8-カフェ


 ぽりぽりと鉄屑を咀嚼しながら、獏は机の上で突っ伏していた。顔に被るマレーバクの面の鼻が邪魔で横向きにしか突っ伏せないが。

 願い事の依頼が忙しなく来ると億劫になるが、来なければ暇で誰もいない街では何もすることがない。灰色海月は街の外へ願い事の手紙を拾いに行っているが、最近面倒な願い事が増えてきて拒否することも多くなった。灰色海月は願いの中身を見ずに依頼者を街へ連れてくるので、どんな願いか把握するために全ての人間と面会しなければならない。依頼者を連れてくる前に灰色海月にも願い事の手紙に目を通してもらった方が良いかもしれない。

 ぼんやりと誰もいない店の棚を眺めていると、灰色海月が依頼者を連れて戻ってきた。ちりちりとベルを鳴らし、獏を呼ぶ。音はだんだんと近付き、耳元で喧しく揺らされた。

「聴こえてる」

「起き上がらないので、寝てるのかと」

 徐ろに頭を上げて願い事の依頼者を見る。若い女性だ。落ち着かなさそうにそわそわと周囲の棚に目を泳がせている。棚には雑多に古い瓦落多のような物が並んでいる。

「ここも何か……お店なんですか?」

 顔を上げた黒い動物面に目を合わせようかと彷徨わせながら口を開いた。

「ここは古物店だよ。誰も来ないけどね」

「そっ、そうなんですね。素敵なお店ですね」

 その言葉には獏はぱちぱちと目を瞬いた。

「本当? そんなことを言われたのは初めてだな」

 静かに弾む声に、面で顔が見えなくても喜んでいることがわかった。

「私も古い物は好きなので。あの錆びたバケツとか、いい味出してますよね」

「わかる? いいよね」

「はい! わかります」

 先程の気怠い気分が嘘のように元気になった。好きではない物を棚には並べない。褒められて嬉しくないはずがない。

「えっと、貴方がその……獏なんですか?」

「そうだよ」

 機嫌良く返事をする。この人間の願いはきちんと叶えてやっても良いかもしれない。

「じゃ、じゃあ、是非私のお願いを! よろしくお願いします!」

 がばりと大きく頭を下げ、腰を直角に折り曲げた。勢いに圧されそうな御辞儀だ。

「うん。願い事は何かな?」

「あの、私はカフェをやってまして、でも人があんまり来なくて……なので、起死回生のメニューをくださればと思いまして!」

「メニュー開発……?」

「そうです! 何かこう、お客さんが増えそうな感じの凄いのを!」

「それはその手のプロにお願いすればいいんじゃ?」

「んな!?」

 あからさまに衝撃を受けたように仰け反り、握った両手を自信がなさそうに突き合わせる。断られるとは思っていなかったらしい。

「えと……友達とかから紹介されて……」

「紹介? 人間に親しい友人なんていないんだけど」

「皆も色々頼みたいことがあるみたいで……広告のデザインだとか……」

「その手のプロにお願いすれば?」

「獏だとお金が掛からないからと……」

「ああ……成程ね」

 最近そういう、人間の言う仕事のような願い事が増えている自覚がある。面倒なので拒否しているのだが、獏の噂を曲解しているのか、新たに噂として流れているのか。はっきり言うと迷惑だ。願い事の種類を噂の中で指定していないのは、最後の砦として縋ってくれれば良いと極少数への情けのつもりだった。これでは只の便利屋ではないか。願い事を叶える善行は罪人である獏への罰なので、どんなものでも受ける方が良いのだろうが。

「つまり願いの代価が割に合ってないのかな?」

「代価って、夢……? ですか? 獏なので……」

「君に紹介した人は何も言ってないみたいだね。或いは何も知らないのかな。代価は君の心をほんの少しだよ。痛くも苦しくもなく、すぐに差し出せる」

「ちょっと怖いですが……」

「そうなんだよね。そう怖がってくれればいいんだけど。説明を聞くと大抵は、それくらいならまあいいか、って思うみたいだね」

 それを聞いて女性も安堵の表情を見せた。だから割に合わないのかもしれない。

「心を全て食べてしまって廃人にでもするって言えば、この手の願い事は来なくなるのかな?」

「ひっ……」

「いい反応だね」

 びくりと肩を震わせる様子に獏は満足し、くすくすと笑った。

「君も便利屋だと思ってここに来たの?」

「あ……えと……私は、あんまり信じてなくて……。皆に背中を押されてと言うか、実験的にと言うか……」

「叶えてもらえるか先陣切って確かめてこいってことかな? それはそれは、君もわざわざ大変だね」

「な、なので、絶対どうしてもってわけではなくて……廃人はやめてくださいぃ……」

 がたがたと震えて灰色海月の後ろに下がってしまう。脅かしすぎたらしい。

「ああごめんね。怖がらせちゃったね。安心してよ、廃人になんてしないし、この店を気に入ってくれた君の願い事は叶えてあげたいと思う」

「えっ、ほっ、本当ですか!?」

「但し他の奴が君のことを聞いて同じように来たら、拒否か廃人にするけどね」

「ひ……ひいぃぃ!」

「本当に反応がいいね、君は」

 獏は楽しそうに笑うが、からかうのも程々にしておこうとは思う。

「とりあえず、君のお店も見てみたいな」

「はっ、はい! 今日はお休みにして来たので、大丈夫です!」

 立ち上がる獏に反射的に一歩引くが、促すと素直に店の外へ出る。灰色海月に金属の首輪を付けられる様子を恐々と見守り、灰色の傘をくるりと回して場所を移す灰色海月の仕草にも一々反応してくれた。

 傘が翻るとそこは、小さな店の前だった。大通りからは外れた静かな通りで、静かに佇んでいる。

「ゆめいろカフェ」

 看板に書いてある文字を読み上げると、照れたように女性が視線を泳がせた。

「私の名前が由芽ゆめなので」

「ああ、成程」

「どっ、どうぞ中へ!」

 木のドアを開けると、狭いが統一された空間があった。木の質感を感じられる床や机や椅子。壁紙も落ち着く穏やかな色だ。棚には古い食器などが飾られていて、獏の店に興味を示してくれたことにも頷けた。

「いいお店だね。僕は好きだよ」

「本当ですか!? 獏の方のお墨付を貰えるなんて嬉しいです!」

「いや僕はその道のプロではないからね?」

 灰色海月も獏の店と雰囲気が似ているからか、珍しく興味があるようでゆっくりと視線を巡らせている。

「座ってもいいかな? あとメニューが見たい」

「あっ、は、はい! お好きな席にどうぞ!」

 カウンターに近い奥の席に座り、灰色海月にも向かいに座るよう促す。受け取ったメニューに目を通してみる。並んでいる文字は、あまり読めない灰色海月には少し難しいかもしれない。

「願いは叶えるつもりだけど、生憎僕は人間の食べ物をあまり食べたことがなくてね。作る方も全くだ。だから今回はクラゲさんに任せようと思う」

「私……ですか?」

 突然名指しされた灰色海月は姿勢を正すが、途惑いを隠せず目を伏せてしまう。

「私もあまり人の食べ物は……」

「そうなんだけど、暇潰しに大量の焼菓子を作るでしょ? あわよくばここに置いてもらってもいいんじゃないかと思って。――駄目かな?」

 傍らに立つ由芽に目を向けると、彼女も途惑ってしまった。

「勿論、味見をして君が認めたらでいいよ」

「えっ……はい……わかりました」

「全然食べ終わらなくてね……二人しかいないから」

「それは……」

 由芽も思わず苦笑してしまうが、ぶんぶんと首を横に振った。獏に失礼があってはいけないと気を引き締め直す。

「御菓子についても僕は詳しくないから、今回はクラゲさんへの依頼ってことで、僕も代価は貰わない」

「いいんですか!?」

「うん。クラゲさん、前に作ったマドレーヌまだあったよね? 持ってきてくれるかな」

「わかりました」

 灰色海月は頭を下げ、傘を持ちいそいそと店を出て行く。先日焼いたマドレーヌはまだバスケットに山と残っているはずだ。

「あの街は時間が止まってるから食品も劣化しなくて、賞味期限なんてのも存在しないんだよ。街の外へ出した時だけ劣化が進む」

「へぇ……凄いんですね」

 それなら多く焼いても急いで食べきる必要がなくて、都合の良い街だと由芽は少し羨ましくなった。

 程なくして、灰色海月は大きなバスケットごとマドレーヌを持って帰ってきた。その量には由芽も驚いたが、一つ貰って食べると途端に目を輝かせた。

「美味しい! 普通にお店で売ってるレベルですよ! 味も見た目も……これなら普通にお店に置けます!」

「ふふ。それは良かった。ね、クラゲさん」

 灰色海月もこくこくと頷く。いつも食べてもらうのは獏ばかりなので、大勢の人に食べられるのは少し気恥ずかしさもあるが、これでまた好きなだけ作れるのなら願ったりだ。

「売り方や値段は任せていいかな?」

「あ、はい! 原価ってどのくらいですか?」

「原価……ですか?」

「材料費です。わからなければ、材料だけでも書き出してもらえれば……」

「材料は白い粉と――」

「白い粉!?」

 何故遮られたのかわからず、灰色海月は困ったように獏を見る。

「材料は確か支給してもらってるんだよね? たぶん名前がわからないんじゃないかな。次に支給品を貰う時に聞けばいいよ」

「わかりました」

 まだ人間になって日も浅い灰色海月には物の名称はまだ難しいらしい。獏は助け船を出す。

「ごめんね。相場がわかれば、合わせてくれていいよ」

「は、はい。ではお預かりしますね」

 大きなバスケットを持ち上げ、店の奥へと運ぶ。マドレーヌの山は何人分くらいになるのだろうか。獏も一応毎日食べてはいたが、あまり減った気がしない。

 バスケットから再び文字だけが並んだメニューに目を移し、黙考した後に顔を上げた。

「君の自慢のお薦めメニューってある?」

「チーズケーキです!」

「じゃあそれをクラゲさんの分と」

「はい!」

 ばたばたと皿を出し、作っておいたケーキを冷蔵庫から取り出す。突然の休業だったので、作った物がそのまま残っていた。食べてくれる人がいてくれて良かった。

 小振りな皿に載せられたチーズケーキが二人の前に置かれる。傍らに生クリームとミントの葉が添えられていた。素朴な印象だった。

 少し離れて由芽はケーキを見守り、獏と灰色海月は小さな一口を口に運んだ。

「美味しい」

「美味しいです」

「わあ、ありがとうございます!」

 初めて食べる物だったが、美味しいと感じた。店を出そうと思うだけはある。

「そんなに人が来ないの?」

「大通りから外れてる所為ですかね……? でも静かな方が合ってるかなって」

「大通りに看板を置かせてもらうとか、もっと公衆に発信できたらいいのかな」

「ほぁ……」

「静かで素朴な世界観みたいだけど、文字より写真や絵の方が視覚に働きかけられるから、写真を撮るなら僕の店にある物でも貸し出せるよ。買ってくれてもいいけど」

「急に商売気を!?」

「あわよくばと思って」

 灰色海月の焼菓子を置いてくれるなら、古物店の顧客にもなるかとさりげなく話を持ち掛けてみた。このカフェに人が来ないと言うなら、誰もいないあの街の店はもっと人が来ないのだ。偶には願い事とは別に、呼び込んでも良いだろう。

 チーズケーキを頬張りつつ、メニューにもまた目を走らせる。

「メニューが文字だけだから、メニュー表に入れられないなら壁とか外にでも写真がある方が、わかりやすいのかも。クラゲさんもあまり文字が読めないんだよね」

「な、なるほど……!」

 変転人と違って普通の人間の識字率は高いので参考にはならないかもしれないが、由芽は頷きながらメモを取っている。

「あの、このプリンと言う物を」

 遠慮がちにメニューの文字を指差す灰色海月に、以前食べたプリンが余程気に入ったのだろうと獏は思った。ぷるぷるしているので、親近感が湧くらしい。

 注文をしてすぐに、足付きの硝子の器でふるふると揺れるプリンが運ばれてきた。

「古い氷皿みたいな器だね」

「さすが古物店……! 私もそう思って買いました! 物は新しいんですが」

「探せば店にあるんじゃないかな」

「それはちょっと気になります……」

 器で盛り上がる二人には見向きもせず、灰色海月はプリンにスプーンを当てて揺れを堪能している。やはり海の海月仲間が恋しいのだろうか。

「プリンを看板メニューにしましょう」

「えっ!」

 スプーンを入れもくもくと食べる灰色海月は心底楽しそうだ。表情には出ないが。

「親子プリンにしましょう。二個重ねるんです」

「二個食べたいだけだよね? クラゲさん」

「でもちょっと可愛いかも……」

「君がいいならいいけど……」

 想像を膨らませる二人を見遣り、スプーンを食べないようにプリンを食べる。御菓子に関しては獏の入る隙はないかもしれない。

 大きさや固さなど話し合う二人を微笑ましく見ていると、今日は休業だと言っていたはずだが店のドアが開けられた。若い男が顔を覗かせる。珍妙な面を付けた獏の姿に視線が固定されるが、すぐに由芽の方へ目が向けられた。

「休みになってて気になったので、来ちゃいました」

「ああ! はい! お陰様で!」

 由芽はぺこりと頭を下げてから獏に男を紹介する。

「この近くでカフェをやってる、同業者の方です」

「もしかして僕を紹介した人?」

「そうですっ」

「ふぅん」

 人差し指と親指で輪を作り、にこやかに愛想の良い笑顔を貼り付ける男に向ける。

「もしかして、そのお面の人が獏ですか?」

「そうなんです! 本当にいてびっくりしました」

「新しいメニューはもう出してもらったんですか? どんなのです?」

「えっとですね、」

 最後まで言いそうな由芽を獏は輪を解いた手で制す。

「今考えてる所だよ」

 代わりに返事をした獏を見る目から一瞬表情が消えるが、男はまたすぐに笑顔に戻った。

「そうなんですか。じゃあ決まったらまた教えてくださいね」

「はい!」

「では店に戻ります。丁度忙しくなる時間で」

「頑張ってください!」

 忙しなく出て行く男を見送り、間違えて客が入ってきたら大変だと慌ててドアの鍵を締める。

「考えたメニューは公に出してから言った方がいいよ。嗾けた本人なら尚更ね」

「……? はい、そうします!」

「あの人の店は何処?」

「大通りの方にあります。凄く人気のカフェで、いつも人がたくさんいるんです。スイーツが凄く可愛いんです」

「偵察にでも行こうかな」

「偵察!? 何か人気になる秘訣でも……!?」

「いや。ただ癇に障った。紹介の仕方もだし、今も」

「そ、そうですか……?」

「喰い物にはしても、されるのは嫌ということですね」

 そうなのだろうが、冷静に的確に刺してくるのはやはり海月だからか。本心を突いてくる。

「二人はそのままメニューを考えてて。一人で行ってくる」

「あ、はい。行ってらっしゃいです」

 手を翳して鍵を開け、外に出てまた鍵を締める。その様子を由芽は目を瞬き擦りながら見たが、原理はわからず魔法だと思った。

 獏は教えてもらった大通りの店へ、眩しい陽光に目を細めながら歩く。得体の知れない謎の存在の許へ同業者を送り込み、当たりを確認に来て願いを窃盗くすね取ろうという性根が透けて見えた。灰色海月の言う通り、喰い物にされるのは御免だ。

 大通りに面したそのカフェは盛況のようで入店を待つ列ができていた。女性客ばかり並んでいる。あまり大勢の目の前で目立つことは避けたいが、店に向けて指で作った輪を向けてみる。

 獏は少し考えるが、金は持っていないし席を取るつもりもないので並ぶ必要はないのではと大きな硝子のドアに手を掛けた。当然並ぶ客には良い顔はされないが。

「すみません。少し店主に用があるだけなので」

 先頭に並ぶ客に申し訳なさそうに頭を下げると、一瞬惚けたように動きを止めるが、こくりと頷く。何か物申したくても、この妖しい動物面には声を掛けられないだろう。

 中に入ると、そこそこ広い空間があった。白い床に赤葡萄酒色の壁。飾り気はなくすっきりと見通しが良い。外に列ができているので当然、中も満席だった。細い脚の付いたグラスに入った物を食べている客が多い。

 カウンターで忙しそうに手を動かしていた男と目が合う。わざとらしい笑顔でカウンターの端に一つだけ余った席を指差す。座れということらしい。

 席には歩み寄るが座らずに男に話し掛ける。

「僕は並んで来たわけじゃないから、席はいいよ」

「いいですよ。折角なんで座ってください」

「お金も持ってないし」

「いいですって。うちのスイーツ食べていってください」

「…………」

 帰させない気らしい。隣に座る女性客がグラスの中を突きながらちらりと様子を窺うが、動物の面を見て慌てて目を逸らした。変な人だと思われている。

 仕方なく席に座り、メニューを開く。どれも写真が載っているので一見してわかりやすかった。どれも綺麗に飾り立てられ、これが可愛いというものなのだろうかと小首を傾げる。食べ物に対してそういう感覚はよくわからない。

「食べたい物が決まったら言ってください。一番人気は」

「チーズケーキが食べたいな」

 にこりと口元に笑みを作る。由芽の得意なチーズケーキと比べてみようと思ったのだ。

「そうですか……? パフェが人気なので、後で是非」

 隣に座る女性も背の高いグラスを突いている。頭の部分は既になくなっているが、グラスの中は赤や白の綺麗な層になっていた。男がケーキを用意している間に、女性に話し掛けてみる。

「美味しいですか?」

 柔和な声色で突然尋ねられ女性はびくりと硬直するが、すぐに咥えていたスプーンを離した。

「お、美味しいです。凄く可愛くて」

「どのくらい美味しい?」

「どのくらい……? えっと……苺がたくさん食べられます」

「青果店に行けばいいのに」

「えっ!?」

 動揺させてしまったが、男がチーズケーキの皿を持って戻ってきたので放っておく。

「はは。お客さんは綺麗に盛られて飾り付けられた物を求めて来てるので、青果店だとパックに詰められただけじゃないですか」

「聞こえてた?」

「それなりに」

 笑顔を貼り付けているが、心の底では面白く思っていないだろう。他の注文を捌きに背を向ける男に指の輪を翳す。

 置かれたチーズケーキは、由芽の作った物より華美に飾り付けられており、添えられた果物で彩りが鮮やかだった。

 黙々と食べ進め、スプーンを食べそうになるのを堪える。隣の女性も時折ちらちらと奇異の目で獏を見ている。

「どうかな?」

 注文を捌く合間に男は小刻みに様子を見に来る。

「正直に言っていいの?」

「どうぞ」

 然も自信があるようににこにこと笑顔だが、獏は気に入らない。一度癇に障ると、全てが不愉快だ。

「見た目は綺麗だけど、見た目に拘りすぎって所かな。味はソースの所為もあるだろうけど、甘いね」

「…………」

 男の笑顔が固まる。隣の女性も聞き耳を立ててぽかんと口を開けながら頷いている。

「一番人気って言うパフェは、この人が食べてるのと同じ物かな?」

 隣の女性をちらりと見る。

「……ああ。じゃあ次はその苺パフェを食べてもらおうかな」

 にこやかに口元に微笑みを浮かべてみると、女性も釣られて笑いながらへこへこと頭を下げる。

 少し時間が掛かったが、堆く飾られた苺のパフェがどんと置かれた。

「どうぞ」

 男は笑顔を崩さないが、グラスを置くとすぐに別の注文のパフェを作りに戻った。忙しいのは間違いなさそうだ。

 置かれたパフェを暫し眺め、獏は隣の女性に目を遣る。

「多くないですか?」

 女性はスプーンを持ったまま苦笑した。獏が席に座ってから随分と時間が経っているが、グラスの中身があまり進んでいない。

「え……はは、でも別腹なので大丈夫です。……二軒目で来るものじゃないとは思いましたけど」

 二軒目と言うことは、この前にも何か食べてきたのだろう。獏も既にケーキを食べているので気持ちがわかる。

「この店にはよく来るんですか?」

「今日が初めてなんですけど……あ、内緒なんですけど、ここの取材を入れてあって、その下見で来たんです。なのでお店の方には内緒です。後日ちゃんと撮影しに来ます」

「雑誌ですか?」

「雑誌じゃなくて、ネット記事なんです」

「そうなんですか。この近くに『ゆめいろカフェ』って言う小さなカフェがあるのを御存知ですか?」

「えっ、何処だろ……新しくできた所ですか? 知らないですね……」

「いい所ですよ。今日は休みなんですが、美味しいし、御飯を食べてても食べられると思います」

「それは梯子にも良さそうですね。チェックしてみますね」

 にこりと微笑み、獏もパフェを突く。積まれた苺が落ちそうで食べるのが難しかった。

「凄いお面と首輪を付けてるので、関わると不味い人なのかと思ったんですけど、偏見はいけませんね。穏やかそうな人で良かったです」

「穏やかかな?」

「何だか子守歌のような安らぐと言うか優しい声じゃないですか」

 それも声に偏見があるのではと獏は思ったが、黙っておいた。元は夢を食べる獏なのだ、対象を起こさないような声ではあるはずだ。

「やっぱり甘いかな」

 パフェを食べ進めながら感想を口にする。人間の食べ物はあまり食べないので批評はできないが、好みはある。普段鉄屑を食べているような獏に味の評価などできない。

 半分程食べた辺りで、スプーンを置く。先程からケーキにプリンにと、腹にも限界がある。質量のある物は食べ慣れていない。

「僕は先に出ますね」

「えっ、全部食べないんですか?」

「今日は食べ過ぎ……」

「あ……そうなんですね……お察しします……」

 男がこちらに目を向けない内に、獏は店を後にする。口伝てに良さそうな鴨がいたので利用させてもらった。客層が違うので客を全て奪うことはできないが、幾らかは流せるだろう。

 席に座っていたら幾らでもスイーツを出されそうで逃げるように由芽の店に戻った獏は、カウンターに並べられた物を見て思わず腹を押さえそうになった。

「お帰りなさいです」

「それは……?」

「メニューのミニパフェです。どうせなら一通り食べてもらおうかなと」

「……勘弁してよ」

「すっ、すみません! 調子に乗りました……!」

 硝子のコップに詰められたパフェは確かに小振りだが、先程大きなパフェを半分程だが腹に詰め込んだ所だ。あれはおやつと言う軽い物ではない。

「あの、どうでした……? 偵察……」

「口コミを広げてくれそうな人がいたから、こっそり仕向けておいたよ」

「……? どういう人なんです?」

「ネット記事を書いてる人だって。その辺のことは疎くて申し訳ないんだけど」

「えっ!? それ凄くないですか!?」

「それくらいは別に。君の作った物を認めさせることができたら、凄いことだよ」

「は……はわ……何か凄いことに……!」

 あわあわとする由芽を余所に、獏は男の作り笑いを思い出す。

「忙しそうで碌に話ができなかったけど、何か願えば廃人にしてやったのにな」

 面で表情は言えないが、小さく舌打ちが聞こえて由芽は身震いした。

「怖いこと言ってる!」

「そっちはどう? 新作は纏まりそう?」

「は、はい! これから試作していこうかなと。全くの新しい物じゃないので、形を整えれば出せそうです!」

「じゃあもう僕がすることはないかな?」

「ありがとうございます! ……あ、やっぱり他のも、何かもっと可愛くした方がいいですかね……?」

 そこはずっと気になっていたのか、由芽は遠慮がちに尋ねる。あの男の店と比べて可愛さが足りないと気にしていたのだろう。

「同じようにする必要はないと思うけど。無理に形を変えようとしなくても。気になるなら、ワンポイントにクッキーでも添えてみたら? 君の思う可愛い形も作りやすいんじゃない?」

「な、なるほど……! じゃ、じゃあ、お願いしてもいいですか?」

「お願い? 改めて依頼かな?」

「あ、えと……クッキーの型、バクの形でもいいですか? カフェの名前も『ゆめ』だし、いいんじゃないかなって」

「それは僕に許可を取る必要はないと思うけど……いいよ」

「ありがとうございます!」

 晴れやかな笑顔になり、漸く胸の痞えが取れたのだと察した。

「それじゃ、頑張ってね」

「はい!」

「クラゲさんももういいかな?」

 灰色海月もしっかりと打ち合わせを済ませたのか、こくりと頷く。

 いつものように外へ出て、由芽の見送る中くるりと傘を回して姿を消した。



 数日後に再び由芽の店へ行くと、外に少しだけ列ができていた。

「人が来るようになったんですね」

「上手くやってるみたいで良かったよ」

 列の先頭に軽く頭を下げ、中に入る。小さな店内には男女共に席を埋めており、忙しそうにばたばたと由芽が駆け回っていた。獏と灰色海月の姿を見つけ、声を上げる。

「あっ、すみません! ちょっと忙しくて……カウンターの方で待っててください」

「いいよ。少し様子を見に来ただけだから。あとクラゲさんが焼いた御菓子」

「わ! 新しいお菓子ですか? クラゲさんのマドレーヌ凄く人気なんですよ!」

「今度はフィナンシェを焼きました」

 一度に焼いた全てではなく、事前に決めていた通り量を調整して持ってきたバスケットを差し出す。

「すぐに袋詰めして並べますね! テイクアウトって今までやったことなかったんですけど、評判いいので、さすがだなぁと思いました」

「何のさすが?」

「願い事を叶えてくれる感じのさすがです」

「君が上手くやってるからだよ」

 バスケットを受け取り、カウンターの奥へ置く。その手で小さなタッパーを取りだした。

「言ってたバクのクッキーなんですけど、これも評判良くて。少しですが、お裾分けです。食べてください」

 蓋を開けると、横向きのバクの形がわかるクッキーが詰まっていた。

「バク科バク属のマレーバクですね。色分けも見事です」

「悪口じゃないその台詞を初めて聞いたよ」

 クッキーを一つ抓んでみる。程良い大きさで添え物としては丁度良い。味も素朴で美味しかった。

「共喰いですね」

「んっ……」

 それは予想していなかった言葉だったので、喉に詰まりそうになった。そう言われると食べにくいが、自分は動物園にいるような獏ではないと言い聞かせる。違う生き物だ。向こうが名前を後から付けたのだ。

「これだけ人が入ってれば大丈夫かな?」

「はい、お陰様で! 幾らお礼を言っても足りないくらいで」

「御菓子のことでクラゲさんに用があったら、クラゲさん宛てに同じように手紙を投函するといいよ。アナログな手段しかなくて不便かもしれないけど」

「いえ、そんなことは! いいと思います、アナログ」

「ごめんね、邪魔したね。そろそろ行くよ」

「はい! 本当にありがとうございました!」

 深々と頭を下げ、手を振る。獏も軽く振り返し、注文を運ぶ作業に戻る由芽を微笑ましく見遣り店を出た。

「――じゃあ今日の本題」

 一通の手紙を取り出し、ふふと笑う。

「商品開発だって。大通りのあのカフェは元気にやってるかな?」

「ゆめいろカフェと似たクッキーを添え始めたと聞きましたが」

「評判いいからって真似しないでほしいよね。――あーあ。僕に願わなければこのまま楽しくやれたのに」

「貴方は楽しそうです」

「ふふ。当然」

 今はまだ人の多い日中なので、陽が暮れ店仕舞いする頃にまた大通りへ行く。今は最後の店の風景を見に、人前には出ず遠目から待ち遠しく眺めるのだ。

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