第6話 薄幸令嬢、告白する
その日のディナーは美味しそうな牛肉が売っていたので、シンプルにステーキにした。
ロッシュ・スカヤ邸の台所には至るところに魔法のちからが備わっている。台所には冷蔵庫、そしてオーブンもまた魔法で火力調整が最適化されている。
外側はパリッとよく焼けて、中はじゅわっと肉汁の溢れるほどジューシーに。
焼き加減に道具のちからを借りた分、ソースや付け合わせには手を掛ける。
海老のカクテルにフレッシュチーズとトマトのサラダ、玉ねぎとサーモンのマリネなどなど。海藻の酢の物も初めて作ったが意外と美味しかった。
男やもめの家庭に「副菜」などという概念はなかったろうから、驚かせたかったのもある。正直、作り過ぎた。明日からは調整しよう――。
そう。明日もあるって考えたら、たまらなく嬉しくなった。
これまで作っても自分では食べられなかった料理の数々。
パンひとつ取っても、白くて柔らかい。少女時代は空腹に耐えかね、カビたままの黒パンに手を出して腹を下したものだが、その甲斐あって解毒調理なるものまで覚えたものだ。
ロッシュはテーブルに並べられた料理に目を丸くしている。
その反応はユーリが期待していたそのものであり、心の中で「よっしゃー」とガッツポーズをしていた。
配膳が済むと、ユーリは「父の秘蔵ワインです」と、実家からくすねてきたボトルを開けて夫に酌をした。
「そんな大事なものを開けてしまって良かったのかい」
「大事なものだから、先生と飲みたいのです」
「……そうか。ではありがたく頂戴しよう。父君の分まで味わうことにする」
「そうしてくださると父も喜びます」
ふたりはユーリの亡き両親と、そしてかつてロッシュが愛した前妻の冥福を祈り乾杯をした。
新婚夫婦のセレモニーとしてはあまりにもささやかなディナー。
誰にも祝われることなく、ふたりの時間が刻まれてゆく。
「うまい。すばらしい」
「お上手ですね」
「お世辞じゃないよ。それに料理だけの話じゃない。たった半日で屋敷が見違えるようにキレイになった。魔法でも使ったのかい?」
「それを先生が言います?」
ささやかならば、ささやかなりの幸せがある。
ユーリは『しおかぜ』で食べた昼食もそうだが、食事がこんなにも楽しいと感じたのは何年ぶりだろうかと思った。
いつもなら使用人たちと狭い食堂に押し込められて、肩をぶつけながら急いでまかないを胃に詰め込むといった具合だ。
それでもまだいい方で、いやがらせのひどかった時には飯なしは当たり前、腐った食材を食べらせられることも。
だがそれはすべて過去になった。
ユーリはステーキと幸せを交互に噛み締める。
「はぁ……いい食事だった。こんなに腹いっぱい食べたのはいつぶりだろう」
「あら。無理させてしまいました?」
「いやいや。美味しくて手が止まらなかったんだよ。このままだと太ってしまうな。運動でもはじめようか」
「ふふふ、ご一緒します」
ユーリは手早くテーブルを片付けると、食後のコーヒーを淹れた。ロッシュの数少ない道楽らしく、自家製ローストした豆を挽く。
銅製のドリップポットから湯の落ちる音が、ぽたぽたとリズミカルで耳にも楽しい。
「……先生、お伝えしておかねばならないことがあります」
昼の暑さが嘘みたいに部屋中が涼しくなっている。
これもロッシュの魔法のおかげなのだろうかとユーリは思った。
すこし寒いくらいの部屋の空気に肌が逆立つ。
これはいまからする告白に緊張しているからだろうか。
両手に触れるコーヒーカップの温かさが、自分を応援しているようにも感じる。
「私の……男性経験についてです」
さすがに虚を突かれたのか、動揺を隠せないロッシュ。
しかしそこはそれ八十年にも亘る人生経験が、すぐに正気を取り戻させたようで。
「無理して言わなくてもいいけど」
「いえ。お耳に入れておかねば、あとあと必ずわだかまりが生まれると思いますので……」
「……そうか。では聞こう」
「お許しいただき感謝いたします」
ユーリは一度言葉を切って「ふぅ」と大きく息を吐いた。
相当緊張していたのか、コーヒーカップからなかなか手が離れない。
「私が初めてを散らしたのは十四歳の時でした。相手は我が家の使用人で、実母亡きあと兄のように世話を焼いてくれた方です。ですが無理やりというか、ほぼ乱暴に近いような形で――」
ユーリは感情を入れず、淡々と語ってゆく。
ロッシュもまた表情ひとつ変えずにそれを受け入れていった。
「私は
ちらとロッシュの様子を確かめる。
愁いを帯びた青い瞳が、ジッとこちらを見返していた。
「父はこのことを知りません。知っていてもどうにかなるとは思いませんでした。あとで聞いたことですが、使用人の彼も継母に大金を積まれて私を襲ったそうです。彼はその後すぐに病気の妹が待つ故郷へと帰りました」
「……つまり最初から」
「はい。継母の企みだったようです。そんな生活は私が二十四歳の頃まで続きました。ここ数年は
「年増とはっ! ……失礼。年増とはあんまりじゃないか。あなたはもっと自分に自信を持ってもいい。その……なんというか……」
自分以上に自分のことで腹を立てている夫の様子に、少し救われた気がした。
だからこそあえて問う。
「なので、もしも私とお子を成すつもりなら一度お考えください。私はそういう女です」
先ほどまでの楽しかったディナーは突然、通夜のような雰囲気になった。
しかし今日伝えねば、きっと言いそびれてしまう。
言いそびれてしまえば、なにか起こった時に誤解も解けなくなってしまう。
離縁されるのならば早いうちがいい。
自分にとっても、夫にとっても。
一通り彼女が話し終えたあと、ロッシュは静かに口を開いた。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます