第3話

 それから数日間、春木はテレビの前から離れなかった。そこに映し出されていた光景にただ茫然とし、釘付けになった。

 怪獣は東京に上陸することはなかったものの、海岸線沿いに北上を続け、ついに牡鹿半島から本土へ上陸した。怪獣のスケールは超大型。観測史上最大規模ともみられる巨大怪獣だった。

 出動した自衛隊の攻撃をものともせず、怪獣は市街地に進撃。家を踏みつぶし、ビルをなぎ倒して、多数の死者と瓦礫の山を後に残しながら内陸部への侵攻を続けた。

 自衛隊の攻撃によって、4日後、どうにか怪獣は殲滅されたものの、その軌跡には何も残ってはいなかった。

 倒壊した家屋とガラクタのように転がる自家用車。かつて各々が個別の意味合いを持っていた瓦礫や材木の破片がそこら中に積み重なり、残された人々が途方に暮れた様子でそれを眺めていた。

 テレビは連日、被害状況を伝えた。怪獣が街を破壊する映像は幾度となく流され続けた。

 怪獣の足が、長い尾が、一瞬にして街を破壊する。そこにどんな暮らしがあり、どんな思いがあったのかを一切無視して。

「仕事、行かなくていいの?」

 5日目の朝、朝食を用意しながら舞子が尋ねた。

「……大丈夫。来週まで休み取ってある……それに、こんな状況で働く気にはなれない……」

 舞子はため息を吐いただけで、それ以上は何も言わなかった。

 山内から電話があったのは、その日の昼頃だった。

「いやぁ……参った参った。お前、あの後、無事に帰れたか? 俺は結局タクシーが捕まらなくてよ、練馬まで徒歩。徒歩だぜ? 人生で初めてあんな歩いたよ」

「すみません、一週間もお休み頂いて」

「いや、いいんだよ。どうせここんとこずっとお前、休み取ってなかったんだから。それに、この数日はウチも閑古鳥だ。来てもすることはないよ」

「……ありがとうございます。わざわざ電話までしていただいて」

「いや、電話したのはな、前にお前が言ってた条件の物件。いい感じのが見つかったんだよ。せっかく休みなんだから、内見でもしてきたらどうだ?」

 吉祥寺駅から徒歩5分。マンションの6階にその物件はあった。

 とある夫婦が購入した物件だったのだが、退職を機に田舎へ移住するため手放すことを決めたのだという。

「昔から北欧のインテリアが好きでね。家具だけでなく、壁紙や照明も北欧の物で揃えてるんですよ」

 内見に立ち会った家主の夫婦は言った。

間取り、部屋数、そして――

「バルコニーからは公園が一望できます。秋になるといちょうの木が綺麗でね。歩いて5分もかからないから、休みの日なんかはよく散歩に行っていましたよ」

 文句なし。自分が望んでいた通りの物件だ。

「あなたの言ってた通りの条件で、部屋もお洒落だし、藍が遊べる公園もある。ここすごくいいよ」

 部屋を見て回りながら、舞子は春木に呟いた。

「皆さん、そう言っていただいてます」

「すでに、何人かが内見してる方が?」

「ええ。10組ほどの方からお話を頂いておりますが、今回は山内さんからのご紹介という事で、他の方より優先させていただきますよ。もちろん、今日すぐに決めて頂くというのはあれでしょうから……」

「どれくらい待っていただけるんですか?」

「そうですね、まあなるべく早く決めて頂くに越したことはないですが……」

 舞子は思い詰めたように外を見つめる春木に耳打ちした。

「ねぇ、ここにしよ。ここでいいじゃん」

 バルコニーから見える葉を落とした雑木林。春木は舞子の声を背で聞きながら、その様子を茫乎として眺めた。街路の向こうには、公園の中、子供を連れて歩く親子の姿が見えた。

「春木、聞いてる?」

「あの……」

 春木は振り返り、老夫婦を見た。

「怪獣が出たら、この建物はどうなりますか?」



「考えすぎなんじゃないの……?」

 内見の帰り道、舞子はそう呟いた。

「ま、あんなことがあった後だから、気持ちは分かるけどさ……」

「舞子は……どうしたい?」

「え? そりゃ、あそこが一番でしょ。春木が言ってた通りの間取りだったし、内装もお洒落でいい感じだったじゃん」

「そうか……」

「大丈夫、そのうち気になんなくなるよ」

 妻はそう言ったが、春木の抱える危機感は日増しに大きくなっていった。テレビを付ければ、これまでの怪獣対策の甘さと想定外の事態への対応がしきりに議論され、インターネットでは真意不明の情報が飛び交った。

 それらの情報を目にする度、春木の胸は締め付けられ、喉の奥に飲み下せない厭な違和感が募った。

何度も、夢を見た。漠然として、言語化することが出来ない夢。仔細に記憶できていなくても、それが怪獣に襲われる夢だったことだけは分かった。

 安心。安全。そう呼べるような時間が春木の中から少しずつ消えて行った。今この瞬間にも、怪獣が

現れ、生活の全てが灰燼に帰すかもしれない。

 死の恐怖によって実感する生の感触は、耐え難い苦痛だった。

「はぁ? 怪獣の来ない場所?」

 数日後、職場に復帰した春木はいの一番、山内に相談した。

「お前、あの物件保留にしたのか?」

「ええ、まあ……」

「お前の言ってた通りの間取り、内装、それから公園。あんないい物件中々ないぞ? 何が気に入らなかったんだよ」

「怪獣のことが……ちょっと不安で……」

「おいおいおい。勘弁してくれよ……お前も意外とミーハーだな」

 山内は呆れたように笑った。

「こないだの怪獣災害があってから、そんな問い合わせばっかりだ。怪獣対策が不安だとか、怪獣が出た時に建物は……とか」

「先輩は怖くないんですか? この東京に怪獣が出る確率は――」

「30年以内に70%。知ってるよ」

「だったら、どうして……」

「どうしてって。じゃあどうすりゃいい? 東京から出るか?」

「それも選択肢の一つですよ」

「いいか、高梨。教えてやるよ。日本に怪獣の来ない場所なんかない」

 怪獣を避けられる場所。この小さな島国にそれはない。そんなことは春木も分かっていた。しかし、あのドイツ人が言っていた言葉が頭のどこかに引っかかる。

――怪獣の来ない場所――

もしかしたら、本当にそんな場所があるのではないか。その考えは春木の頭に憑りついて、離れなくなった。

 インターネットで探してみると、意外にもあっさりと「怪獣の来ない場所」は見つかった。それも、一つではない。日本全国津々浦々、あらゆる場所が怪獣の来ない場所、として紹介されてあった。

 無論、それらの多くは科学的な根拠があるわけでも、なんらかの対策をしている訳でもなかった。ある場所では伝承で、ある場所では疑似科学めいた論法で怪獣が来ない事を謡っていた。

 流石に春木も、眉唾ものの情報を鵜吞みにすることはなかったが、可能性にかけてみたいという気持ちが働いた。

 無数に存在するその場所のどれか一つぐらいは本当かもしれない。 多くは、ネット上の情報や文献を当たってみればそれが噂や伝承の類に過ぎないとすぐに分かった。しかし、そのうちのいくつかは“ひょっとすると”と思えるような信憑性を含んでいる。

 そうなると、情報を目で追うだけでは収まりがつかない。春木は休日を返上し、1人その場所を訪れ始めた。



つづく

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