第7話 薄幸令嬢、夫を抱く

「勇気ある告白をありがとう。私は今日のことを忘れはすまい。だからきみにも聞いて欲しい。私と……亡くなった妻のことを」


 拒絶された訳ではないらしい。

 ロッシュの真摯な態度がそれを物語っている。

 今度はユーリが聞き手にまわり、新婚夫婦の対話は続く。


「もう二十年はむかしになるか。私は当時、軍人だった。南方前線に駆り出されてね。『機械の国』が発明した機関銃に対抗すべく、日がな一日、魔法で塹壕を掘っていたよ。妻が流行り病に掛かっているとも知らずにね」


「前妻さまが……時期的にも実母ははとおなじ病のようですね」


 ロッシュは目を閉じて首肯した。

 ちょっとしんみりしたようで、再び口を開くのにしばらく時間を要す。


「妻とは幼馴染でね。もともと身体が弱かったんだが、何度もプロポーズをしてやっと首を縦に振ってもらえた。それをヤツも……レオニダスも知っていたはずなのに……」


「レオニダス……国王陛下……?」


 苦々しく王の名を呼ぶロッシュに、ユーリはすこし震える。

 ふたりのほかに誰もいないはずの屋敷を見渡し、不敬罪で投獄されやしないかといらぬ心配をしてしまう。しかしこれが普通の反応であり、ロッシュの不遜さとは対照的だ。


「当時この国は厳しい立場にあってね。したくもない戦争に巻き込まれた状態だった。レオニダスも六十を過ぎてようやく戴冠し、周辺国家に対して手柄のひとつも欲しかったんだろう。私は何も知らないまま、前線で妻の訃報を伝え聞いた」


「先生……」


 ユーリは言葉にならなかった。

 そして思い出す『しおかぜ』において、イブキ婆さんから聞いたロッシュがなくした友人の話のことを。


「どうしても許せないんだユーリ。王が、戦争が、この国が。そして私自身のことが。あの時、妻に一目会うことさえ出来れば、また違っていたかも知れない。しかし今となってはもう――」


 気が付けばユーリはロッシュを胸に抱いていた。

 ちょうど『しおかぜ』で、イブキ婆さんが彼女にそうしてくれたように。


「私がいます。先生にはもう私がいます。だからそんなに自分を責めないで……」


 はじめは『王命』として拒否権などなかった。

 つぎにこの婚姻を利用して、牢獄のような屋敷から逃げると決めた。愛情などいまさら求めていなかった。

 でも――この少年のような心を持つ魔法使いに触れて考えが変わる。

 それが純粋な「愛」なのかはまだユーリには分からない。

 ひとつ確かなことは。

 このひとを守らなければならないと感じたことだった。


「ありがとう……」


 消え去りそうな小さな声でロッシュはユーリに礼を言う。

 うまい料理を作ったことに対して?

 屋敷を掃除したことに対して?

 それとも抱きしめたことに対して?

 いいや、そのどれとも違う。きっともっと奥深く彼に根差した「なにか」への許しを彼女が与えたからに他ならない。

 こうしてふたりの結婚初日は終わってゆく。もちろん寝床は別々だった――。


 ユーリがこの町に降り立ってからはや数日が経った。

 その頃には顔見知りも多くなり、主婦連合ネットワークに流された「魔法使いの情婦オンナ」という誤謬もきちんと修正されている。

  裏ではイブキ婆さんの尽力があったとかなかったとか。


 新婚生活というほどのフレッシュさもないふたりだったが、ユーリはロッシュの生活サイクルに早くも適応している。


 ユーリは朝五時に起きると、軽いストレッチのあとハチミツをたっぷり入れたホットミルクを飲む。実家にいた頃には考えられない贅沢に一日の活力がみなぎった。


 彼女の朝はトイレ掃除と庭の水撒きから始まる。

 生活水は地下から汲んでいるが、ロッシュの魔法でまるで水道局から買っているような便利さがあった。ちなみに屋敷にはガスも電気も通っていない。


 朝六時。

 ロッシュが起床してリビングに降りてくる。洗面を済ませると、朝刊を読みながらモーニングコーヒーに浸るのが日課だ。

 ユーリはその間に朝食を作る。基本的に軽食でトーストとフルーツのみだったが「たんぱく質も摂ってください」という彼女の要望が通り、ゆでたまごかオムレツが付くようになった。

 昨日、市場で豚の腸詰ソーセージも買ったのでそれもアリかもしれない。


 ロッシュは一旦仕事を始めると、トイレ以外は部屋から出てこない。

 午前中に一回、昼食を挟んで午後に二回ほどお茶の差し入れをするくらいで、あまりふたりの時間というものがなかった。

 夕食はふたりで食べる。その時のおしゃべりが、ユーリにはとても有意義に感じていた。


 お互いにひとりの時間を邪魔されないというのは、ぞんがい気持ちのいいものだ。

 それでいて意思疎通が出来ているのだから、これ以上なにが必要だというのだろう――。


 晴れた日の午前中、洗濯物を庭に干す。

 視界に入った自分の手を見て、ふと考えがよぎった。

 そういえば指輪をいただいてないな――。


 欲しいか欲しくないかでいえば前者だ。

 情愛云々を抜きにしても、既婚者であることの証明が必要である。ましてや自分は散々っぱら貴族や商家の大旦那に抱かれている。

 その中のひとりでも勘違いして舞い上がってないとは言い切れない。

 大きなトラブルへと発展する前に、はっきりと断れる物的証拠が欲しかった。


「すいませーん。ユーリさん、いらっしゃいますかー」


「あ、はーい」


 門の外で彼女を呼ぶ声がする。

 作業服を着た屈強な男性であった。彼は手に布でふたをしたスイカ大の壺を持っており、足元にもパンパンに詰まった麻袋がひとつ置いてあった。


「わっすごい! ダンさん歩いて運んできてくれたんですか?」


「わっはっは。こんなもの朝めし前ですわ!」


 彼の名はダン。

 穀物や果物の仲卸をやっているこの町の青年である。


「ほい。ご注文の品。しかしユーリさんも変わってますね、さすがは先生の奥さんだ」


 ダンは持っていた壺をユーリへと手渡し、足元の麻袋を「よいしょ」と担ぎ上げる。


「どこに持ってきましょう?」


「じゃあ花壇の横にお願いします」


 合点承知っと威勢よく。ダンは麻袋を手早く庭の中へ運び入れ、長居することなく帰って行った。それを呼び止めたユーリは「お母さまとどうぞ」と言って手製のクッキーを持たせると、ダンははまるで少年のように喜んだ。

 そして彼が庭から出ていったすぐのこと。


「……なんだい、その壺は」


 ダンの声が元気過ぎたのか、仕事中のロッシュが珍しく庭に出てきた。


(つづく)

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