4-双子


「ねぇねぇ知ってる? 願いを叶えてくれる獏の噂」

「知ってる知ってる。叶えてくれる代わりに食べられちゃうの」

「怖いね怖いね。でも願いが叶っても生きてる人もいるんだって」

「本当は食べられないのかな?」

「私達の願い事も叶えてくれるかな?」

「お話だけでも聞いてくれるんだって」

「じゃあ相談しましょ」

「そうしましょ」


「あははははは」


 夕暮れに影を落とすポストの口に、花模様が入った白い封筒を食べさせる。住所はわからないので書いていない。宛名には『透明街の獏様へ』。

 そうすると手紙を拾いに来るらしい。この閉じられたポストの中に落ちた手紙をどうやって拾うのか。少女は建物の陰に隠れてじっとポストを見守った。

 何の変哲もない何処にでもある街のポスト。そのどれにでも構わないらしい。

 郵便屋さんに先に回収されたらどうするのだろうと思うが、正に今ポストを開けて郵便屋さんに回収されていく様を見詰め、目で追う。郵便屋さんの車は走り出し、少女は目を見合わせる。

 陽はとっぷりと暮れ、夜の帳の中を少女は歩く。郵便屋さんに回収された後も暫く見張っていたが、結局何も現れなかった。

 手を繋いで歩いていると、疎らに立つ街灯の一つが静かに明滅していた。

 小さな蛾が一匹、その周りをじたばたと飛んでいる。それを見上げ、足を止めた。


「お迎えに上がりました」


 背後から忽然と声を掛けられ、少女は振り返る。そこには灰色の傘を差した灰色の長い髪の女性が、花模様の白い封筒を持って立っていた。

「これはどちらの方の願いでしょうか?」

 その問いに少女は顔を見合わせて笑顔になり、手を叩き合った。

「私です!」

 同時に紡がれた言葉に灰色の女性は一旦動きを止めてしまうが、すぐに封筒を闇に消し去った。手品のようだった。

「わかりました」

 灰色の女性は少女に歩み寄り、小さな電球を下げた灰色の傘をくるりと回した。視界の傘が開けると、景色は一変した。霧の立ち籠める煉瓦の街だった。墨を流したような黒い空には星も見えない。

「わあ……! 凄いね凄いね」

「凄いね御伽噺みたいだね」

 少女は再び手を繋ぎ、先を行く灰色の女性の傘の明かりを追う。

 やがて小さな店の前で立ち止まり、ドアが開けられた。看板の文字は暗さと霧でよく見えない。

 ぎしぎしと木の床を鳴らしながら狭い棚の間を縫って奥へ行くと、古い革張りの椅子に腰掛けた黒い動物の面がいた。

 灰色の女性は一礼し脇に下がる。

「いらっしゃい。ゆっくり見ていってよ」

 動物面はカップを抓み、優雅に紅茶を飲んでいる。飛び出た鼻が邪魔そうだが、少しカップで空間を探っていたことは見逃さなかった。

「ここは獏のお店ですか?」

「私達食べられちゃうんですか?」

 息の合った掛け合いをする、全く同じ顔をした二人を交互に見詰め、動物面は安心させるように微笑む。

「ここは古物店だよ。好きなだけ見ていってね」

「獏は? お願いは?」

「叶えてくれるの? 食べられるの?」

 カップを置き、動物面は机に頬杖を突く。

「願いを叶える獏は僕のことだけど、食べるのはほんの少しの心の欠片だよ」

 その言葉に少女は手を叩き合って喜んだ。

「じゃあ私達のお願い。同じ人が好きなの」

「その人とお付き合いできるように」

「叶えてくれますか?」

「私達とお付き合いできるように」

 その言葉に獏は手を下ろして小首を傾いだ。

「その好きな人に、二股してもらうの?」

 一人と付き合えるのは一人だけのはずだ。それ以上は股を掛けることになる。それくらい獏も知っている。大昔には大勢の女性を侍らせることもあったらしいが。

「違うの二股じゃないの」

「私達は一人なの」

「一緒にお付き合いをするの」

「でもそれだと呼ばれる名前はどちらかになってしまう」

「見分けて呼んでほしいの」

「でも区別されると一人じゃないの」

 うんうんと頷き合いながら交互に話す。息がぴったりだ。

「ああ成程。それはジレンマだね……。恋愛の願い事は多いけど、双子は初めてだ」

「だから獏に叶えてほしいの」

「これは私達の願いなの」

 切願する二対の双眸に見詰められ、獏は紅茶を一口。少女の前にもそれぞれ紅茶のカップが置かれ、真似をして少女も紅茶を飲む。

「じゃあ確認だけど、どちらか一方に譲るとか、他の人に乗換えるとか、それは無いんだね?」

 少女は同時にこくこくと頷いた。

「双子って本当に似るんだね。面白いな。とりあえず想い人がどんな人なのか見てみたいな」

「叶えてくれるの?」

「うん。叶えてあげるよ」

 少女を店外へ促し、獏も立ち上がる。少女は手を繋いで嬉しそうにぱたぱたと外へ駆けて行く。その後ろ姿に、指で作った輪を向けた。

「二股ではなく二人とお付き合いというのは可能なんでしょうか?」

 灰色の女性は閉じた傘を手に当然の疑問をぶつけた。

「あの双子は一人なんでしょ? だったら大丈夫じゃないかな」

「また喰い物にするんですか?」

「善行はするけど僕は善人ではないからね。どうなるかはあの双子次第かな」

 灰色の女性は冷たい金属の首輪を獏の首に嵌める。街の外へはこの首輪がないと出ることができない。短い鎖の付いた首輪が冷たく重い。獏の力を制限する物だ。

「わわ、獏さん首輪付けてる」

「獏さんはこの人のペットなの?」

 思わず獏はきょとんとしてしまったが、状況的にそう見えるものなのか。獏は冷たい首輪に触れながら灰色の女性に目を遣る。

「この首輪がないと外出許可が下りないんだ。どちらかと言うと飼ってるのは僕の方かな?」

「飼い主なのに首輪を付けられるの?」

「あべこべだね。不思議だね」

 灰色の女性が灰色の傘をくるりと回すと、元いた道の上に戻ってきた。静かな住宅街だ。

「しまった。こっちはまだ夜か……」

 誰もいない街は時間の止まった常夜なので、偶に忘れてしまう。この世界の時間の流れを。

「じゃあ君達はこれから寝ないとね。確認のために、想い人の写真とかあるかな? 寝ている間に様子を見てくるよ」

「写真ね。写真」

「あるある。これ」

 同時に携帯端末を差し出され、気圧されながらも交互に同じ写真を見た。どちらかが撮って共有したのだろう。全く同じ写真だった。

「それじゃあよろしくお願いします」

「これから私達はどうしてればいいの?」

「いつも通りで構わないよ。用があれば僕の方から行くから。代価は成功報酬だから、叶ったら戴きに行くよ」

 手を繋ぎながら鏡のように手を振り、少女は闇に消えていく。

 少女を見送り、獏は考えるように口元に手を当てた。

「……少し、面倒かもしれないな」

「叶えられないと言うことですか? それだと只のバク科バク属のバクですが」

「さっき見せてもらった写真……たぶん芸能人だね。クラゲさんはわかるかな? そういう職業の人」

「わかります」

 納得したようで灰色海月は小さく頷いた。

「まさに夢見がちなお願いだね。こんなの獏頼みもしたくなるものだ」

「難易度は上がったようですが、叶えられるんですか?」

「心配しなくても叶えるよ。その後は知らないけど」

「いずれ『その後』も噂が立ってしまいますよ」

「それは困るなぁ。噂はちゃんと制御しておいてね、クラゲさん」

 踊りを申し込むように灰色海月の手を取り、くるりと場所を移す。

 夜空に聳えるマンションの前へ現れ、獏は人差し指と親指で輪を作る。

「家にいるけど、まだ起きてるみたいだね」

「行きますか?」

「うーん。こっちじゃ杖は使えないけど、会ってみようか」

 灰色海月の手を取ったまま、各階のベランダに足を掛けマンションの壁を跳び上がる。黒い服は夜に紛れる。

 明かりの点いている部屋のベランダに降り立ちカーテンの閉まっている窓に手を掛けるが、鍵が掛かっていた。それに手を翳し、かしゃりと開ける。力が制限されていると言っても、この程度なら可能だ。

 カラカラと窓を開けると、最低限の物しかない片付いた部屋には誰もいなかった。

「お風呂かな?」

 部屋の真ん中に置かれたソファの上に脱いだ服が掛かっている。

「待たせてもらおう」

 土足のまま部屋に入り、棚の本を漁る。大きな本があるので手に取ってみるが、自身の写真集だろうか。最初から最後まで同じ男の写真だった。

「クラゲさんはこういうの興味ある? 僕にはわからない世界だなぁ」

「私も人の顔に興味はありません」

「まあ……知らないと興味ないよね。質問が悪かったね」

 灰色海月が首を傾ぐと、部屋の向こうでがちゃりと音がした。

 パンツだけを穿いた長身の男が部屋に入ってくる。

「!?」

「見てクラゲさん、写真と同じ人だよ」

 驚愕と警戒とで硬直する半裸の男に、写真集を突き出して確認する怪しい動物面という珍妙な構図が出来上がってしまった。

「なっ、何だ、あんたら……一体何処から……」

「当然の反応だよね。何処からってより、自己紹介する方がわかってもらえるかな?」

 背後でカーテンが風に揺れる。男は自分の推測に首を振った。マンションの十二階に鍵まで掛けていたベランダから人が入ってくるはずがない。

 写真集を棚に戻し、獏は大仰に手を添え頭を垂れた。

「僕は願い事を叶える獏です。訳あってこちらにお邪魔しました」

「獏……?」

 男は眉を寄せ、顔を上げるふざけた動物面を睨んだ。

「信じるも信じないも君次第。ただ――信じると少しだけ幸せになれるかもね」

「願い事を叶える獏って……都市伝説のか……? 前に共演者の女が言ってたような……」

「やっぱり噂の類は女性の方が耳が早いのかな?」

「でもそういう奴がいるとしても、こいつがそうとは限らない……不審者……いや変質者か」

 面をじろじろと見ながら、手探りで携帯端末を拾う。行動が丸見えだが、獏は気にせず放っておいた。誰を呼ばれようが、来る前に去れば良いだけだ。

「僕は証拠を見せられないけど、願いがあるなら叶えてあげることはできるよ」

「本当に……ベランダから入ってきたんなら、どうやって鍵を開けたんだ」

「それは簡単だよ」

 見えやすいようにカーテンを開け、手を翳す。触れていないのに鍵は上下にくるくると動いた。男は獏と灰色海月を気にしながらも窓に駆け寄り、糸でも付いていないか触って確認する。だが何も仕掛けなど施されていなかった。男が鍵に触れている間もくるくると動いている。

「マジか……」

「とりあえず、服でも着る?」

「とりあえずカーテンを閉めろ」

「はいはい」

 言われた通りカーテンを閉めて向き直る。少しは落ち着いたのか男はシャツに手を通した。

「適当に座れ」

「じゃあ遠慮なく」

 獏は本当に遠慮の欠片もなくベッドに腰掛けた。灰色海月はその傍らに立つ。

「ちょっと待て。あんたら土足じゃねーか」

「そこは目を瞑ってほしいな。一々靴を脱ぐ風習がないんだよ」

「…………」

 もう既に土足で歩き回った後にしつこく言う気にはなれなかった。手も触れずに鍵を開けられる奴に何をされるかわからないと言うのもある。

「……願いを叶えるって言ったな? 付き纏いも追い払えるのか?」

「勿論。代価は戴くけどね」

「金ならある。警察に言って刺激したらと思うとなかなか言えなくてな。あんたにできるなら、追い払ってほしい」

「お金じゃないよ。僕が欲しいのは、心の柔らかい部分のほんの少しだ」

「漠然としてるな。具体的には?」

「思ったより冷静だね。落ち着いた男はモテるらしいよ、クラゲさん」

「さっさと話を進めてください。動物園に売りますよ」

「辛辣」

 服を着終わり、男もソファに腰掛ける。二人の遣り取りが不安を煽る。

「喜びや悲しみの感情、不安や寂慮、優しい記憶、苦しい思い出。何でもほんの少し一つだけ、僕にくれればいい」

「それをあんたにやったら、俺はどうなるんだ?」

「その部分が欠けるだけだけど、痛みや欠けた感覚はないよ。元々無い状態になるってことだから。ただ気持ちの場合は、また同じものが芽生える可能性はある。記憶なら二度と戻らないけどね」

「なら、やるなら気持ちが安全牌なのか。同じものが芽生えたとして、また取りに来るのか?」

「一度だけだから、芽生えても貰いに行かないよ」

「……よし。じゃあ試しに願ってみる」

 決意の籠もった眼差しで真っ直ぐ獏を見詰める。さすが芸能人と言った所か、眼力が強い。

 灰色海月はティーカップを手に、ポットを高々と紅茶を注ぐ。何処から取り出したのか男の目には見えなかったが、手を触れずに鍵を開けるような奴の仲間なのだ、聞いてもわからないだろう。

 男の前にカップを置き、ベッドに座る獏にもカップを差し出す。獏は面の下から器用にカップを口付けた。それを見て、毒などは入っていないと男も口を付ける。

「付き纏ってくる女を追い払ってほしい」

「わかった。叶えるよ」

 男は安堵したように息を吐いた。これで安心していてはいけないのだが、人に話せたことで気持ちがやや軽くなった。マネージャーには話していたが、忙しく動き回る姿を見ていると進捗を尋ねる気にはなれなかった。

「その女とは面識はあるの? 知り合い?」

 獏は指で輪を作って男に向ける。男には獏が何をしているのか想像もつかなかったが、魔法を使うような奴のやることが理解できるはずがない。

「たぶん俺のファンの女だ。直接話したことはない。このマンションも……たぶん突き止められてる」

「成程。それでカーテンか。距離はあるけど向かいにマンションがあるね」

「ご明察。こんな写真が送られてきた」

 立ち上がって引き出しから一枚の写真を掴む。獏に手渡すと、天井に翳しだした。何をやっているのかわからない。

「向かいのマンションから撮られた写真っぽいね。周りの建物から、これを撮った高さ、つまり何階のベランダか割り出せる。その部屋が当たりとは限らないけど、調べてみる価値はあるかな」

「……凄いな、あんた」

「ふふ。これくらいなら簡単だよ。他に何か送られてきた物はある?」

「ああ」

 花模様の白い封筒を差し出す。中には手紙が入っていた。

「同じ封筒だ。ファンレターってやつかな?」

 中に目を通し、ふむふむと熟読する。熱狂的なファン以上の異常に重い気持ちが綴られていた。

「これを追い払うだけでいいの?」

「他に……何ができるんだ? あんた警察じゃないだろ?」

「追い払うことは簡単だけど、それだけじゃまた戻ってくるでしょ」

「!」

「それともファンは失いたくないのかな?」

「いや……二度と近寄れなくしてほしい……」

 獏は手紙を封筒に戻し、机に放って立ち上がる。吟味するように男に近付き、双眸を見詰めた。

「強い願いは好きだよ。その分、心が美味になるからね」

 にまりと口元に笑みを浮かべ、獏は楽しそうに笑った。

「願いは叶えるけど、君には一つだけしてほしいことがある」

「何だ……?」

「その女の顔を確認してほしい。間違って違う女性を追い払ってしまったら可哀想だからね」

「ああ……そうだな。それで追い払えるなら確認くらいする」

「それじゃあ、明日は暇?」

「明日?」

「芸能人は忙しいらしいし、時間取れるかなと」

「明日って……早くないか? まあ明日はオフの日だけど」

「それは良かった! 外で待ち合わせって平気かな? 変装とかする? 芸能人の変装って見てみたかったんだよね」

「おい。真面目に遣る気あんのか」

「あるよ。こっちだって食事が懸かってるんだし。若干物見遊山の気があるのは否めないけど」

「相談する相手間違ったか……?」

 男は頭を抱えて項垂れた。

「大丈夫大丈夫。明日ちゃんと見つけて連れて行くから。クラゲさんを行かせるから、待っててよ」

「……わかった」

黙って立っている灰色の女性に目を遣ると、女性は頭を下げた。付き纏いの所為で女性には少々疑心暗鬼になっているが、灰色海月は然も興味がなさそうにしているため何とか接することができそうだ。

「そっちの人も獏なのか?」

 ベランダから帰ろうとしていた獏は振り返ってきょとんとした。

「え? クラゲさんは獏じゃないよ。海月だよ」

「海月……って、あの海にいる?」

「そうだよ。人の姿を与えた海月」

 ベランダの塀に腰掛け、獏は手を伸ばす。灰色海月はその手を取り、塀にふわりと跳び乗った。そのまま獏は後ろ向きに倒れ、引かれた灰色海月諸共下へ落ちた。

 男は慌ててベランダに駆け寄り下界を覗くが、誰もいなかった。

 地面に落ちたわけではないと胸を撫で下ろし、すぐに部屋に入って窓を閉めて急いでカーテンを閉じた。



 学校の屋上で朝陽が昇るのを見届けながら、獏は面の奥で目を細めた。肌寒いが気持ちの良い朝だった。

「学生は学業があるし、やっぱり放課後の方がいいよね」

「タイミングは私にはわかりかねます」

「一度街に戻る? それとも前に逃がした依頼者でも追う?」

「もう食べる気がないんだと思ってました」

「逃げるなら、非常食でもいいかなって。いつ襲われるかわからず常に神経を磨り減らしてるとしたら可哀想だけどね」

「これで善行などとは笑えますね」

 ちっとも笑わず、灰色海月は傍らに控える。誰も見ていないので善行の判断は本人に委ねられるが、御世辞にも良い行いだとは思わなかった。それの判断は監視役である灰色海月が下す所だが、彼女は獏に懐柔されている。正確には、初めから慕っている。昏い世界から掬い出してくれた存在なのだから。

 屋上の一番高い所で結局だらだらと放課後まで過ごし、授業の終わりを告げるチャイムと共に獏は灰色海月を連れて校舎の壁をとんとんと飛び降りた。

 下校や部活に向かう生徒達に混ざり、契約者の少女の姿を見つける。獏の噂が広まっているとは言え、あまり大勢の前で目立つことはしたくない。小さな紙飛行機を折り、少女に向けて飛ばす。

 紙飛行機は少女の頭に当たり、きょろきょろと辺りを確認しながら紙飛行機を拾う。紙飛行機を広げ、またきょろきょろと見回した後、少女は顔を見合わせた。

 紙飛行機に書いてある通り校舎の裏手へ行き、軽く手を上げて招く動物面を見つける。灰色の女性の姿は見えない。

「学校、お疲れ様」

 少女はわくわくといった面持ちで身を乗り出した。

「ここに来たってことは」

「お付き合いできる準備が調ったってことですか!?」

 勢い込んで尋ねるので、獏は気圧されつつ腰が反り返る。

「そうだよ。だからこれから想い人に会いに行こう」

「やったね、嬉しいね」

「やったよ、嬉しいな」

 歩き出す獏に少女も後を追って歩く。仲良く手を繋いでくすくすとひそひそと話しながら、獏の後ろを付いていく。

 そこにぽつりと独り言のように、獏は呟いた。

「きっとたくさん考えたんだろうね」

「なになに?」

「何の話?」

「どうすれば一人の人と付き合えるか」

 少女は不思議そうに顔を見合わせ、感情の籠もらない目で獏の背を見詰めた。


「同じだったら、一人になれると思った?」


 ぴたりと少女の表情が凍りつく。

「見分けがつかないほど全く同じ顔で凄いよね。どっちがどっちになったのかな? それとも、二人共寄せ合った?」

 獏は背後を一瞥し、続ける。

「君達は二人と言いながら、手紙はいつも一つだね。つまり最初から、どちらか一人が付き合えれば、自動的にもう一人も付き合えると考えていた。ぴったりと一人の人間を作って。優しい友情だったのかな?」

「何が言いたいの……?」

「私達は同じ。それだけだよ」

「昨今の整形技術は凄いね」

 指で輪を作り、少女を見る。

「表面だけ取り繕って作ってみても、心はバラバラだ」

「…………」「…………」

「全く同じドッペルゲンガーは、片方を殺そうとするらしいね。同じ人は二人いらないんだって」

 足を止めて獏の視線を追って見上げた建物は、二人がルームシェアするマンションだった。

「さ、行こうか。想い人が待ってるよ」

 少女は困惑気味に顔を見合わせ、微笑む獏に恐る恐る付いていく。毎日通っている見慣れた廊下もエレベーターも別物のように澱んで見えた。

 十二階に到着し、誰もいない廊下を進む。住所など教えた覚えもないのに、獏は少女の住む部屋の前で立ち止まった。ドアには閉まらないようにドアストッパーが挟まっていた。朝部屋を出た時にはオートロックのドアはきちんと閉まっていたはずだ。合鍵は少女しか持っていない。

 獏が促すので、ドアをゆっくりと開けた。自分の住む家が恐怖に塗り潰されそうなほど不気味に見えた。

 靴を脱ぎ、廊下を歩く。獏は土足で部屋に上がった。玄関には見知らぬ男の靴が一足置かれていた。

 毎日生活している部屋のドアを二人で開けると、見知った男が立っていた。

「!」「!」

 少女の目が一瞬の内に輝きを取り戻す。

「嬉しいね嬉しいね! やっと会えたね!」

「やっとお付き合いできるんだね! 嬉しいね!」

 嬉しそうに喜んで跳ねながら交互に口にする。

「家に来てくれるなんて夢のようだね! 嬉しいね!」

「お家デートだね! 嬉しいね!」

「叶ったね嬉しいね!」

「叶ったよ嬉しいね!」


「狩って」

「嬉しい」


 びしゃりと花が開くように腹から制服に赤が広がった。少女の一人は床に崩れた。がらんと手からナイフが投げ出される。

「勝った勝った私が狩った!」

 同じ少女をナイフで刺した少女は興奮気味に肩で息をしながら、ぐるりと男の方を向く。

「嬉しいな嬉しいな!」

 ぞわりと背筋が凍りつく男の肩を灰色の女は掴み、後ろへ避難させる。

 男に手を伸ばす少女の肩は獏が掴み、ナイフを払って後ろに引いて床に倒す。両膝で腕を押さえつけ、何をされたのか理解が追いついていない少女の双眸を片手で覆い、獏は面を外した。

「叶ってくれておめでとう。代価はこの男に関する記憶だ」

 覆った手の向こうで目を見開く気配を感じた。身動ぎ四肢を動かそうとするが、倒れた少女の血で滑って力が入らない。

 獏は少女の口に唇を重ね、記憶を喰う。

「んー!? んん!」

 暫くは無意味な抵抗を続けるが、やがて惚けて大人しくなる。獏は顔に面を当て、少女の目から手を離す。意識はあるが魂の抜けたように呆然と虚空を見上げていた。

 背を向けていたので顔は見えなかっただろう。獏は顔に面を当てながら男に歩み寄る。

「これで君に付き纏うことはなくなったよ。君に関する記憶を食べたからね。部屋にあった君の写真なんかもクラゲさんに全部片付けてもらったから」

「あ……ああ、ありが……とう」

 まだ上手く状況を処理できていないのか曖昧な返事だが、成功報酬を貰っても良いものか獏は首を傾ける。

「願いは叶った?」

 男は落ち着くために深呼吸し、呼吸を整える。

「記憶を消したってことは、もう俺の存在も知らない……ってことか」

「そうだね。テレビや雑誌で顔を見ても、もう何も感じない。人を好きになるって、きっかけがあると思うから、そのきっかけが思い出せなければ気持ちを思い出すこともないよ。道行く人にいきなり恋心は抱かないでしょ?」

「ああ……そうか、そうなるのか……。じゃあ、叶った……ってことか……」

「うん。それじゃあ君からも報酬を戴くね。君はどんな心を食べさせてくれるのかな?」

 唇を舐め待ち遠しく言葉を待つ獏に、男は既に決めていたことを言った。

「……俺が芸能人である記憶を食べてくれ」

「!」

 男は疲れたように二人の少女に目を落とした。

「こんなことがあって、この先も何か、似たようなことが起こるとも限らない……テレビや雑誌で露出し続けることで知らない狂気に当てられるのはもう御免だ」

「トラウマになってしまったかな……?」

「あんたがいなくても、芸能界を去ることは考えてた。一度こういうことがあると、また何かあるんじゃないかって気持ちが先行しちまう」

「そっか……君がそれでいいなら、僕は何も言わないよ。けど完全に記憶を消すと、君の家にあった写真集が謎の存在になってしまうね」

「あ……ああ……そうか皆から記憶が消えるわけじゃないのか……」

「提案だけど、芸能界引退は君の口から皆に言うといいよ。僕は君からこの最後の記憶だけ戴く」

「最後の記憶?」

「女の子が殺し合った所。ここが一番ショックだったでしょ? けど解決してないと不安も残るだろうから、上手く解決したと記憶を繋ぎ合わせてあげる。これで安心だよ」

「そんなこともできるのか?」

「サービスだよ。今回君の願い事に労力はあまり掛からなかったから」

 獏は男の肩にぽんと手を置く。

「だからちょっと座るかしゃがむかしてくれるとありがたい」

 背伸びをしてみるが、男の身長が高すぎて口に届かなかった。

「直接しか食べられなくて申し訳ないんだけど」

 察した男は膝を突いてしゃがみ、獏は整った綺麗な双眸を手で覆った。面を外し、口付ける。

 食べる記憶は少しだけなのですぐに口を離し、面をしっかりと装着した。最後の記憶を食べることにより噛み合わなくなる記憶を上手く繋げるために、獏に依頼した記憶も共に食べた。

「少しの間だけ頭がぼんやりするかもしれないけど、すぐ戻るから」

 灰色海月は傘で少女を隠して男から見えないようにし、くるりと回した。その一瞬で男の家のベランダに移動する。

 窓の鍵を開けて中に入り、呆然とする男をソファに座らせた。

「それじゃあ僕の遣ることは終わったから、じゃあね」

 軽く手を振ると、男は軽く手を上げて頭を下げた。

 獏は灰色海月を連れてベランダの塀の上に立ち、くるりと回した灰色の傘と共に姿を消す。



 茫然自失と虚空を見上げていた少女はむくりと起き上がり、きょろきょろと辺りを見渡した。自分が刺した自分と全く同じ容姿の少女を見下ろす。両腕に圧迫されたような痛みがあるが、何故かはわからず部屋を見回す。

 立ち上がって玄関を見る。誰もいない。

「…………」

 とぼとぼと歩いていくと、知らない男の靴が一足あった。

「?」

 自分の物ではないことはわかるが、誰の物かわからない。少女は首を傾げ、しゃがんで靴をよく見る。何もわからない。

 わからないが、何故だかとても大切な物のような気がした。

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