第10話 薄幸令嬢、横恋慕される

 ロッシュが王都へと旅立ってから一週間が経った。

 予定ではそろそろ帰ってくるはずなので、ユーリは前日からソワソワしている。


 帰ってきたら何を食べさせようか。

 花を咲かせた不死鳥草を見て、どんな顔をするだろう。

 歳の近い顔見知りも増え、お茶会なんかもお呼ばれされたりするんですよ――話したいことは色々ある。そして何よりも元気な夫の顔を早く見たかった。


 愛用の買い物かごを持って町を散策する。

 考えてみれば、この地に降り立ってからまだひと月と経っていないのだ。なのにこの馴染みよう。水が合うというのはこういうことを言うのかと。


 ロッシュのいない間の生活費は、前もって預かっていた。

 お金の管理については、新婚二日目にけっこうな話し合いをしたものだ。なんとロッシュが

全財産をユーリに任せると言ってきた。

 信用してもらえるのはありがたいが、さすがにそれはダメだという話になり、当面は月々必要な額を預かっておき、余れば翌月へ繰り越し、突然の支払いがあれば都度必要分だけ頂戴する形に落ち着いた。


 ユーリが自由に使えるお金――お小遣いも予算として提出されたので、じつはそこそこの遺産があることを打ち明けて彼女は固辞したのだが、


「それこそ切り崩さず大事にして欲しい。妻の遊興費くらい出させてくれ」


 それくらいの甲斐性はある、と頑として譲らなかったのでユーリが折れた。

 たまらなく嬉しかった。

 しかしこれまでの人生で「自分への出費」など考えもしなかったので、いまいち何に使ったらいいのか分からなかった。


「それにしても――」


 ユーリが空を見上げると、数羽のカラスが舞っている。

 そしてこの数日間、外を歩けば野良猫が視界から途切れることがない。屋敷に帰れば、リスやキツネといった野性動物たちが彼女を迎えにきてくれる。

 ほっこりするので嬉しいが、さすがにクマが現れたときには生きた心地がしなかった。


「これが先生の言っていた『動物が守ってくれる』ということなのね」


 最強のボディーガードを得たユーリは、こうしてロッシュ不在の一週間を難なく乗り切ったのである。

 が――しかし。

 さっきから彼らの警戒度が何やらおかしい。

 上空を舞っているのは、カラスのほかにも大型猛禽類の姿がちらほら。ひとつの屋根にはだいたい十匹くらいの野良猫が香箱を組んでユーリを見つめてくる。

 野良犬たちに至っては三匹一組となっていくつかの部隊を組み、ユーリのそばに誰も近寄らせないよう周囲を威嚇していた。


「ゆ、ユーリちゃん、これはどうしたの?」


「ど、どうしちゃったんでしょう?」


 町の世話好きな奥さまから声を掛けられるが、それ以外答えようがなかった。

 しかしある筋から有力な情報を得る。

 駅長のターナーだ。

 どうやら昨日からユーリを探して貴族の令息がこの町に来ているらしい。いつものように買い物帰りに『しおかぜ』へ寄ると、イブキ婆さんがそう教えてくれた。


「ターナーの話じゃ、かなりのご身分だったそうだ。ひとつの車両を貸し切って、何人もの召使いを引き連れていたらしいよ。駅でも威張り散らかしてたみたいでね。気分が悪いと、珍しくあの鼻たれがヤケ酒してったわい」


「私を探しに? いったい誰かしら」


「案外、アンタに懸想してたボンボンじゃないのかい。テッカテカの顔してさ、ひとり舞い上がって『連れ戻しに来た』とか言うんさ」


「そんな、歌劇のお芝居じゃあるまいし――」


 ひとの不幸は蜜の味――ではないが、イブキ婆さんにとって所詮は他人事。話のネタは下世話であれば、あるほどいい。

 あくまでも笑い話だ。そんなこと起こり得るはずがな


「ユーリ! ユーリ・カナデイン! ボクだよ、きみを連れ戻しに来た!」


 イブキさん。伏線回収しちゃいました――。

 奇しくもロッシュと初めて出会ったあの橋の上。ユーリは坂道の下側から、息を切らせて走ってくる青年に声を掛けられた。

 見知った顔である。

 ユーリは内心「あーあ」と毒づきながら、それでも失礼にならない程度に表情を変えず朴訥として彼に応対する。


「サラザールさま……」


「きみの母君から『王命』により、悪い魔法使いと無理やり結婚されられたと聞いた! もう何も心配はいらない。ボクと一緒に帰ろう!」


 テッカテカの顔でなんら自分の行動に疑問を持たないこのぽっちゃりとした青年の名は、サラザール・コントラトン。キツネのような細い目と濃い体毛が特徴的だ。

 彼の後ろには数十人という従者が侍っており、中には剣を携えた護衛もいる。


 しかしユーリと彼らの間には野良犬の群れが展開しており、容易には近づけない。それをまた勘違い青年サラザールは、悪い魔法使いの所業だと罵るのであった。

 最悪のシチュエーションではあるが、ユーリにとって幸いなことにご近所さんは誰一人としてその場には居合わせていない。


「ユーリ、結婚したというのはやっぱりウソだったんだね」


「え?」


「だって指輪もしていないじゃないか。それにそのお仕着せ姿。きみは優しい女性だ、魔法使いが何か弱みに付け込んでいるのだろう。もう大丈夫、ボクが救ってあげるから!」


 ほら、言わんこっちゃない。

 先だってユーリが懸念していたケースがいっぺんにやってきた。これもすべて結婚指輪をくれなかった旦那さまが悪い――などと心にもないことを思う。

 それに着替えるのを億劫がって、このところお仕着せで買い物に出掛けていた自分も悪い。


「たしかに指輪はまだ頂いておりませんが、私はすでにロッシュ・スカヤ閣下の妻です。遠路はるばるご足労いただきましたが、どうかお引き取りください」


「ど、どうしてそんな冷たいことを言うのだっ。あんなにも愛し合った仲じゃないかっ」


 サラザールの必死な訴えに、ユーリもすこし気の毒になる。

 何度も身体を重ねたのは嘘ではないだけに、なんと説得したものか――。


 サラザールの父はコントラトン伯爵といい、現国王レオニダスの遠縁にあたる。

 またコントラトン領で出回っている小麦の九割はカナデイン産のものであり、商売上の付き合いからもよく屋敷に招待されていた。

 特にサラザールはユーリ目当てに一時期狂ったようにカナデイン家を訪れており、いずれは夫婦にと考えていたようだが両親は猛反対。

 ここ数年はユーリによる貴人の接待もなくなっていたために、カナデイン家への訪問も止められていた。

 それが余計に彼の恋心に火をつけてしまったのである。


「きみだってボクのことが好きだろう? じゃなきゃたとえ母親からの命令だとは言え、あんなことが出来るわけがない。きみがほかの貴族にもあてがわれていたのは知ってるよ。でもボクは過去にはこだわらない。全部許せるから――」


 気持ちがスーっと冷めてゆくのを感じる。

 いまだ彼のことを気の毒だとは思っているが、それと同時に哀れにも思う。接待で抱かれていた女の情愛を真に受けてしまったとは。


 そしてひとりの女として言わせてもらうならば、ただただ気持ちが悪い。

 過去にはこだわらない。

 許す。

 なぜ上から目線なのか。

 所詮は自分の庇護がなければ生きていけないかわいそうな女。自分以外には真剣に愛されない哀れな女として見ているのではないか。


 そう思った瞬間、ユーリの瞳は色を失う。

 坂の下で吠える一匹の毛深い豚に対して、蔑む以外の感情を捨てた。


「ユーリ……きみは本当にあのユーリなのか? なぜそんな怖い目をする。まるでボクを愛していないみたいじゃないか。そ、そうか、それもあの魔法使いのせい」


 サラザールが野良犬たちの張った防衛線に踏み込もうとする。

 すると彼らは一斉に威嚇を始めた。

 荒れ狂う野犬に人間の護衛など敵うはずもなく、彼らは剣に手を掛けたまま後ずさりをする。サラザール本人は腰を抜かし、その場で尻もちをついた。


「サラザールさま……どうかお帰りを」


「い、いやだ! ユーリはボクと結ばれる運命なんだ!」


 気が付けばこのところ快晴だった空が突如として曇り、暗雲が立ち込める。

 カラスたちが一斉に鳴きわめき不穏な空気を漂わせた。


「な、なんだ。これは……」


「なにが起こるんだっ」


 サラザール陣営に動揺が走る。

 そしてついには辺りに連続で稲妻がほとばしった。天から貫く電光に、彼らは為す術もない。ただ地面へと伏し、こうべを垂れるのみ。

 激しく鳴り続ける雷が、やがて轟音と共に大地へと突き刺さる。


「選べ……死か、それとも苦痛を伴う死か……」


 そんなサラザールたちの頭上にドスの利いた声が降り注ぐ。

 真っ白い髪をしたひとりの青年が、火、氷、土、雷撃、風、あらゆる属性の魔術をまとって閃光の中から現れたのだ。

 それはユーリが出会ってから初めて見る「マジギレ」モードの夫だった。



(つづく)

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