク属のマレーバクと同じ色だからですか?」

「いや……」

 以前灰色海月に黒猫を飼っても良いか尋ねたことを思い出しただけなのだが。

 子猫はパンに興味を示すが、食べようとはしなかった。

「かなり弱ってるね」

「よわってる? はじめは三びきいたよ。でも二ひきはいなくなっちゃった」

 誰かが拾ったか、或いは野生動物にでも襲われたのだろう。

「パンが食べられないのかな。水とかミルクはあげてみた?」

 男の子は首を振る。

「ママがむこうにいるから、あげていいかきいてみる」

「あ、それは待って」

 どう見ても妖しい動物面が子供と一緒にいれば事件だと思われてしまう。ここで騒がれたくない。

「ねえクラゲさん、この子も店で飼えないかな?」

「マレーバクに似てるからですか?」

「それは関係ないけど」

「私からは何ともです。今いる黒猫も私に懐いてないので」

「子猫ならきっと懐くよ。店の方が食べ物はあるし、雨風も凌げるし。今すぐには僕は戻れないから、スミレさんに話して預けてきてくれるかな?」

「わかりました。すぐに戻るので、ここで待っていてください」

 手を伸ばしても逃げないので壊れ物を扱うようにそっと子猫を抱き、灰色海月はくるりと灰色の傘を回した。初めて触れた動物は温かく柔らかで灰色海月は途惑ってしまったが、表情を強張らせる彼女を獏は微笑ましく思う。

 突然姿を消した灰色海月に男の子は目を丸くし、ぱたぱたと空を掻いた。

「ねこ、かってくれるの?」

「うん。ちゃんと元気にするよ」

「わあ、よかった! うちゅーじんもずっとみてたから、いなくなったらびっくりするかな?」

「宇宙人は近くにいるの?」

「いるよ! ねこをみてた」

「ここで待ってたら会える?」

「うちゅーじん、ちょっとこわがり。だれもいないときにくる。だからかくれてみてる」

「じゃあ隠れなきゃいけないね」

「こっちきて! かくれるばしょ!」

 走り出す男の子に付いて行き、橋の下から陽の光の下へ出て川沿いの茂みに身を隠した。男の子の大きさだと背丈の高い草に隠れることができるが、獏と蒲牢は頭が出てしまう。伏せるしかなかった。

 そうこうしていると橋の下に灰色海月が戻って来る。獏が手招くとすぐに気付き、伏せる獏の隣に座った。

「クラゲさんも伏せて。宇宙人に見つかっちゃう」

「……はい。日向ぼっこをしてるわけではないんですね」

「天気はいいけどね……」

 夜行性の獏には太陽が眩しくて目を細めてしまう。

 灰色海月も茂みに伏せ、草の間から橋の下を見詰めた。ここからなら橋の上の轟音も見ることができた。時折細長い物体が通過する。灰色海月は電車を見るのは初めてだった。

「あんまり長時間こうしてると君のママは心配するかな?」

「だいじょーぶ! ママはおともだちのママと、たくさんしゃべる」

 こんなに目を離していられるのなら平和なのだろう。獏は人間嫌いと言えど子供まで憎んではいない。子供は未熟で純粋だ。何かになる前に摘み取りはしない。言うことを聞かない子供は別だが。

「……ねえ、君は獏の噂を誰から聞いたの?」

「えっとね、みちにたってたひと」

「誰かの会話を聞いたってこと?」

「ううん。ひとりでしゃべってた」

「……それを実行するのは好奇心が旺盛なのかなぁ……」

 何気無く尋ねたことだったが、思わぬ噂の広め方を聞いてしまい顔が引き攣った。そんな不審な広め方をすれば手紙を投函する人が減ってしまう。

「ぼく、おぼえてるよ。ばくはかみ、かみをあがめよ、さすればなんじのねがいはかなえられる」

「聞き覚えがある言葉なんだけど……。やっぱりそういうのは一人じゃないのか……三十匹はいそうだね」

 数がいるなら組織として活動しているかもしれない。面倒だけは起こしてくれるなと獏はげんなりとした。

 ぽかぽかと良い天気で気持ち良くなったのか、傍らの蒲牢が伏せながら目を閉じていることに気付いて揺すり起こす。蒲牢は静かに目を開け、ぼんやりと地面を歩く蟻を目で追った。

「……悪夢を見てた」

「こんな状況でよく眠れるね。その上悪夢……」

 暫く待つが橋の下には誰も現れず長期戦を覚悟した。晴れた空にも徐々に雲が覆う。雨が降るような気配はなかったが、瞼が閉じそうな蒲牢をもう一度揺すった。悪夢を見る所為で普段から頭はあまり眠れていないのだろう。動かないとすぐに眠くなってしまうようだ。寝かせてやりたいが、それは今ではない。

 雲が出た所為で余計に暗くなった橋の下に、いつの間にか気配があった。ずっと見ていたはずなのに、いつ現れたのかわからなかった。遠くて顔は見えないが、緑色の頭だった。

「蒲牢、あれ……」

 二人は目を丸くし凝らした。

「あれがうちゅーじんだよ。みどりいろのあたまのひとはいないもんね。しかもきゅうにでてくるの。うちゅーじんだから。でもみどりいろだから、カッパかもしれない」

 川が近いこともあり河童を連想したようだ。河童と言えば頭頂部の皿が有名だが、緑頭に皿は見えない。獏と蒲牢も河童を見たことはない。人型の獣はその特徴が体に現れない者も多く、外見で判別するのは難しい。

 緑頭は橋脚のゴミの前に膝を突き、辺りを見回している。子猫がいないので探しているようだ。

「あの宇宙人に近付いたことはある?」

「いっかいね、ちかづいてみたら、にげられた。うちゅーじんのれいぎじゃなかったみたい」

 宇宙人の礼儀は獏にもわからないが、接近すると逃げられるなら迂闊に近付けない。

「蒲牢、一瞬で相手を捕まえられるような力はある?」

「一瞬が一秒程度だとすれば難しいけど、脚力次第で時間は縮められる」

「……もしかして君の戦い方って肉弾戦?」

「直接拳では戦わない。間棒を使う」

「じゃあ相手に見つからないように捕まえることってできる?」

「遣ってみようか?」

「確実に捕まえられる自信があるなら。子猫を持って行っちゃったし、一度襲われればここには二度と現れないと思う」

「責任重大だな。けど先手を取る自信はある」

 先程までうつらと呑気に眠っていた者とは思えない。感情はないが気を引き締めた顔で、茂みから頭を出さないように姿勢を低く動き出す。死角に入るとすぐに杖を召喚して跳び乗り、橋の上へ飛んでいく。

 男の子は目をきらきらと輝かせて無意識に立ち上がりそうになり、獏は慌てて体を押さえた。蒲牢が見つからなくてもこちらが見つかれば終わりだ。

 橋の上で蒲牢は杖を仕舞い、今度は身の丈よりも長い間棒を召喚する。上からだと黒い獏が伏せているのがよく見えた。蒲牢は獏とは反対の方向を指差し、線路を渡る。もし緑頭が逃げるなら、襲撃とは逆の方向だ。そしてそちらに逃げると獏に接近することになる。もし逃がした場合は獏が何とかしろと言うことだ。

(予防線として信頼してくれるのはいいけど、こっちは力の制限があるんだけどなぁ……)

 蒲牢は橋の向こうから飛び降り、間棒に跨り少し空中を移動し橋の下へ潜り込む。子猫を探す緑頭は上を向かない。

 間棒を振り、蒲牢は勢い良く飛び降りた。寸前で緑頭も気配に気付いて身を引くが、翻った長い上着に間棒を突き立てられ地面に引き倒される。

「!?」

 動きを押さえられ焦る体に伸し掛かり、蒲牢は慣れたように暴れる手足を押さえた。

「悪い、少し話がしたいだけなんだ。近付くと逃げると聞いたから」

「……!」

 緑頭は近くで見ると少年の顔をしていた。髪の色は椒図に似ているが、編めるほど長かった髪は短く、顔も判断することができない。もっとしっかり椒図の死に顔を見ておけば良かった。

 捕まえたことを確認し、獏達も起き上がり駆け寄った。緑頭は警戒し、走り寄る獏達を睨み付ける。

「君に話があるんだ」

「……何だ、さっきから話と……。僕には話すことなんてない」

「じゃあ手短に言うよ」

 獏は膝を突き、面を外した。少しでも何処かに見覚えを感じることがあれば良いと自ら面を外した。緑頭の表情は変わらず、睨み付ける双眸は鋭い。


「……君は、椒図?」


 緑頭は目を見開き、すぐにまた鋭い視線を向けた。

「……は? 名前を言って動揺を誘う気か? 何が目的だ」

「当たりなんだね。良かった。こんなにすぐに見つかるとは思わなかったけど、これも巡り合わせなのかな」

 宇宙人などと形容されるのだから、標準的な人間ではないと予想はしていた。確証はないが、正体は獣ではないかと。それに子供は敏感だ。異質なものを見分ける鋭い子供は偶にいる。蜃にも説明したかったが、その前に行ってしまった。

「何をわけのわからないことを……」

 記憶が無いからか今の椒図は攻撃的な目をする。蜃は椒図のことを最初は暗い奴だと言っていたが、そういう風でもない。今の椒図の目は初めて会った時の蜃と同じ目をしていた。

 椒図を組み敷いていた蒲牢は彼の頬を軽くぺちりと叩く。

「椒図。蒲牢はわかるか?」

「!」

「逃げないならここから下りて顔を見せたいんだけど」

「蒲牢……兄……」

 化生してもやはり兄弟のことは認識している。譬え記憶が無くとも兄弟の名前は脳に刻み込まれているようだ。

 抵抗が緩くなったことを感じ、蒲牢は椒図の上から下りた。

 体を起こした椒図の顔は以前よりやや幼く、身長も以前より少し低かった。以前は蒲牢よりも高かったが、今は彼より低くなっている。外見は今の蜃と獏と同じくらいの齢に見えた。

「兄の言うことなら、聞いてくれるか?」

 椒図は攻撃的な鋭い目を和らげ、躊躇いがちに小さく頷いた。蒲牢がいてくれて良かったと獏は安堵する。兄弟の繋がりがこれほど強固だとは思わなかった。性格も関係があるかもしれないが、初対面なのに素直に言うことを聞いてくれるらしい。

「俺達は椒図を守りたい。一緒に来てくれるか?」

「守る……?」

「詳しいことは後で話そう。実は俺も……よく知らない。でも何も知らずにいると危険だ」

「…………」

 突然こんなことを言っても理解できないだろう。椒図は訝しげに蒲牢を見詰め、首を傾いだ。蒲牢も後で獏に詳細を聞こうと心中で誓う。蜃がいると椒図のことばかりで、どうして狴犴と争い躍起になっているのか詳細を聞く暇がなかった。

 その様子を見て、忘れ去られている男の子は目を輝かせながら獏の外套を引っ張った。

「ばく、ともだちになりたい」

「……あ、そうだったね。近付けたし、直接言ってみたらどうかな」

 椒図も小さな男の子の存在に気付いて顔を向ける。男の子はもじもじと獏の後ろに隠れながら、一所懸命勇気を振り絞った。

「あ、あのね、ぼくとともだちになってください!」

「友達……?」

 椒図はきょとんとし、不意に目から一滴零れるものがあった。

「うちゅーじんさん……?」

 何が流れたのかわからず、椒図は目元に手を遣る。生温かいものが触れた。誰か答えを知る者はいないかと椒図はそれぞれを見回すが、蒲牢は驚いたような顔をし、獏は微笑むだけだった。

 目元を拭うと、それ以上は何も出て来なかった。一体何だったのか、化生して間も無い椒図にはわからなかった。川の水でも飛んで来たのかもしれない。


「ちょっ、ちょっと貴方達!」


 呆然としていると、背後から上擦った声が聞こえて来た。振り向くと、女が怯えながらも鞄を抱き締めて睨んでいた。

「ママ!」

 見つかってしまったようだ。面倒なことになりそうだ。獏は面を被り肩を竦める。

「うちの子に何をするんですか!」

「ママ! ともだちできたよ! うちゅーじんの!」

「意味のわからないことを言わないで!」

 あまり引き止めると警察を呼ばれかねない。獏は蹲み、小声で男の子を諭した。

「ママはもう家に帰ろうって言ってるんだよ。僕達も家に帰るから、子猫が元気になったらまた会いに行くよ」

「うん!」

「何!? うちの子に変なこと吹き込まないで!」

 軽く背を押すと、男の子は母親の許へ走って行った。不審者が現れたと噂を流されるかもしれない。

 足早に母親に手を引かれつつも振り向いて手を振る男の子を見送りながら、獏は状況をまだ理解できていない椒図を一瞥し、蒲牢に向き直った。

「すぐ街に戻りたい所だけど、ついでだし煙草を一カートン買いたいんだけど、いいかな?」

 椒図を確保でき、気持ちにも余裕が生まれた。少しくらいの買物なら許されるだろう。

「煙草……? 吸うのか?」

狻猊さんげいに頼まれててね」

 中立の狻猊とは良い関係を築いておきたい。煙草さえあれば良いと彼も言っていた。

「ああ……狻猊か。それなら俺が今度渡しておくよ」

「本当? 助かるよ。この姿じゃ買えるかわからなかったし」

「お金は持ってない……けど。椒図が見つかったのも獏の御陰だ。これくらい安い」

「お金は渡すよ」

 御陰と言われると首を捻る所はあるが、獏の噂を拡散させたことで網に掛かったのは事実だ。獏を神扱いする者達はどうにかしないといけないが。

「……蒲牢、この人は?」

 兄弟のことは脳に刻まれているが、その他の者の記憶はない。椒図は蒲牢以外には警戒したままだ。

「こっちの黒いのは獏、灰色は灰色海月だ。関係は……何て言えばいいんだ? 俺は獏の餌だと言えばいいか?」

「餌……?」

「語弊があるから訂正させて」

 大事な部分を省略されると困る。

「獏は悪夢を喰らう獣だから、蒲牢の見た悪夢を食べてあげるって約束をしてるんだよ」

「……獣の肉を喰らう獣がいるわけではないんだな」

「ほらもう蒲牢の言い方が悪いから誤解される所だった」

 怒っているようで怒っていない獏と無表情で受け流す蒲牢の遣り取りを訝しげに見ながら、どうやら二人は敵ではないと椒図にも推察することができた。打ち解けて話しているように見える。警戒を完全に解くことはしないが、椒図は少し肩の力を抜いた。

「あ、そうだ。この近くに御団子が売ってるお店ってないかな?」

 ふと思い付き、獏は灰色海月を振り返る。あまりに唐突で灰色海月は首を傾げた。

「御団子……和菓子ですか?」

「前に見た過去夢だか何だかわからないものの中で椒図と食べてた気がして」

「わかりました。探してきます。時間が掛かるかもしれないので、先に戻っていてください」

「うん。あんまり時間が掛かるようなら、見つからなくても帰って来てね」

 灰色海月は灰色の頭を下げて獏のことは蒲牢に任せ、灰色のスカートを抓んですぐに橋の下から駆け出した。

 街へ戻るのは蒲牢の杖でも可能だ。蒲牢は杖を召喚し、三人も暗い街へ戻る。

 瞬きの後に誰もいない夜の街並みが唐突に視界に広がり、椒図は身構えた。先程まで目の前にあった橋も川も無くなってしまった。

「驚くよね。ここはさっきとは別空間にある空っぽの街だよ。僕達の拠点……って所かな?」

 手で招き、獏は屋根の上に跳び乗る。洋種山牛蒡のいる店の一階を経由するわけにはいかない。蒲牢が付いて行くと椒図も警戒しながら追い、屋根に空いた大穴から部屋に入った。部屋の中には誰もいない。天井が空いていると落ち着かないので、また向かいの部屋へ移動する。灰色海月の部屋を開けるが、ここにも誰もいない。蜃はまだ戻って来ていないようだ。何処に行ったのかわかれば迎えにも行けるが、まさか椒図が見つかるまで戻らないなんて考えていなければ良いのだが。

 獏はくるりと振り返り、辺りを警戒する椒図に微笑んだ。

「おかえり。……って、言っていいのかな」

「は……?」

 何も理解していない椒図は訝しげに首を傾ぐ。改めて見ると、髪の色や性別は同じだが外見の年齢も背丈も髪の長さも違う。蒲牢の言っていた通り何処となく面影はあるが、別人と言えた。

 寂しさはあるが、またここに『椒図』が来てくれたことは、素直に嬉しかった。

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