11-訓練


 霧の掛かる誰もいない街は今日も静寂の中で、一つ灯る店だけのために存在する。

 疎らな街灯がぽつりぽつりと並ぶ煉瓦の街並みは止まった時間の中で変わらずそこにある。

 星の無い黒い空にはぼんやりと月だけが仄かに見下ろしていた。

 棚に囲まれた薄暗い古物店の中で机上に広げたチェス盤を前に、灰色海月はじっと動きを止めていた。黒と白の駒が錯綜する盤上をじっと見詰める。

 一手一手が長考の灰色海月をゆっくりと紅茶を飲みながら動物面の奥で見守る獏は、徐ろに懐から罅の入った透明な石の付いた杖を取り出した。

「……クラゲさん。ちょっと相談があるんだけど」

「後にしてください」

「変換石って、用意できるかな?」

「…………」

 灰色海月はすぐに頭が切り換えられず、ハッとしながらもゆっくりと顔を上げた。机に置かれた罅の入った石を見、絶句した。

「何をしたんですか……?」

「いや……ちょっとね」

「何をしたんですか?」

 壊れた人形のように同じ言葉を繰り返すので、獏は一旦口を噤んでしまった。

 理由を知ってか知らずか、床からとんと机上に黒猫が跳び乗る。

「この子を助けようとして」

「…………」

 禁じられている悪夢を食べたことを灰色海月に言うかまだ悩んでいる獏は、濁して答えるしかできなかった。この黒猫に関してはまだ迷子だったとしか言っていない。

「割れるほど何をしたんですか?」

「……この新しい石を」

「石は用意できるかもしれませんが、理由は言えませんか?」

「…………」

「私のことは信じられませんか?」

 ゆっくりと手が動き、駒を動かす。考えきらず出された手は、悪手だった。

「そういうわけじゃ……。クラゲさんを共犯者にしたくないと言うか」

「悪いことをしたなら報告義務はありますが」

「…………」

「退っ引きならない理由があるなら、私は貴方の味方がしたいです」

 駒に触れた獏の手が止まる。顔を上げると、灰色海月は真っ直ぐ獏を見ていた。いつもは辛辣な彼女が、寄り添うようなことを言う。それを信じて良いのか、いつものように指で輪を作り覗くことはできなかった。

「……この子が悪夢に魘されてたから」

「食べたんですか……?」

 獏は慎重にこくりと頷く。

「食べて何ともなかったんですか?」

「烙印が疼いたから、バレないように杖で防いだ。それで」

「割れたと」

 再びこくりと頷く。

「悪夢のことは私にはわかりませんが、そうしたと言うことは、そうしないとこの方が危なかったと言うことですか?」

「そう……だね」

「なら仕方のないことだと思います。私も共犯者でいいです」

「!」

 獏は目を丸くする。確かに悪夢に憑かれたこの猫は危険な状態だったが、許されるとは思わなかった。夢のことなんて、獏以外には理解されないことだと思っていた。歩み寄ってくれているのかと、少し意外に思い睫毛を伏せた。

「早く打ってください」

「……チェック」

「待ってください」

「待ては無しだよ」

 再び盤上を見詰めたまま動きを止めてしまった灰色海月を苦笑しながら、獏は安堵した。味方だと言われたことは素直に嬉しかった。以前彼女を助けたことに対する義理かもしれないが。盤上の駒を穴の空きそうなほど睨む灰色海月を、紅茶を飲みながら眺める。

 チェックを掛けられたキングは逃げなければならない。だが逃げた所で逃れられず追われる。双方の駒の種類と位置を確認しながら、灰色海月は息が止まりそうだった。

「リ……リザ……」

 悔しいが逃げ切る手が浮かばず敗北リザインを口にしようとする灰色海月の背後の薄暗がりから、長い指先が彼女の白い駒を静かに動かした。

 視界に入った知らない指先に、獏は顔を上げる。

「……誰? 横槍は詰まらないな」

 指を辿り、見上げる。見知らぬ至極色の青年が立っていた。この透明な街の店に客など来ない。迷い込んだわけでもなさそうだ。獏は自身の黒い駒をこんと動かす。

 青年は盤上の駒を見詰めたまま静かに口を開いた。

「ノックしても返事がなかったので、勝手に入りました」

「店だからノックの必要はないけど」

 白と黒の駒を交互に指すが、灰色海月と違いこの青年は指し方が早い。負けを認めかけた灰色海月の後から無言で駒を指し合い、彼女は食い入るように盤上を見詰めた。

「……あ」

「チェックメイト」

「負けました」

 白いキングは獏の指に捕らわれた。

「凄いです。まだ手があったなんて思いませんでした」

 漸く盤上から目線を外し、灰色海月も背後を見上げる。その顔に少し見覚えがあり、目を瞬く。

ぬえさんと一緒にいる所を見たことがあります。確か『スミレちゃん』と呼ばれてました」

 飛び出した名前に獏は面で隠れた眉を顰めた。

「鵺の差し金……?」

黒葉菫クロバスミレです。鵺に言われたのは間違いないですが、そんな邪険にしなくても」

 獏には初めて見る顔だったが、おそらく灰色海月と同じ、元は人間ではない。後から人の姿を与えられた者だ。物静かだが、チェスの指し方から見て頭の回転は速い。

 黒服は闇に紛れる。薄暗い店内ですぐに気配に気付けなかったのは、盤上に集中していたからか。

「何の用?」

 黒猫の悪夢を食べたことが知られたなら鵺が直接来そうなものだが、それ以外に誰かが来る理由が思い当たらない。上手く防げたと思っていたのだが、また仕置きかと嫌になる。

「クラゲに用があって来ました」

「……私、ですか?」

 予測が外れ、内心獏は安堵する。事務的な連絡かもしれない。それならわざわざ口を挟んで立場を危うくする必要はない。黙っていれば良い。

「あまりに非力だからと」

「! 解雇……ですか?」

 灰色海月の口元が戦慄く。監視役に戦闘は必須ではないはずだが、足を引っ張った自覚も彼女にはあった。俯いて縋るようにスカートを握る。

 黒葉菫はゆったりとした動きで小首を傾げた。

「いや、少し訓練をしてやってくれと頼まれただけだ」

「訓練……?」

「人になってまだ日が浅いから、上手く力を使えないんだろうと言ってた」

「解雇じゃないんですか……?」

「俺にそんな権限はない」

「良かった……です」

 心の底から安堵し、灰色海月は泣きそうに眉を開いた。

 黒葉菫はほんのりと微笑み、机に置かれた罅割れた杖に気付く。

「それは……」

 視線に気付き、机に出したままにしていたことを思い出す。不味い物を見られたかもしれない。罅の理由を聞かれれば何と答えようかと獏は思考を巡らせる。

「見ての通りだよ。新しい変換石があればお願いしたいけど」

「触っても?」

「どうぞ」

 短く畳まれた杖を丁寧に拾い上げ、黒葉菫はくるくると回しながらじっくりと観察する。まさか見ただけで何に使ったのかわかるのだろうかと肝を冷やすが、そういうわけではないようだった。

「経年による劣化ですね」

「劣化?」

「疲労が蓄積して、少し力を籠めただけでも割れてしまったんだと思います。修理に出せるので、預かってもいいですか?」

「それは是非。無いと不便だからね」

「杖が無いなら、クラゲはもっと頑張らないとな」

「はい」

 預かった杖を仕舞い、黒葉菫は踵を返して店の外へ出ようとした。その足を途中で止める。

「……あ。付いて来てください」

 獏と灰色海月は刹那動きを止めてしまうが、小さく頷く。黒葉菫は少々抜けている所があるのかもしれない。

 促されるまま店外へ出ると、いつもの誰もいない暗い霧の街が広がる。

「教えるなら広い場所の方がいいと思うので。あと、的になりそうな物があればいいんですが」

「茶葉の空缶でいいかな?」

「構わないです」

 台所で茶葉の空缶を幾つか見繕い、台になりそうな木箱も灰色海月と手分けして運び出す。的と言うからには遠くから狙うのだろうと、視界の悪い霧を考慮して缶の上に発光させた夜燈石の欠片を置いた。少しずつ離して並べた三つの缶を確認し、黒葉菫の許へ戻る。

「御手数掛けました」

「結構距離があるね。夜燈石を上に置いたけど、位置はわかる?」

「充分です」

 霧の中ぼんやりとした光が見えるが、缶の影は薄らと見えるだけだ。獏と違い菫の花は夜目がきかないはずなので、更に見にくい。

「クラゲはどんな武器を使うんだ?」

「触手を伸ばせます」

「遠くへ飛ばすならコントロールの仕方は同じだと思う。どう教えればいいか困るが」

 獏は少し後退し、訓練とやらを見守る。海月は水中の生物故に陸上ではあまり力が発揮できないが、菫は地面から動くこともできない植物だ。動けない者がどう動くのか興味はある。今までの遣り取りを見るに、灰色海月より人間歴も長そうだ。

 黒葉菫は徐ろに手に指を掛け、掌からフリントロック式の拳銃を引き抜いた。

「手から銃が……」

「何で驚くんだ? クラゲは何処から触手を取り出すんだ?」

「手です」

 手から物を出すことは灰色海月にもできるが、銃を出したことはない。

「この銃の燧石フリント部分に変換石を入れてある。俺は元は植物だから銃は蒴果、弾は種子だ」

 遠く缶に向かって銃口を向け、腕を伸ばす。ぴたりと揺れずに片手で狙いを付け、直ぐ様引き金を引き、がちんと撃った。

 カンと乾いた音が静かな街に響き、石畳に缶の落ちる音が聞こえた。

「凄いです。当たりました」

 感嘆の声を上げる灰色海月の後ろで、獏は銃の方に興味を持った。

「フリントロックって装填が面倒じゃないの?」

「変換石があるので火薬の代わりに力を使って、撃鉄も手で動かす必要がないので、俺は引き金を引くだけです」

「へぇ。面白いね。その銃はクラゲさんの触手と違って手から離せそうだけど、僕でも撃てるの?」

 飛び道具という物は今まで馴染みがなかったので興味がある。古物店としても古いフリントロック式の銃には興味があった。

「弾を装填すれば撃てます。でも火薬の代わりに力を使うので」

 銃身を持ち、獏に銃を差し出す。それを受け取ると、思ったよりもずしりと重い。これを片手で撃つことは難しそうだ。

「初めは両手で持つ方がいいです。力を籠めるために俺は手を添えますが、狙いは貴方が付けてください」

「わかった」

「撃鉄を起こしたので、いつでも撃ってください」

 残っている缶に狙いを定め、腕を伸ばす。面の御陰で視界が狭いためか、的が明晰に見える。

 引き金を引くとがちんとフリズンを打ち、弾が射出された。

「!」

 反動で背が後ろへ傾くが、黒葉菫に支えられる。同時に弾が缶に当たる音が響いた。だが台からは落ちなかった。

「端に当たったみたいです。初めてにしては上手いです」

「標的を狙うことは初めてじゃないからね。銃は初めてだけど、面白い」

 黒葉菫に銃を返し、高揚して高鳴る心臓を落ち着ける。手に撃った感覚がじんと残っている。

「杖があれば簡単に缶を落とせるんだけど」

「やっぱり杖が無いと力が使えないんですか?」

「ん? んー……これ、鵺に筒抜け?」

「いえ。俺は誰かの専属ではないので。黙ってろと言うなら黙ってます」

 鵺の命で来たと言っても、従順ではないらしい。鵺の耳に入らないのならと、安心して口を開く。完全に信じたわけではないが、絶対に知られると不味いということでもない。

「僕はちょっと特殊なタイプでね、元々は杖無しで完全な力を使う。でもその力は強いから、制御するために杖を作ったんだよ。この街の中だと力を制限されてるから、杖でしか力を使えないようになってる」

「そうなんですね。だったら杖を修理する間は護衛についた方がいいですか?」

「そんな護衛が必要な面倒な依頼者に当たりたくないんだけど」

 先日の襲われた件はあるが、ああいうのが度々あっては堪らない。

「そうですか。――じゃあ次はクラゲが触手でやってみて」

 会話を静かに聞いていた灰色海月は呼ばれてハッとする。動かぬ空缶を見た。弾より触手の方が細いが、小さな茶葉の缶に当たるだろうか。

「……はい」

 掌を缶へ翳し、数本の触手を一気に射出した。皆の視線は触手を追い、途中でぴたりと止まる。

「…………」

「すみません……届きません」

 海月の触手では銃のように遠くへは飛ばせなかった。解雇されやしないかとふるふると目を伏せる。

「射程距離を考えてなかった。もう少し近付いてみて」

 何とか届く距離まで前に出るが、缶の影がはっきりと見えるほど近くては当たるのなんて当然だ。誰がどう見ても銃の方が性能が良い。

「か……解雇……」

「だから、俺にはそんな権限はない」

「そんな心配しなくても、解雇なんて僕が許さないよ」

 こちらも何の権限もないが、何の自信があるのかくすくすと笑う。杖が無い内は街の中ですら何もできないのに。

 近距離で確実に触手で缶を落とし、手を下げる。少しの間でも獏の手から杖が離れることに不安しかなかった。何かあった時に守れるとは思えない。

「……あの、手紙の気配がするので、行ってもいいですか?」

 訓練の最中だがふと願い事の手紙が投函される気配を察知し、不安を振り払うように灰色の頭を振って切り替える。不安を引き摺るわけにはいかない。

「勿論」

 返事をした獏に頭を下げ、灰色海月は店の壁に立て掛けていた灰色の傘を広げてくるりと回した。

 残された獏は感情の読み取れない静かな黒葉菫を見上げる。

「どう思う? クラゲさんのこと」

 黒葉菫は銃の撃鉄を確認した後に下ろし、獏をゆったりと見る。

「たぶん成功体験でもあれば、自信がつくと思います。水の中だと海月の手の内ですが、人間に有利な陸地でも上手く動ければ」

「そうだね」

 獏は落ちた缶を拾い、元の位置へ置く。倣って黒葉菫も缶を拾った。

 その背後で灰色の傘をくるりと回して戻ってきた灰色海月は、いつもの足取りで差出人の男を連れて的の方へ向かう。気分が落ち込んでいる所為もあり、男が死角に持っていた物に灰色海月は気付かなかった。

 足音に気付いて霞む霧の中で振り向いた動物面が、がくんと頭を揺らした。

「――!」

 腕から赤い血が散り、同時に男の手に握られていた銃が虚空へ投げ出される。黒葉菫の銃口は続けて男の脚を撃ち抜いた。

「クラゲ、その男を拘束しろ」

「っ!」

 突然のことで反応が遅れた灰色海月は、言われるまま手から触手を出して男の体を絡め取った。

 黒葉菫は銃口を下げずに、腕を押さえて膝を突いた獏に駆け寄る。

「すみません。少し遅れました」

「いや……掠っただけだから、充分。ちょっと杖を貸して」

「は……? あれは割れてて」

「だったら君の銃の変換石。少し小さいけど、貸して」

「…………」

 何をするのかわからなかったが、黒葉菫は黙って銃を差し出した。弾は込められているが、黒葉菫が力を添えなければ撃てないのに。

 獏は無事な方の手で銃を握り、撃たれた脚を押さえて蹲る男に歩み寄る。眉を顰める男の眉間に、銃口を当てた。

「何で撃ったの?」

 凍りつくような冷たい声が霧に混ざる。

 男は呻き声を殺しながら、にまりと笑った。

「お前が……獏か?」

「だったら何?」

「何でも願いを叶えてくれるらしいなァ! 誰がその力を手に入れられるか……」

「勝負でもしてるの?」

「オレはそんな力は信じねぇ! だがもし! そんな力が本当にあった場合、邪魔にしかならねぇ! だからオレは!」

「僕を殺しに来たの?」

「そうだ!」

 ぐり、と痕が付きそうなほど額に銃口を押し付ける。


「君は海月の刺胞毒と銃、どっちで死にたい?」


「は……海月……? そんなもん何処に……」

 その後ろで灰色海月は小さく頭を振っている。わかっている。灰色海月の毒では即死はないが、この男にそんな知識はないだろう。

 獏は灰色海月に微笑みかけて首をくいと動かして促す。

 男は既に身動きが取れずにいる。獏も銃口を突き付けている。この状態で失敗ることはない。そのことは灰色海月にも理解できた。

「腕撃たれたくらいで頭がおかしくなったかァ!?」

 下卑た笑いをする男の銃創をブーツの踵で踏み付けて捩じ込み黙らせる。

「ぐ、あああっ」

 灰色海月は息を呑み、拘束に使っている触手の一部を引いた。

「……私が、海月です」

 掌を翻し、無数の細い触手を男の体に突き立てた。

「!? っ……あ、アアア!」

 焼けるような痛みが刺された箇所から広がっていく。男の体はびくびくと痙攣する。

「何で殺せると思ったのかな? 愚かな人間の分際で」

 銃に取り付けられた変換石から線香花火のように火花が散る。小さな石にどれほど耐えられるのかわからないが、力を籠めた。種子の弾では生温い。力の弾を撃ち込む。

「――バイバイ」

 がんっ、と大きな音を立て、弾は男の頭を貫通し石畳を穿った。頭の殆どを潰し大きく空いた穴からぐしゃりと赤が広がった。

 灰色海月も思わず息が止まってしまう。

 力に耐えきれなかったか、銃身に少し罅が入ってしまった。火花は次第に落ち着き、銃口からは霧のように力の残滓が上る。

「クラゲさん……もし平気だったら、これを外に捨ててきてくれる?」

「は……はい」

 銃創から足を引き、獏は罅の入ってしまった銃を見下ろして振り返る。

「ごめん、銃に罅――って、何で君まで倒れてるの!?」

 男はもう動かないので灰色海月に任せ、静かに倒れている黒葉菫に慌てて駆け寄る。腕から血を流していた。

「意識はある……? あの男は撃ってなかったはずだけど……」

「起きてます……。銃は……俺の体の一部なので……」

 苦しげに掠れる声で吐息と共に吐き出された言葉に、獏はもう一度罅の入った銃を見下ろした。

「何で貸したの!? そんな物、他の人に預けちゃ駄目だよ! もし暴発でもしたらどうなるの!?」

「死にはしませんが、俺も爆発します」

「本当に死なないのそれ!?」

 慌てて銃を黒葉菫の手に握らせる。銃は手に吸い込まれるように消えていった。

「君の銃まで修理させることになって、ごめん……」

「いえ……変換石は無事なので、大丈夫です。銃の罅は体内で修復できるので……体の一部なので」

「こんなことになるなら借りなかったよ……」

「特殊な力って奴を、見てみたかったのかもしれません」

「馬鹿なの? ……とりあえず手当てしないと」

「それは貴方も同じです」

「僕も馬鹿って?」

 困ったように獏は苦笑する。馬鹿だと言われても、否定はしない。

「……いえ、手当ての方です」

「手伝います」

 振り返ると、男の死体はもうそこにはなかった。すぐに捨てに行った気概には感心する。

 無傷の灰色海月は黒葉菫を支えながら起こした。二人共傷を負ったのは腕なので、歩けるのは幸いだ。

「鵺にどう説明しよう……」

 ぼそりと呟いた黒葉菫に、獏は途端に気不味くなった。街の中では杖は使っても良いことになっているが、今の場合は杖ではない。それは許される範囲なのだろうか。仕置きが続いているので構えてしまう。錆びた機械のようにぎこちなく彼の方を見た。

 視線を感じた黒葉菫はゆったりと獏を見た後、前を向く。

「俺の失態ってことにしておきます。実際俺の失態なので」

「……いいの?」

「人の銃を撃てる人には逆らわないので」

「うっ……」

 何だか突き刺さるような言い方だったが、獏は素直に礼を言った。

「クラゲには少し自信になっただろうし」

 二人の前を行き店のドアを開けたり救急箱を持ってきたりと走り回る灰色海月を見て、獏は微笑む。自信になれば良いと先に灰色海月に刺させたのだ。自信を持ってもらわねば困る。

「それに関してだけは、あの男に感謝してもいいかな」

「いい性格……」

「何か言った?」

「いえ」

 獏と黒葉菫は灰色海月から手当てを受けながら、痛みに顔を顰めた。

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