第4話

 身を切る様な冷たい風から逃げるようにして車に乗り込むと、春木は持っていたメモに短い斜線を引く。

 ここもダメだったか、春木は何重にも重なった斜線の下の住所を見た。東京から5時間ほど離れた場所にあるその地名は、とある本で「怪獣が来ない」と記されてあった場所だった。しかし、実際に訪れて分かったのは、それがただの迷信程度に過ぎないという事。怪獣の襲撃は一度もないが、それが何か実証的な根拠に基づいているわけではない。

 怪獣が来ないという確証はなかった。

 これで何か所目だろう、春木は項垂れて考えた。20を超えた辺りから彼自身数えるのを止めていたので正確な数は分からない。全身に堆積した疲労も睡眠と酒だけは誤魔化せないほどになってるが、それよりも彼を苦しめていたのは焦りだった。

 先日内見したあの物件。春木の理想を全て兼ね備えていたあの物件に住むか否かを市数日中に決めなければならない。

日も暮れかけた道を東京へ向かって車を走らせながら、春木はどうするべきか思案し続けた。

 怪獣が来る危険を承知で、あの場所に住むのか、それともこのまま絶対安全な場所を探し続けるのか。

「それで、一人で怪獣の来ない場所を探しに行ってたってわけ?」

帰宅した頃には夜の11時を回っていた。

「じゃあ、今日一日仕事だっていうのは、嘘だったんだ……」

「舞子は、どう思う?」

「どうって?」

「怪獣が来ない場所に住めば、絶対安全だ。災害に巻き込まれて死ぬこともないし、家や家族、そして生活を失う事はない」

「そんな場所、本当にあると思う?」

「だから、探してるんだろ?」

 嘲笑を含んだ舞子の返答に、春木は少し怒気を含めて言い返した。

 舞子はテレビを消して、頭をかいた。

「もういい加減にしてよ……ほんと、春木最近おかしいよ? 怪獣怪獣って」

「舞子は何とも思わないのか? いつ、怪獣がやって来て死ぬか、分からないんだぞ?」

「それは分かるよ。でも、今の春木はやりすぎ」

「あのな、俺はお前と、そしてなにより息子の為に――」

「息子のため? なら、今日の予定を潰してまで、行くほどの価値があったの?」

「今日の予定……?」

「呆れた。今日は藍の誕生日だったの! 息子のため、息子のためって、春木は藍の気持ち考えたことある?」

「俺はいつでも藍の事を考えてる。怪獣が来ない場所を探してるのだって、全て藍のためだ」

春木は早口でまくし立てた。

「それが……間違ってるんだよ」

「間違ってる?。藍の為に安全な場所を探すのが間違ってるのか?」

「そうじゃない。春木は、藍が何を望んでいるのかしらないんだよ。藍が毎日どんな気持ちであなたの帰りを待ってるか知ってる? 今日だって、パパと遊びたいってずっと言ってたんだよ?」

 舞子は続けた。

「たしかに、怪獣の来ない場所があれば安全かもしれない。でも、そんな場所を探すために藍との時間を削ることが正しいと思う? それでも藍のためって言える?」

「…………でも、俺は――」

 その時だった。ズンッと突き上げるような振動が床から天井へと抜けて行った。食器棚がカタカタと音を立て、コップの中のお茶が激しく波打った。

 痛いほどの脈動と同時に、再び強い振動が春木を、そして家全体を震わせた。

遅れるようにして、スマホからけたたましいアラームが鳴り響く。不協和音を重ねた尖った電子音。画面を見るまでもなかった。

 緊急怪獣警報だ――

 春木の全身に鳥肌が立つ。一瞬、舞子と目を合わせると、彼は寝室で寝ていた息子を抱き起こした。

 突然起された息子が困惑の声を上げるのを無視し、春木は急いでマンションの部屋を飛び出した。廊下を抜け、寒空の下、非常階段を駆け下りる。後ろからは非常用バッグを背負った舞子が慌てて追いかけてくる。

「パパ、お空が赤い」

 耳元で藍が呟く。

 階段に落としていた顔を上げ、春木はフッと眼下に広がった東京の夜景を見渡した。普段は街中に散りばめられている夜景の明かりが、一部だけ、齧り取られたように消えている。

 明かりは消えていたが、高層ビルの向こうがぼんやりと明るい。その向こうで火災が起こっているのは明らかだった。

 怪獣はどこにいる―― 胸の中を恐怖がせり上がり、思わず春木は嗚咽しそうになった。

 階段を下り切り、街路へ出ると同じように避難する雑踏で溢れていた。

 遅々として進まないその行列に業を煮やし、春木は列を抜け出して、再び走り出した。

「ちょっと、どこ行くのッ!?」

 ビルの間を走り、路地を抜けていく。

 通りを抜けた先にもう一つシェルターがあったはず――

 その時だった。

 ビルの間を、猛烈な突風が吹き抜けていった。春木は思わず目を瞑り、息子を庇うように体をひねった。

 体を地面から跳ね上げるほどの振動が襲い、雷鳴にも似た唸り声が響く。

 薄く目を開けた先、ビルの上に黄色く光った鋭い目が覗いていた。

 恐怖で動けなくなった春木の腕の中で、藍が声を上げて泣いた。しかし、春木は動くことが出来なかった。

 怪獣がゆっくりと口を開く。

「あぁ……」

 言葉にならない喘ぎが腹から漏れ出た。

 春木は呆然と、そこに立ちすくんでいた。

「あんた、何やってんの!?」

 その時、何かが春木の腕を強く引いた。



つづく





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