3-蒼い小鳥


 いつものように誰もいない街で、霧の中を灰色の傘を差した女が傘からぶら下がる小さな電球を揺らしながら歩く。傍らには鳥籠を抱いた少年を率いて。

 煉瓦の街を歩き、一軒の店の前で立ち止まる。暗さと霧で看板の文字が読めないが、そのドアを開けた。

 薄暗い店内には瓦落多の置かれた棚が並び、通路が狭い。女は傘を畳んで中に入る。

 木の床をこつこつと踏む音に、ちりちりとベルの音が混ざる。

 少年が棚を見上げながら見渡していると、棚の間から動物の面が顔を出した。

「わっ!?」

 少年は突如現れた珍妙な姿に驚き、傍らの女にぶつかった。

「大丈夫ですか? こちらは人を喰い物にする只の獏です」

「悪意のある言い方」

「え? え?」

 困惑気味に二人を見る少年に、獏は棚から大きな瓦落多を一つ下ろして見せる。

「僕も鳥籠持ってるよ」

 所々錆びた古い空の鳥籠を手に、獏は露わになっている口元に笑みを乗せる。少年の表情は途端に暗くなった。

「下手は冗談は止めて、籠の中の現実をよく見てください」

 女は溜息でも吐きたそうな顔をし、少年の持つ鳥籠を示す。

「死んだ小鳥かな?」

 びくりと少年の体が震えた。抱いた鳥籠の中には、蒼い小鳥が横たわっていた。ぴくりとも動かない。

「願い事……聞いてくれるって」

「……クラゲさん。ちょっといいかな」

「はい」

 少年はその場に置き、獏は灰色の女を店の奥へ手招く。少年をちらりと一瞥し、小声で囁くように言う。

「願いってまさか、あの鳥を生き返らせろとか言うんじゃないよね?」

「私は何も聞いてませんが」

「いや絶対そうだよね? 生物を生き返らせるのは無理だよ」

「願いも叶えられない獏は動物園に行くしかないですね」

「だから! 無理なの! そんな世界の摂理を捻じ曲げるようなこと……何でもできるわけじゃないからね、獏は。そういう願いが多いことは承知してるけど」

 溜息を吐き、少年を振り返る。じっとこちらを見ていた。籠の中の小鳥はやはり動いていない。

「……話くらいは聞くけど」

 古い椅子に腰掛け、少年にも椅子を勧める。

「何か願いに来たのかな? それとも棚の何かを買う?」

「えっ、あれ売り物なの?」

「子供は正直ですね」

「ぐっ」

 的確に刺さる言葉を吐き、灰色の女は奥の部屋へ消える。

 少年は鳥籠を机の上に置き、獏によく見えるように押し出した。

「ぴーちゃんを生き返らせられる?」

 やっぱりそれかと獏は指を組む。ペットが死んで悲しい気持ちはわからないでもないが、それを曲げることはできない。

「動物病院には行ったの?」

「……行った」

「何て言ってた?」

「死んでるって」

「そう。死んでる生き物は供養してあげて、それでお終いだ。生き返ることはないんだ」

 見た所小学生だろう。小学生にも命の儚さは教えてやらなければならない。前に置かれたティーカップを手に取り、揺れる琥珀色の紅茶に目を落とす。

「願い事、叶えられないってこと? 何でも叶えられるって言ってたのに? 嘘つき!」

「それは君の聞いた噂の話だろう? 噂というものは変質するものだよ」

「獏は嘘つきだって言いふらしてやるからな! 何にも願いなんて叶えてくれない! 嘘つき獏だ!」

「待ってそれは語弊が」

「嘘つきを嘘つきって言って何が悪いんだ!」

「何も叶えられないとは言ってないじゃないか」

「ぴーちゃんも生き返らせられないくせに!」

 聞く耳を持ってくれない少年に、獏は懐から透明な石の付いた棒を取り出し、引き伸ばして杖にした。石の先を少年の頬にぐりぐりと突き付ける。

「人の話はちゃんと聞こうと学校で習わなかったかなぁ?」

「!」

「杖をそんな風に使わないでください」

 少年の前にも紅茶のカップを置き、シュガーポットも添える。

「砂糖は好きなだけお使いください」

「子供扱いしてそんなに甘くしなくていいよ。……珈琲は駄目だけど」

 そう言いながら砂糖をスプーンに山盛り一杯入れた。強がってスプーン一掬いに止めようとしたが、かなり強めの一掬いだった。

「変な噂を流されると営業妨害だからね。生き返らせる以外の願いなら聞くよ」

「ぴーちゃん……」

「…………」

「……ぴーちゃんは父さんが買ってくれた大事な家族なんだ。父さんには会えないから……」

「お父さん死んじゃったの?」

「父さんは生きてるけど。離婚して遠い所に行った」

 紛らわしい言い方をするなと獏は思ったが、静かに話を聞く。学校には行っていないので習ってはいないが、話は聞く。

「だから、ぴーちゃんを生き返らせて!」

 結局行き着く所は同じだった。それ以外考えられないのだろう。

「ちなみにだけど、死後どのくらい経ってる?」

「え? えーと、一、二……三日!」

「動かないでもないか……」

「! 生き返らせてくれるの!?」

「今のは独り言」

 口を噤んで紅茶を飲むと、少年も一気に飲み干した。まだ少し苦かったようだ。眉を顰めて苦そうな顔をした。

「営業妨害されるのは嫌だから考えてみるけど、代価はかなり大きくなるよ」

「代価? お金? オレ今そんなにお金持ってない……」

「お金もないのに人に頼むものではないよ」

 獏は突然元気になった。代価は金ではないが、これは諦めてもらう良い口実になる。

「銀行に行けば貯金はあるから、取ってきてもいい? 父さんから貰ったお小遣いがあるから!」

 獏は面の奥で眉を寄せながら改めて少年を上から下まできっちりと見た。子供服のブランドは全く知らないが、手首に高そうな腕時計がちらりと袖から見えた。この子供の親は金持ちだと悟る。頭を抱えたくなる。よく見ると鳥籠も高そうに見えてきた。きっとこの鳥も高価な物に違いない。全てが高価に見えてきた。

「まあ……お金を求めてるわけじゃないからね……」

「え? どっち?」

 獏は諦めた。

「僕は死んだ物を生き返らせる行為は嫌いだ」

「叶えてくれるの? くれないの? どっち?」

「……できないわけじゃない」

「やった!」

 早くも叶ったように喜ぶが、獏は煮え切らない。

「本当によく聞いてほしいんだけど、命を終えて死んだ物を生き返らせるには、生きた命が必要だ」

「生きた命……?」

「わかりやすく言うと、この場合は……君の寿命を分けることで達成される」

「ほんと!? じゃあ、ずっと一緒にいたいから、五十年くらい!?」

「ちょちょっ! 待って! いきなり凄い数字を出してくるな君は!」

 飲みかけた紅茶を噴きそうになるのを堪え、慌てて杖で少年の頬をぐりぐりと突いた。

「君は何歳まで生きるつもりなんだ」

「えっと……百くらい?」

「今は何歳?」

「十歳」

「それだと既に生きた十年を差し引いて残り九十年。半分にするなら四十五年だ」

「あ……あー! じゃあ、それで!」

「算数が苦手か君は。あとね、日本人男性の平均寿命は八十と少しだよ。百まで生きることは否定しないけど、君がどうなるかわからないでしょ?」

「じゃあ……よっ、四十……?」

「僕には君の寿命はわからない。例えば四十年分け与える場合、君の寿命が残り七十しかなければ君の残りは三十しか残らない。もし残りの寿命が三十しかなければ、四十与えることを望んでも相手に渡るのは三十年。そしてそれは君の寿命を使い果たすことになるから君は死ぬことになる。もっと慎重に考えた方がいい――んだけど、わかる?」

 少年はぽかんと獏を見詰めて呆気に口を開いている。理解できていなさそうだ。

「これが理解できないと、願いは叶えてあげられないね」

「! わっ、わかった! 理解できた! つ、つまり……少しだけ分け与えて、死んじゃったらまた少し分けて……これを繰り返せばいい……?」

「思ったより柔軟な着地点を見つけたね」

 だがそれは何度も死の瞬間を味わわせることになる残酷な選択だ。死を体験したことのない少年には難しい想像だろう。

「やった! それじゃあ……十年くらい?」

「何度も言うけど、僕には君の寿命がわからないからね。それと、これは生き返らせる工程で必要な物だから。これとは別に代価を戴く」

「な……何円ですか」

 ごくりと唾を呑んで緊張する少年に、不安しかないと思いながら獏は説明を続ける。

「お金じゃないよ。君の心をほんの少し戴く」

「心……? 死んじゃう?」

「いや、それくらいでは死なないよ。何かへの気持ちや感情の一欠片が失われるだけだ」

「よくわからないけど……死なないなら平気!」

「…………」

 こう言う人間には願いを叶えてやらない方が良いのだろうが、獏はそこまで善人ではない。この誰もいない街に閉じ込められ反省の意を込めて善行を積むことを求められているが、偽善を咎められているわけではない。相手は子供なので念入りに拒んではみたが、子供故の頑固な無邪気さには骨が折れる。明日もわからない人間が、一体確実に何年生きられると考えているのだろう。

「じゃあ最後に忠告だ」

「はい!」

 わくわくといった面持ちで言葉を待つ姿を見ていると反吐が出る。

「君はハッピーエンドを望んでるんだろうけど、ハッピーエンドにはならないよ」

「え?」

「ハッピーエンドなんて無いんだよ」

「ぴーちゃんが生き返ったらハッピーエンドに決まってんじゃん!」

「じゃあ生き返ったら、君の願いは達成だね」

「うん!」

 どうして自身に都合良くばかり解釈するのだろう。

(本当に人間は愚かだ。自分が正しいと本気で思える、健気で愚かだね)

 獏は椅子から立ち上がり、くるくるとバトンのように杖を弄びながら少年を店外へ促した。少年は思いが通じたと無邪気に鳥籠を抱え、獏に付いていく。

「クラゲさんも生物を生き返らせる所を見るのは初めてだよね? 見ておくといいよ」

「はい」

 灰色海月は獏の説明を理解したのか少し俯き加減だ。

「本当に十年でいいんだね?」

「うん!」

「代価は……その真っ直ぐな心を戴こうかな」

 少年は理解できなかったのかきょとんとするが、そわそわと籠の中を見て特に深くは考えなかった。獏は善人ではない。貶めるつもりもないが、理解できない者に労力を割くこともしない。強い願いにはそれだけ強い代償が必要だ。

「それじゃあ」

 杖をくるりと回し、先の透明な石を少年に向ける。

「寿命を十年分け与える」

 胸にこつんと当てると石は光り、光の尾を引いて死んだ蒼い小鳥に伸びる。

「さあ、目を覚ましてごらん」

 少年の見守る中、小鳥はぴくりと翼を震わせた。

「!」

 か細い声を上げ、頭を起こす。少年は目を丸くして籠に獅噛み付いた。

「ぴーちゃん! 本当に生き返った! 獏の……お兄さん? お姉さん? ……どっちでもいいや! ありがとう!」

「ふふ。喜んでもらえて嬉しいよ」

 束の間の喜びに微笑みながら、杖の先を少年の額に当てる。

「代価の心も戴くね」

 石が光り、心を吸い取る。

「――はい、お終い」

「何か変わった? よくわからないな」

「そういうものだよ。心なんてものは無意識だからね」

 杖を引き、灰色海月に目配せする。

「クラゲさん。この子を外に送ってあげて、様子を見ててごらん」

「わかりました」

 灰色海月は言われたままに傘をくるりと回し、少年と蒼い小鳥を街の外へと送る。

 獏はくるくると杖を回しながら、店の中へ戻る。聞き分けの悪い人間には良い教訓になったのではないだろうか。命を与えられても、その先がないことを。

 空のカップに杖の先を当て、霧を注ぐ。机に肘を突いて飲むと、やや甘い味がした。

「うん。美味しい」

 口元に笑みを浮かべ、よく味わって飲み干す。

 そのままくつろぎながら売り物の古書を読んでいると、いつもよりやや騒々しく、灰色海月が帰ってきた。灰色のロングスカートを両手で抓んで駆けるように獏の前に立つ。

「どうなるか……わかってたんですか」

「どうなった?」

 古書を畳んで机に置き、振り向く。灰色海月は珍しく焦燥したような顔をしていた。あまり感情が表に出ない人なのだと思っていたので、それについては獏も少し驚いた。

「小鳥が……暫く羽ばたいた後に死にました。あの少年もです」

「少年も? それは不運だね」

 これにも少し驚いたが、可能性は無いわけではなかった。

「少年については想定外だったと? でも小鳥の方は……」

「命はね、与えることはできるんだよ。でもその器である体は死んだままだ。命の輝きは強いから少しは体を動かせるんだけど、すぐに尽きてしまう」

「……知ってたなら、どうして」

「話を聞かないからだよ。クラゲさんは、青い鳥っていう童話を知ってるかな? あの子の鳥を見て真っ先に浮かんだんだけど」

「少し聞き齧ったことは……」

「ざっくり言うと、兄妹が幸せの青い鳥を探しに色んな場所に行くんだけど、青い鳥を見つけて連れ帰ろうとすると死んでしまうんだ。その場所から連れ出せないんだよ」

「でも最後は手に入れるんですよね?」

「まあそうだけど、子供向けだとそれでお終いなのかな? あれは本当は、手に入れた鳥も逃げてしまうんだよ」

「そう……だったんですか」

「あの子の鳥もあのまま死んでいた方が幸せだったのにね。自分で逃がしてしまったんだよ。無理に動かしたら、体もボロボロになったでしょ?」

 こくりと睫毛を伏せながら頷く。

「だから、神様が作った法則を捻じ曲げちゃいけないんだよ」

「マレーバクなんて神様が作った余り物なのに……」

「僕はそっちの獏じゃないからね……」

「では少年も死んでしまったのは? まさか食べた心の所為で」

 獏は少々苦笑する。

「そっちは関係ないよ。寿命の方だね。十年与えて死んだと言うことは、元々あの子の命は後十年以下しかなかったってことだよ」

「…………」

「ここまで短命なケースは稀有だと思うけど……クラゲさんには少し酷な場面を見せてしまったかな。そこは謝るよ。ごめんね」

「いえ……私も思慮が浅はかでした。簡単に生き返らせられるのだと思ってしまいました。そもそもが力を制限されているマレーバクなのに」

「少しずつ悪意が見えるんだけど……けどまあ、力が全開でも生き返らせるのは遠慮したいかな。特に人間は駄目だよ。命があっても心は戻らないし。動物だったから引き受けちゃったけど」

「……そうだったんですか」

「クラゲさんは元は昏い海の中の海月だからね。わからないことも多いだろうし、ゆっくり理解していけばいいよ」

「現行で動物園のバク科バク属のマレーバクに慰められるなんて不覚です」

「その辛辣さも海月の毒の所為なのかなぁ」

 苦笑するが、灰色海月は笑わない。

「私も有毒の海月なので命を奪うことには慣れているはずですが、人間の感情というものは難しいです」

「感情はね、飼い慣らせばとても面白いものだよ。本を読んで面白いと思うのも退屈だと思うのも人間の感情の特権だね」

 机上の古書を手に取り、とんと指先で立てる。灰色海月も少しなら文字を読むことができる。

「同時に愚かではあるけど、そこがいい」

「相変わらず頭がおかしいですね」

「ふふ。元気になってもらえて良かった」

 灰色海月はハッとする。今までの何気ない流れは、平常ないつもの彼女に自然と戻そうとする行為だったのだと。知らず流されていたことに、海月は流されるものだと海月を盾にした。

「あの、一つ確認と言いますか、訊きたいことがあるんですが」

「ん? 何かな?」

「この街の時間は止まってますが、先程の生き返らせた小鳥をこの街に留めていたら、どうなってましたか?」

 獏は机に寄り掛かり、大きく首を傾けた。憐れむように微笑む。


「青い鳥の童話と同じ――生きてたかもね」

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