第6話 157日目/158日目①
一五七日目
ストーカーらしき被害は、今のところ再発が見られない。やはり全ての犯行は桃だったのだろう。私は、その一面に関しては胸を撫で下ろした。というのも、やっぱり雅人の件が怖い。足の大きさが変わってしまう、とか、耳にあったはずのホクロがなくなってしまう、とか……。もしかしたらあるのかもしれない。確率としては。急激な足の成長、ホクロだって気づいたらなくなってることもまあ、なくもない。その場所を怪我したら消えることもあるかも。
ただ。
こんな短期間で、雅人一人の身に二回もこんなことがあり得るのだろうか。私には、これを偶然と片づけられるほどの鈍さはないみたいだ。もしかしたら、雅人やのえりーにはあるのかもしれないけれど。
私は今日も、雅人の家にいた。夕方六時を過ぎている。雅人は大学の課題をたった今終わらせ、伸びをした。
「ふあ~、やっと終わったぁ~」
声は、いつも通り。仕草も、姿勢も、明日が提出日の課題を今日終わらせるところも。私は、体育座りになって膝を抱えながら、雅人に訊いた。
「ねえ雅人。雅人は怖くないの?」
雅人の動きが一瞬止まる。机が壁側を向いているせいで、表情が見えない。
「ねえってば」
私の呼びかけに、やっと雅人は振り向いた。よかった。いつもの柔らかい表情だ。
「……そりゃあ、怖くないわけじゃないよ。ただ、何が起きてるか分からないし、どうしようもないじゃん? だからできるだけ、いつも通りに過ごしてる」
椅子から立ち上がった雅人は、私の方に歩み寄る。そして、体育座りの私と同じ目線まで屈んだ。
「だからこれもいつも通りに」
唇に、柔らかな感触。
たしかに、雅人は課題とかをちょっと頑張ったあと、私に「ご褒美に~!」と言ってキスをする。こんな姿、私にしか見せない。見せてほしくない。
「……まったく」
目の前に、雅人の綺麗な瞳。それが私の視界のすべてだった。
「近いっての」
私は自由になった口で言い、雅人の額を指で弾いた。痛がる雅人。痛がってるのに、笑っている雅人。ああ、いつもの雅人だ。
心配しすぎなのかもしれない。
大丈夫、私の大好きな雅人は雅人のままなのだ。大好きな。顔も、声も、身長も……。
そこまで考えて、私は止まった。私の好きな雅人って……。
*
翌日、日曜日だけどバイトが休みだったので、私はのえりーを誘ってランチに出かけた。渋谷の日曜日は人が溢れかえっている。そして、すれ違う多くの人が、私をチラチラと見ている。時折、「あの人かわいい~」などと声が聞こえる。
最近、心配事が多すぎて忘れていた。私は、変わった。あの中学時代から、変わったのだ。もっと自信を持て。堂々と歩け。私は、かわいいんだから。
渋谷といえばハチ公前を集合場所にする人が多い。だから、私たちもハチ公前集合にすることにした。そうすれば、沢山の人の視線を浴びられる。桃のような気味の悪い視線ではなく、誇らしい視線。私の存在意義を明瞭にしてくれる視線。だから私は、人混みの真ん中、分かりやすい位置に立ってのえりーを待つことにした。
のえりーは集合時間より十五分遅れてやって来た。
「ごめんなんかちょっと迷っちゃって!」
いつもなら軽く小突いて文句を言う流れだが、今日は私から呼び出したし、日曜は人も多いので仕方ない、ということで許した。
「で、どうする? 何食べるー?」
時刻は十二時十五分。今日は日曜日。私は抜かりのない女だ。
「予約してる」
「おおお! 流石……!」
私たちは、渋谷駅から徒歩三分ほどにあるお洒落で落ち着いた雰囲気のカフェに入った。私は野菜のたっぷり摂れるパスタとアイスコーヒー、のえりーはジャンキーなハンバーガーセットとクラフトコーラをそれぞれ注文した。
「で、いきなり相談? ってどうしたの」
のえりーはハンバーガーセットに添えられた細いタイプのポテトを咥えながら言う。
「……まあ、その、ちょっと不安になっちゃって」
フォークでパスタの上に乗っているミニトマトを突きながら、私は力ない声を出す。のえりーはポテトをハムスターみたいに頬張って、首を傾げる。
「不安? 不安……。まあ、あんなことがあればそっか、そうだよねえ」
のえりーは顎に指を当てうんうんと頷く。
「なんかさ、嫌な想像をしちゃったんだよね。もしも、もしもだよ。雅人が雅人じゃなくなったらどうしようって」
「どゆこと?」
今度はストローを咥えたのえりー。
「なんていうか、例えば中身は雅人なんだけど、外見が全然別人になっちゃったとして、私はそれでも雅人を好きなのかなって」
荒唐無稽な想像なのは分かっている。でも、拭い切れない不安の果て、私は今のえりーにこんなことを言っている。
沈黙。
のえりーは真顔で私を見る。変なことを言ってるって思っているのだろうか。それとも、何か考えてる?
「ねえ真希っち。真希っちはなんで雅人を好きになったの?」
まん丸な瞳が、私を見つめる。のえりーの幼い顔立ちが、純粋な表情が、咄嗟に何も言えない私を責め立てているようだった。
「なんでって……」
「じゃあさ、真希っちと雅人が付き合うことになった経緯、教えてよ。なんだかんだ私、なんにも知らないじゃん?」
私の言葉を半ば遮って、のえりーは提案した。まあ、断る理由はない。私は私と雅人の始まりを話すことにした。
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