第8話 薄幸令嬢、加護持ちに気付く

 陽の高いうちに夫と外の空気を吸えたこと。

 ただそれだけで気分がいい。

 ユーリは振り返ると「見ます?」といたずらっぽくそう言って、ふた代わりの布を外して壺の中身を見せた。


「うっ……これは……」


「ミミズです」


 うぞぞぞぞぞ。

 壺の中で大量のおがくずにまみれて、これまた大量のミミズがうごめいていた。

 これにはさすがの英雄も後ずさり。

 かわいい新妻から距離を取る。


「なんでこんなものを」


「花壇の土壌を良くするためにダンさんに頼んだんです。最初はこの……小麦のふすまだけと思ったんですけど、念のために聞いてみたら売ってるって聞いて」


 小麦のふすまとは米で言えば糠にあたる、小麦つぶの表皮部分のこと。

 製粉の際にふるいに掛けられる部分で、栄養価が高くむかしは食べていたが、いまはもっぱら飼料や肥料に用いられる。


「お借りした本を読んだんですけど、不死鳥草もほかの植物とあまり育て方に違いはないそうで、となるとやっぱり土の問題かなと思いまして」


 ユーリは芝生のうえにミミズ壺を置くと、腰に手を当て「むん」と胸を張る。


「これに暖炉の灰と砕いた木炭きずみを混ぜて土に撒きます。あとはミミズと微生物が勝手に土壌を豊かにしてくれるという寸法です」


「そんな簡単にいくかね。土壌の改善は私も試してみたが、ダメだったぞ」


「三日坊主」


「う……」


「あはは。とにかく任せてみてください。果報は寝て待てですよ、先生」


 さらに数日後、信じられないことが起こった。

 ユーリの作った新しい土壌で、ロッシュが枯らしかけていた不死鳥草が、小さな花芽を付けたのである。


「そ、そんな馬鹿な……まだ三日と経っていないのに……」


「大自然のちからってヤツですね」


「いやいや、それにしたって……だいたい開花の時期だって、まだたっぷり半年は先――」


 自分でそこまで口にして、ロッシュはハッとなる。

 なにかが脳裏に引っ掛かるのだ。

 それをユーリのつぎの言葉がほぼ決定的にしてしまう。


「え、でも、私が庭いじりすると、いつもこんなもんですよ。種を植えたらだいたい翌日には新芽が出ますから。さすがに不死鳥草は手強かったですね」


 屈託ない笑顔。

 なにも疑問に思っていないところがシュールというか恐ろしい。


「ちょ、ちょっと来てっ」


 ロッシュはユーリの手首を掴んで、自室へと駆け込んだ。

 慌てた様子で本棚から「これじゃない、これでもない」と、貴重な書籍をガンガンと床へと落としていく。

 ユーリはそれを見て「ああまたもう」とご立腹だ。

 それでも自由に怒れるって素敵などと、常人とは違うところで感動する。


「あった!」


 ロッシュは一冊の本を開くと、とあるページを食い入るように凝視する。

 表題は『神の加護について』であった。


「はちみつ色の髪……尋常じゃないポジティブさ……へこたれない心。豪農と呼ばれ一代で成り上がった父親……なぜいままで気づかなかったんだ……」


 ユーリはロッシュの言わんとしていることの意味がいまいち理解できていない。

 おそらく自分のことを言ってるような気はするのだが。


「ユーリ。きみは豊穣の女神から加護を授かっている」


「へ?」


「しかも聖女認定を受けてもおかしくないほどの恩寵だ。おそらくきみの母君も。カナデイン家が栄えていたのは、二代に亘って女神の庇護下にあったからか……」


「女神さまの加護ってそんな……あるわけないじゃないですか。それに聖女さまって、王家の血筋じゃないとなれないって聞いてますよ?」


 興奮気味だったロッシュもユーリのその一言ですこし冷静さを取り戻す。「そうなんだ」とつぶやき、身体を投げ出すようにしてベッドに座った。

 分からないことが悔しくて「くそっ」と頭をかきむしる。


 ユーリは彼の隣に腰を降ろすと、ぴたりと肌を寄せた。

 窓から吹き込んでくる風が気持ちよく、庭で火照ったふたりの体温がほどよく溶けてゆく。


「ま、分からないものは仕方がないか……ユーリはユーリだ」


「はい。私は私。先生は先生です」


 当たり前のことを当たり前だと言える幸せ。

 白を黒だと言わされていた少女時代。継母の命令を拒絶することすら許されなかった娘時代。散らせてきた無数の花びらは、いまやっと咲く場所を見つけた。

 自分が誰であろうと構わない。

 命ある限り、このひとのそばに居てあげたいと思う。

 ただ母親に関しては確かに気になることもある。言うべきか言わざるべきか――。

 本を見つめるロッシュの真剣な眼差しにユーリは心を決めた。


「私の実母は教会の孤児院で育ったそうです。乳飲み子で捨てられたので両親の顔も知りませんし、出自をさかのぼることが出来ないのは事実です。でもまさかそんな王族ってことは……」


「孤児……なにかこう……わずかでも身元を探す手掛かりはなかったのか?」


「なまえが……」


「名前?」


「はい。教会のベンチに捨てられていた母が唯一身につけていた産着うぶぎに刺繍されていて、そこから牧師さまが『アン』と名付けられたそうで……」


「アン……」


 その名を聞いた瞬間、血液が沸騰したかのように紅潮したロッシュは、ベッドから立ち上がると慌てて着替えを始めた。


「ど、どうしたのですかっ」


「王都へ行く。確かめたいことがある。一週間ほど留守にするが、君も来るか?」


「はい?」


「いや! 一緒はマズいな。ヤツが手放さない可能性がある。来ちゃダメだ、ユーリ。きみを失うくらいなら、いっそ私は王を殺そう!」


「先生、落ち着いてっ」


 新婚わずか数日。

 夫は妻を置いて王都へと出掛けていった。

 それは尋常ならざる気迫をもって出立したので、ユーリには止める術がなかったのである。

 その間、屋敷には彼女ひとりになるが「動物たちが守ってくれる」という謎の言葉を残してロッシュは汽車に飛び乗った。


「ということがあったんですよー」


 亭主の世話をしなくていいとなると、それはそれで時間を持て余す。

 ユーリは午前中、買い物がてら表に出ると、必ず『しおかぜ』に寄りイブキ婆さんの手伝いをすることにしていた。


「アン王女の伝説か……」


「え?」


「根も葉もない陰謀論だよ。ま、アンタを見てると信じてみたくもなるけどね」


 床にモップを掛けているユーリの髪をみつめ、イブキ婆さんはため息をつく。

 今日は海老を使うらしく、大量の背ワタを取っていた。



(つづく)

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