第8話 158日目②

「とまあ、こんな感じ?」


 私は空になったパスタの皿を眺めながら言う。


「真希っち、そんなドラマティックなことを大親友の私に黙ってたの~?」


 同じく空になったハンバーガーの皿には目もくれず、のえりーは私の肩をテーブル越しに小突く。


「別に細かく話す必要もないかなって思ったの!」


 茶化されるとは思っていたけど、やっぱり本当に茶化されるとイラっと来る。


「それを聞いて思ったけど、二人はシンプルに気が合うってことなのかもね~。よく言えば」


 よく言えば。

 そう、悪く言えば、私は雅人のどこを見て好きになったかと聞かれると、分からない。強いて言えば、見た目である。雅人と一緒にいれば美男美女カップルともてはやされる。誰にも言えないが、多分最初のモチベーションはそうだったかもしれない。


「あんまり深く考えすぎない方がいいと思うけどねえ私は! だってさ、『どこどこを好き』って言っちゃったら、そこしか好きじゃないのかなってなっちゃう気がして嫌じゃない? もし彼氏の好きだったところが変わっちゃったら、それだけでもう嫌いなのかなって」


 のえりーの少し不思議な持論は、今の私にじんわりと浸透し、根拠のない納得感を得ることができた。だから、これ以上何も言わなかった。


「あー! そうそう!」


 話が途切れたのを見計らって、のえりーは新しい話題を切り出す。


「学祭のベストカップル、私が二人のこと申し込んでおいたけど、いいよねー?」


 ベストカップル。そうだ、最近色々なことが起きたせいですっかり忘れていた。今は九月。学祭は十月末に行われる。そろそろベストカップルの宣伝期間がやってくる。


「あはは、もう勝手に~! でもいいよ、のえりーが推薦してくれたならやってやる!」


 私は努めて、自分が出たくて堪らなかったということはひた隠した。のえりーは「その意気だいッ!」と鼻を鳴らし、クラフトコーラをズズッと飲み干した。


「で、自己アピールはするの?」


 自己アピール。駒早大学のベストカップルは、インスタやツイッター、ティックトックなどのSNSの活用をはじめとした自己アピール期間が約一か月ほど設けられている。その間、「#駒早ベストカップル選考」と投稿に付け、各カップル思い思いの自己アピールを行うのだ。だが、過去に自己アピールを一切行わずにベストカップルに輝いたカップルもいるので、一概にやればいいというわけでもないのかもしれない。

 とにかく、自己アピールに関しては特にやらなければならないという決まりがあるわけではないのだ。

 そして、自己アピール期間が終わると約二週間の投票期間が設けられる。キャンパスの五か所に設置された投票箱及び、学祭運営から学生全員に送信される投票用フォームから投票ができる。一応、投票用紙には学籍番号を記入する欄、投票用フォームは大学発行の学生用メールアドレスと紐づけられているので、一人最大二票までしか投票できないシステムになっている。……紙の集計大変そう。

 ――という説明を、何も知らないという体の私はのえりーから懇切丁寧に聞かされた。


「うーん、私はまあ気が向いたらって感じかなぁ。雅人が乗ってくれるか分からないし」


 嘘だ。

 雅人は軽く押せばやってくれるだろう。私は何としてもベストカップルに輝きたいので、投稿はバシバシ行っていこうと思う。後からのえりーに何か言われたら、「やりはじめたら気分が乗っちゃって~」と言えば多分なんとかなる。と思う。


「いやあしかし」


 のえりーは腕を組み、背もたれにふんぞり返って感慨深く頷いた。


「中学時代、惨いあだ名で呼ばれてた真希っちが、まさかベストカップル候補にまでのし上がるとはねえ」


 ……!

 それは、それは……ダメだ。


「のえりー、やめて」


 全身の毛が逆立つのを感じる。心臓が私の意志とは無関係に激しく蠢く。中学時代のクラスメイトの顔が、声が、言葉が脳裏に甦る。


「あ、ごめん、私」


 のえりーは寄りかかったばかりの背もたれからすぐに背中を離し、私の横へ移動した。のえりーの細い指先が私の背中を撫ぜる。荒くなりかけた呼吸が、その手の温もりで少し和らいだ。気分が、悪くなってきた……。


「お客様、どうなさいました!?」


 事態を重く見た店員が、急いで駆け寄ってくるのを視界の端で捉える。


「……だい、じょうぶです」


 うずくまってしまっていた私は姿勢をゆっくりと戻し、店員の顔をできる限りの笑顔で見た。多分、無理しているのは伝わっている。


「すみません、お水貰えますか?」


 のえりーが言うと、戸惑いながらも店員はカウンター内に戻っていった。そして、のえりーは私の顔を覗き込んでゆっくりと口を開いた。


「ごめんね、私、知ってるのに」


 普段の煩い声とは裏腹に、優しい、落ち着いた声が私の耳に届く。体調はもうほとんど回復していた。……中学時代の私の話は、私にとって耐え難いトラウマとなっている。それは私とのえりーの昔からの共通認識だ。


   *


 その日、長めのランチを終え、私たちは解散した。時刻は午後三時。九月とはいえまだまだ蒸し暑い。学祭の頃にはきっとすっかり涼しくなっているんだろうなと思うと、この暑さも少しは名残惜しい……なんてことはない。早く涼しくなってほしい。ふぁっきん夏。

 さっきのことや暑さもあり、私は真っ直ぐ家に帰ることにした。家に帰って、早速インスタに投稿する写真を厳選しよう。そうしよう。そう、今の私は可愛くなった。イケメンの彼氏もいる。堂々と胸を張ればいいのだ。可愛い自分の写真を見て、全部忘れてやろう。


「ただいまー」


 なんとなく、誰もいないけどそう言って部屋に入る。当然ながら返事はない。私は荷物を置き、台所の流しで手を洗って、スマホを手に取った。そういえば、桃の件があって以来インスタを開いていない。少しの間、見るのを雅人たちに止められていたからだ。

 いざ開いてみると、なんてことのない、いつもの画面だ。友人たちの楽しそうな投稿で埋め尽くされる画面。みんな、自分を可愛く魅せようとする世界において、本当に可愛い私は勝ち組だな、とか考えてほくそ笑む。性格悪すぎかも、私。

 ふと、ダイレクトメッセージの通知が来ているのが目に入る。瞬間、心臓が脈打つ。大丈夫、例のストーカーアカウントはブロックしている。変な通知は来ていないはず。

 開くと、一番最初に目に入ったのは高校時代の友達からだった。私が少し前に投稿していたストーリーに反応をくれていたみたいである。ふぅと息をついたのも束の間、そのすぐ下のメッセージが目に入る。知らないアカウント。落ち着いてきたはずの脈がまた高くなるのを感じた。

 名前の下の表示されている、最新のメッセージ。

 三分前。

 内容は――


 Miteruyo:おかえり。


 立っていられなくなった。両足に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。動悸が激しくなり、視界がぐるぐると揺れる。

 何? 何? なに? なんなの?

 私がさっき、何の気なしに「ただいま」と言ったのに答えるように、メッセージが送られてきている。まさか……今も見られている……?

 怖い。怖い。怖い、けど、私は確認したくなってしまった。メッセージを、開く。


Miteruyo:おかえり。

Miteruyo:今日は友達とランチかな? 行ってらっしゃい。

Miteruyo:いつも見てるよ。かわいいかわいい真希チャン!

Miteruyo:今日もお洒落だね。その靴、池袋でも履いてた?

Miteruyo:インスタの投稿、最近してないね。待ってるヨ。

Miteruyo:いってらっしゃい!

Miteruyo:駒早ベストカップル、応援してる。

Miteruyo:真希チャンのことなら何でも知ってるんだからね。

Miteruyo:中学で陰毛ちゃんなんて呼ばれてたんだ、意外!でも僕ならそんなの気にしないよ!

Miteruyo:彼氏いても、大丈夫、そんなことじゃ嫌いにならないよ!

……


一〇七件。たった一週間で、それだけのメッセージが送られ続けていた。

私はそのすべてを読むことなど到底できなかった。最初の十件も満たないところで、画面を見るのをやめた。見られなかった。私は、ストーカーの気持ち悪さと同時に、中学時代のことを再び思い出していた。

 ――中学で陰毛ちゃんなんて呼ばれてたんだ

 その一文が、頭から離れなくなってしまった。

 陰毛ちゃん。

 私の中学時代のあだ名。私の、消してしまいたい、黒歴史。

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