第9話 薄幸令嬢、王に噂される

 現国王レオニダスには年の離れた妹姫がいた。

 名前はアン。

 黄金色こがねいろの体毛を持った玉のような赤子だったと言われており、生まれた瞬間に当時の大司教が加護を見抜き、豊穣の女神に愛された聖女であると時代ときの法王に推挙した。

 その日は国を挙げての生誕祭となり、夜を徹しての祝宴となる。


 豊穣の加護持ちということで平民にも非常に人気のあったアン王女だったが、生後わずか二週間でこの世を去ってしまう。

 折しも戦時下において連戦連勝だったこともあり、前線の士気を維持するためにも彼女の死はしばらく秘匿された。

 これがのちに数々の憶測を呼んだことは言うまでもない。


「病死じゃなくて謀殺されたとか、豊穣の加護を狙われて他国に誘拐されたとか、噂はたくさんあるけれど、一番聞いたのはヘンリエッタさまを信奉する過激派の仕業じゃないかってね」


「ヘンリエッタさま?」


「知らないかい。ヘンリエッタ王女。いまの陛下の姉姫でね、戦乙女の加護を持った聖女さまだったんだよ」


 王家の長女ヘンリエッタ。

 すでに故人ではあるが、その人気はいまなお絶大だ。戦乱のさなかに聖女認定され、彼女が慰問に訪れる戦地は死傷者もきわめて少なく連戦連勝。

 瞬く間に話題となり、彼女の燃えるような赤髪は他国にまで広く知れ渡る。

 そしていつしか神格化されていった。


「アン王女の誕生がその地位を脅かすと考えたやからがいたのは事実だろう。だからって王族の姫君をそう簡単にどうこう出来るかねぇ」


「よく分からないんですけど、王女というのは妹さんが出来ると地位が脅かされるものなのでしょうか?」


「それには理由があってね――」


 そもそもひとつの国家に複数の聖女が誕生するのは稀である。

 また豊穣の女神は戦乙女よりも格上だったため、王宮内ではヘンリエッタ王女の加護が失われるのではないかと危惧する者も少なくなかった。

 国策として周辺の友好国に援軍を送っていた手前、ここで戦乙女の加護を失う訳にはいかないという事情もあり「アン王女、弑すべし」との不穏な声は絶えなかったという。


「……そうだったんですね。私にも義妹がいますから、複雑な気持ちです」


「ま、けっきょくはアン王女が亡くなってすべては丸く収まったと見るべきだね。一方のヘンリエッタ王女もそれほど幸せな人生だったとも言えないし」


「なぜ?」


「王女は結婚もせず、一生を国家に捧げたのさ。今の陛下が二十年前に『機械の国』との戦争を強行したのも、彼女が余命いくばくもなかったからだと聞いている。戦乙女の加護があるうちに戦って、有利な条件で終戦協定に調印したかったんだろうよ」


 姉の地位を守るために生きることが許されなかった妹。

 妹が生まれたことで、半生を奪われた姉。

 豊穣の加護を持っているという偶然もさることながら、どこか運命的なものを感じる。

 ユーリは『しおかぜ』の窓ガラスを拭きながら、王都へと旅立ったロッシュのことを考えていた――。





「しばらくぶりだ。スカヤ卿。息災か」


「は。陛下のご威光があったればこその我が身でありますれば」


「ふ……心にもないことを……おい――」


 齢八十になる老いたる国王は、大きな宝石で彩られた枯れ木のような指を振って侍従たちに人払いを命じた。

 いま玉座と相対しているのは、同じ年齢でありながら、いまだ若々しい姿を保っている魔法使いがひとり。国王にとってはかつての盟友でもあった。


 三日掛けて王都に到着したロッシュは、その足で国王への目通りを所望した。

 通常であれば否応なしに月単位での順番待ちが課されるところ、ロッシュは先の戦争における論功行賞で「いつ何時の謁見をも許す」と国王本人から特権を許されている。


 ふたりがこうして直接顔を合わせたのは、ロッシュの前妻の葬式以来だ。その後彼らは、お互いに距離を置いた。物理的にも、心の距離も――。


「新婚生活はどうだ。公爵からの縁談だ。気に入らんからと言って、そうおいそれと突き返す訳にもいかんぞ」


「……感謝しております。私の後添えにはもったいない女房です」


「ほ、それほどか。カナデイン家の長女の話は、余も耳にしておる。亭主である卿をまえにしてする話でもないが、家臣の子弟にもアレのファンは多い。なんでも聖母に包まれるが如き、法悦だとか……おいおい、この程度の戯言でピリつくな。小僧でもあるまいに」


 ロッシュは跪いた姿勢のまま、わずかに震えていた。

 それが怒りであったかどうかまでは、本人以外知る由もない。ただひとつ言えることは、国王のこの態度はロッシュに対するささやかな嫌がらせである。


 二十年も音沙汰がなかったこと。

 謁見の自由がありながら、王都に来ても顔すら出さなかったこと。

 再婚の報告にも来なかったこと。

 そしていまもって臣下の礼を崩さず、敬語で受け答えをしていること。


 王はまだ彼を――ロッシュ・スカヤを友人と呼びたいのだ。

 それをロッシュも分かっているから、どうしようもない腹立たしさに困惑している。


「ええい! いつまでそう意地を張っておるのだ! 嫁御前よめごぜのことは散々謝ったではないか!」


 国王はついに玉座から立ち上がってしまった。

 先祖伝来の品である王笏を床へと叩きつけ大人げなく憤る。一国を統べる者として、この取り乱し方ははっきり言ってだ。


「そもそも前線への伝令が遅れたのはワシのせいではなく、大臣たちが」


「レオニダス」


「な、なんじゃ……」


「結論から言おう。お前の探していた妹が見つかった。いや正確には姪が生きていた」


「どっ……」


 時が止まるというのは、こういうことを言うのだろう。

 人払いのされた謁見の間にただふたりだけ。耳の痛くなるほどの静謐さに、ロッシュもレオニダスも心を蝕まれるかのようだった。


 よろよろと。

 やっとのことで動き出した時間。レオニダスは震える膝にムチを打って、玉座から自らの脚で降りてゆく。

 虚飾で彩られた両手を広げ、節ばった老人の指でロッシュの肩を掴む。


「アンが……アンがどうしたじゃとぉ……」


「アン・カナデイン。我が妻ユーリ・カナデインの実母だ。両者は髪の色を同じくし、不毛だった広大なカナデイン地方を人知れず黄金の穀倉地帯に変えていた」


「まさか――」


「ふたりは豊穣の女神に加護を賜っている。しかも聖女認定にもかなうほどの逸材だ。がこの目で確かめた」


 ロッシュの言葉にレオニダスは息も出来ないほどに驚いている。

 くぼんだ眼窩と驚愕のあまり閉じられない口は、まるでしゃれこうべのようだ。


 やがて王は天を仰ぎ、想像だにしなかった真実を突き付けられ腰砕けになる。

 ほうほうのていで玉座へと辿り着いた時、百は超えたかと思うほどに老け込んでいた。


「……先王、いや親父はワシにこう言った……『アンは隠した。時来たらば迎えに行け』と。しかし密命を受けアンを城外に逃がした武官が帰ってくることはなかった。それ以来、彼女は死んだものと……ロッシュ、そなたに話したはワシの願望じゃ……まさかそんな……」


「アン・カナデインは孤児院育ちで長らく出自が分からなかった。しかし拾われた時に身につけていた産着には『アン』という刺繍があったそうだ」


「そ、それは……それは……」


「やはり、なにか知っているのか?」


「知っているもなにも……」


 レオニダスは大粒の涙を流した。

 それは強兵を誇る国家の長の顔ではなく、ただひとりの妹を想う兄の顔だった。


「それはワシが縫ったものじゃもの……」


 掻き消えそうな小さな声。

 空気を震わせてひとに伝えるには、あまりにも玉座の間は広すぎた。



(つづく)

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