第5話 薄幸令嬢、メイド服を着る
帰宅してすぐにユーリは屋敷の中を案内された。
お茶でも淹れようかと思っていたのだが、完全にそのタイミングを逸する。
まずは台所。これから彼女の主戦場となる大切な場所である。
やはりというか『しおかぜ』にもあった魔法式冷蔵庫が設置されていた。扉を開けると三段になっており、一番上に氷塊を収納するスペースがある。
ユーリは商店街で買い物をしていた品をさっそくしまい込んでご満悦だ。
トイレや風呂場などの水回り、そして倉庫。
全体的に雑然としておりメンテナンスが行き届いていない。さすがは男やもめを何年も続けてきただけのことはある。
そして二階へと上がり、ロッシュの研究室兼自室を案内され「ここには許可なく立ち入らないように」と言い含められた。
これはシンプルに危険な薬品やら魔法の道具やらがたくさん置いてあるからだ。
最後にユーリの自室として使って欲しいと、一室をあてがわれる。
ベッドと机、そして
感動のあまりまたぞろ泣いてしまいそうだった。
「では、よろしく頼む」
「あ、先生お待ちくださいっ」
「ん? なにかな」
ユーリはロッシュの簡単な好みや、体質的にどうしても食べられないものなどを聞いた。そしてやって欲しくないこと、されると気分の良くないことなども併せて質問する。
これは共同生活する上で大事なことである。
どうせ嫌がられるのならば、最初に聞いておくことが肝要だ。
「――分かりました。肝に銘じます」
ユーリがメモに走り書きをする。
王都の役人からそんざいな地図をもらったが、自分もたいがいひとのことは言えない。
そんなこんなで。
「今晩はお肉料理ですよ」
期待してください――。
ユーリの献立宣言にロッシュは無言で首肯すると、彼女を置いてそそくさと自室へ引きこもってしまった。
「さてっと」
自室に入ったユーリはおもむろにお仕着せへと着替えた。実家で下女たちに支給されていたものを繕いながら着続けている。
制服というよりはもはやこれこそが彼女の私服である。
エプロンと髪留めを装着すれば、戦闘準備完了だ。
必要なものを取り出したトランクはベッドの下へと片付けた。
あとは鏡台などが自室にあると便利だなと思いつつ、近い未来に小さなドレッサーが置かれる日を想像してにんまりする。
まずは倉庫で見かけた掃除道具一式を持ち出し、台所とリビングの掃除を徹底した。
パッと見には片付いているが、細々としたところが行き届いていないのだ。とくにユーリは床の雑巾がけが得意である。
くるぶしまであるスカートのすそをたくし上げ、部屋の隅から隅まで拭いてゆく。
時間などいくらあっても足りない。
しかし今日はまだ初日である。これから毎日、屋敷内が清められていくことを考えただけでも心が躍った。こつこつ仕事するのが好きなのである。
掃除が一区切りすると、庭へ出てバケツの汚水を捨てる。
よく見れば花壇があって、なにやら見たこともない葉の形をした植物が繁茂していた。
ハーブかしら――。
種類はよく分からないが、あまり元気じゃないのは分かる。
土をこねてみると、かさかさと乾燥しており、舐めるとちょっと塩味も感じた。水はけが良すぎるのも考えものである。このまま放っておけば、遅かれ早かれ枯れるだろう。
「あとで先生に聞いてみよう」
そもそも壁を覆うほどにツタ類が多すぎて、屋敷の雰囲気も悪いのよね――。
土壌の改良と庭の整備。
農家の娘の血が騒ぐというもの。
台所を片していると、ホコリをかぶったティーセットが見つかる。
これ幸いと買い出しておいた紅茶を淹れて、ロッシュの自室へと運んでいった。
「先生、お茶が入りました。ご休憩されてはいかがですか」
コンコン、と扉をノックする。
ティーセットの載ったトレイを片手で持つ大会があるのなら、ユーリはけっこういいところまで行く自信がある。継母寄りのメイド長には「はしたない」と叱られていたが。
一瞬の間があって、内鍵が外れる音がした。
入っていいのね――と思い、そのまま扉を押し開く。
「わぁ……」
まず数種類のハーブの匂いがした。
目には壁中を覆い尽くす大量の書籍が飛び込んでくる。ちょっぴりカビくさい。
机の上には、ビーカーや試験管、羽ペンに書きかけの
ベッドがくしゃくしゃになっておりロッシュの目元も腫れぼったいので、ユーリはお昼寝でもしてたのかなと思った。
「すみません。お昼寝してました?」
「あ、いや……少し研究の構想を練っていた……」
「まぁ」
ユーリが純粋に尊敬した眼差しを送ると、ロッシュは照れたように鼻の頭をかいた。
目ざとく部屋の隅に一本足のサイドテーブルを見つけると「使ってよろしい?」と主人に一声かける。
気を利かしたロッシュがガタガタとテーブルを移動させてくれるが、積読した魔導書が崩れてホコリを舞わせた。
クスリと小さく微笑むユーリ。
彼女の新米亭主は「参ったな」と苦笑する。
「お許しをいただければ、お掃除しますよ。お砂糖とミルクは?」
「砂糖はひとつ……ありがとう。うん。いい香りだ……」
満足そうにカップを口につけるロッシュの表情は、とても八十代とは思えない。魔法により歳を取らないということは、いずれ自分も彼を置いてこの世を去ってしまう。
それまでにたくさんお世話をしてあげたい。
ユーリは幼い頃に死別した実母のことを思い出していた。
「そういえばお庭の花壇のことなんですけど」
「ああ……あれは不死鳥草といって、魔法の効果を高めるポーションの材料なんだが年々手に入りにくくなってきていてね。家庭菜園でなんとか出来ないかと試してみたんだが、三日坊主で終わってしまって」
「あらそれはかわいそう。代わりに私がお世話をさせていただいても?」
「それは構わないが、服が汚れて……って、そのメイド服みたいなのはどうした」
ようやく彼女の変化に気づいたロッシュ。
ユーリはスカートの端をつまんで、チャーミングな仕草でおどけてみせる。夫の反応はイマイチだったようだが、なぜか顔が真っ赤になった。暑いのだろうか。
「実家から持ってきました。これが一番動きやすいんです。ダメでしたか?」
上目遣いに様子を伺うと、ロッシュは「ごほん」と咳ばらいをひとつして。
「き、きみが好きなようにするといい。あとその……に、似合っているよ……」
後半ボソボソとして聞き取り難かったが、意図は伝わった。
身分のある主人の配偶者が、使用人の装いで家事をするというのはあまり好まれることではないのだろう。だからこそ彼も一瞬、鼻白んだ様子だったのだ。
また気を遣わせてしまったかもしれない――。
ユーリは少し反省する。
「き――ユーリは文字は読めるかい?」
ロッシュが名前を言い直してくれた。向こうは向こうできっと歩み寄ろうと努力なさっているのだと、そんな些細なことの積み重ねにユーリはひどく感動する。
「はい。学校へは行かせてもらえませんでしたけど、読み書きと簡単な算術なら屋敷に出入りしていた商人さんたちに教えていただきました」
「それはいい経験をしたね。ではこの本を……」
ロッシュは本棚から一冊の本を取り出してユーリに渡した。
魔法薬学の専門書だった。
真ん中あたりにしおりが挟み込まれており、開くと花壇で見た変わった形の葉をしたハーブのことが図解入りで解説されている。
「不死鳥草の育て方が書いてある。専門書だから、分からない単語もあるだろう。いつでも聞きにおいで」
ユーリは預かった本を胸に抱くと、落っこちそうなくらい目を見開いて「ありがとうございます!」と快哉を叫ぶ。
「あ、お仕事の邪魔をしてすみませんっ。またお食事時にお呼びしますっ」
お布団も干しておきましょうかの問いに、ロッシュはすぐ使うからまた今度でいいと答えた。
バタンと扉がしまり、ユーリの足音が階下へと消えてゆく。
それを見計らい、ひとりになったロッシュはベッドの上で頭に布団をぐるぐる巻きにして半ば絶叫するように声をあげた。
「わあああああああああああああ! 可愛いいいいいいいいいい!」
ジタバタ。
まだまだ新婚初日。
心が通じ合うまでに若干の時間を必要とした。そしてユーリは彼のこの感じをまだ知らない。
(つづく)
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