山は見ている

第1話

「お山が見ているよ」


 それは、小さい頃からのばあばの口癖で、マナはずっとそれを聞いて育った。

 マナのばあばの住む田舎には、見上げるほど高い、高い山があった。山の名前は知らないけれど、皆、それを神様の山、と、呼んでいた。その山は、夏でも山の上に白い雪を頂いていた。マナはそれをばあばと見上げていた。

 きれいな、きれいな山だった。


 マナはそうして都会で育って、小学生になった。

 ある日、学校の行事で近くの山へ遠足に行った。その時、マナは山の中で迷子になってしまった。どこを見渡しても同じような木しか見えない。

 ばあばの村の自然は、マナの心を癒してくれたけれど、今は知らない山をマナは怖いと感じていた。怖くて怖くて泣きそうになっていると、

「おいで、こっちだよ」

誰かの声がした。マナは一生懸命その声を追いかけた。そのうちに、マナの目には木々や草花に顔があるように見えて来た。それが不思議に怖くはなくて、ばあばの田舎の山を思い出していた。すると、急に目の前がひらけて、真っ白な着物を着た男の子に会った。

「よく頑張ったね、マナ」

そういって、男の子はマナの頭を撫でてくれた。背はマナより少し大きい。

「もう迷子になるんじゃないよ」

そう言うと、男の子はマナの背中をぽんと押した。マナがよろけて一歩、踏み出すと、

「マナちゃん!」

そこには担任の先生と、クラスの皆が居た。マナは心の底からほっとした。すぐに泣きそうになるのをぐっとこらえて振り向いた。

 しかし、そこには誰もいなかった。

「お礼が言いたかったのに……」

マナの呟きは、森の中に吸い込まれていった。


 その話を、マナはばあばの家に遊びに行った時に話した。すると、ばあばは目を丸くして、それから皺だらけの顔をもっとくしゃくしゃにして笑った。

「ばあばも、迷子になったことがあるよ、その時、真っ白い着物の男の人が助けてくれた。見てごらん」

そう言って、ばあばは神様の山を指さした。

 今は春の初め。山もまだ、深く雪をかぶっている。マナの目には、その山が笑ったように見えた。ばあばを見ると、隣で、ばあばも笑っていた。

「お山様は見て居なさる。ばばがどこに居ても、マナがどこにいても。どこのお山も繋がっている。どこのお山の神様も、みいんな、見て居なさる」

ばあばの口癖。でも、この時、いつもと同じ言葉を聞いて、マナの心がふわっと温かくなった。

「見て、いなさる」

マナがばあばの言葉を繰り返すと、ばあばは頷いた。

「そう。だから、お山様に感謝して、毎日を真っ直ぐに過ごしなさい。迷子になったら、必ず、お山様が助けて下さるよ」

ばあばはそう言って、笑った。

 その時、ばあばの目に、光るものが見えた気がした。ばあばが迷子になったのは、どんな時だったのだろう。マナと同じように遠足の時だったのだろうか。それとも大人になってからのことだろうか。マナは気にはなったが、何故か今は聞かない方が良いような気がした。

 ばあばはマナよりもずっと長く生きている。マナよりもたくさんのことを見て、聞いて、知っている。でも、そんなばあばでも迷子になった。ばあばの深い皺には、マナが思いもしないような、たくさんの「迷子」が刻まれているのかもしれないと、マナは胸の奥で思った。そしてそれは、

「ばあば」

「何だい」

「ばあばのお話、もっとたくさん聞かせてね」

そう言ってマナはにっこりと笑った。ばあばも笑った。見上げると、お山も笑っているように見える。

「そうだねぇ、こんな日は、縁側でお茶でも飲みながら、昔話をしようかねぇ」

そう言ってばあばはゆっくりと立ち上がった。

 台所へとえっちらおっちら進むばあばの隣に、白い着物を着た男の人が見えた。


ような気がした。


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山は見ている @reimitsuki

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