彼女からは逃げられない

シオン

彼女からは逃げられない

 暗闇の中を息を切らして走る。光なんて差さないから自分がどこにいるかわからない。でも、後ろから追いかけてくる存在だけは嫌なくらい肌で感じる。


 彼女はペースを弛まず、早めることもなく僕を追いかける。ゆったりと歩いているのに引き離すことができない。それが宇宙の真理とも言わんばかりに。

 いや、こんなときに冗談を言っている場合ではない。とにかく逃げなければ。


 はじめはそんなつもりじゃなかった。期待して自分から彼女を求めたのに、正体を知ったとたん僕は常に逃げたくて仕方なかった。

 でも僕には逃げることができなかった。彼女から離れてしまえば僕はもうこの世界で生きることはできなかったのだから。


 でももう限界だ。このまま彼女の側にいたら僕は壊れてしまう。仮に普通の生活が出来なくなっても僕は安全な場所に避難する必要があった。


「何を言っているの?」


 気づけば彼女は目の前にいた。どんなトリックを使ったのか、後ろにいたはずが既に回り込まれていたらしい。

 彼女は笑顔だ。人を惹き込むような顔で餌を誘き寄せる。まるで違法サイトの広告のような顔だ。


「あなたは私無しでどうやって生きるの?私がいるからあなたは社会で生きることができるし認められるの。私のいないあなたなんて社会のゴミなのよ」


 僕は否定しようとして、何も言えなかった。確かにその通りだ。


「安全な場所に逃げても、いずれは私を求め始めるわ。そういう風にできてるし、そうじゃないなら生きる価値はないわ」


 彼女は優しい笑みで手を差し伸べる。この手を取ればきっといつもの生活に戻ることはできる。

 辛くて虚しい毎日だけど、社会に認められる存在になれる。


 でも、僕はその手を払った。


「……なんなの?その目は」


「僕はもうあんな生活に戻らない。僕は自由を手に入れる!」


 彼女をすり抜けて僕は走った。

 光なんて差さないから自分がどこにいるかわからないけど、自由へ繋がる道を求めて走った。


 しかし、僕は彼女に取り押さえられていた。動けない僕を舐め殺すようにその表情は歪む。


「馬鹿な子。このまま従っておけば何も考えずに生きることができたのに」


「でも、私からは逃げられないの。あなたには死ぬまで働いてもらうのだから」


 意識が遠のいていく。僕はまたあの生活に戻るのか?いやだ。いやだ。

 そんな抵抗も虚しく、ぼくは彼女に拘束された。


 彼女の名前は「仕事」。僕たちは決して、仕事から逃げられない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女からは逃げられない シオン @HBC46

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ