第2話 薄幸令嬢、喝采をあびる
駅から出たユーリは、役人に手渡されたぞんざいなメモを頼りに町を散策する。
すぐに広い市場へと辿り着き、活気の良さを感じた。
南風に乗って香る潮の匂いが農地生まれの感覚を刺激する。もっと生臭いかと思っていたが、ぞんがい嫌いじゃなかった。
市場には新鮮な魚介が並んでいる。
さすが港町といった風情だ。近代化が進んだとはいえ、まだまだ内陸では海の幸を食べる機会は珍しかった。せいぜい干物くらいである。
「これは……早く食べてみたいっ。ちょうどお昼だし『しおかぜ』さんを探さねば」
慌てて嫁ぎ先に押し掛けて昼食までご馳走になっては初日から厚かましいのではないか――そう考えたユーリは取り合えずお腹は満たしていくことにした。
「腹が減っては戦は出来ぬ!」
むん、と力強く拳を握りしめるが、戦相手は自分の旦那である。
いくつかの露店をユーリが冷やかしていると、夏野菜の小売をやっている若者が客と口論をしている現場に出くわす。
若者は人力の荷車にたくさんの野菜を乗せ、よその町から売りに来ている行商人らしかった。
「やい、このひょうろくだま! こないだお前ンとこで買った玉ねぎが半分がた腐ってたぞ! どう落とし前つけてくれるんだい!」
文句を言っているのは背の低い老婆だった。
ずいぶんと威勢がいい。
若者は顔を青くして、とにかく穏便に済ませようとするが。
「勘弁してくれよ、イブキ婆さん。この暑さだ、玉ねぎなんかすぐ痛んじまう。それにいくら何でも半分は盛り過ぎだろう?」
「ふん! あたしが半分ったら半分なんだよ!」
ギャーギャー。
やれ値下げしろだの、おまけに違う野菜を付けろだの。どこまで本気なのか分からないが要求に際限が無くなってくる。
いよいよ若者が気の毒になってきたユーリは、よせばいいのについ世話を焼いてしまう。
「あのぉ。玉ねぎ、私がお選びしましょうか?」
老婆と若者が口論をやめ、そろってユーリに視線を注ぐ。
「誰だいアンタ」
「通りすがりの農家の娘です。玉ねぎはこうやって、頭の部分をつまんでですね……」
荷台から玉ねぎをひとつヒョイと掴むと、ユーリはヘタの部分に少し力を入れてつまむ。
身が詰まっているらしく、きゅっきゅとやっても凹む様子はない。
「しっかりとした固さがあれば、まず傷んでないと思います。逆にべこべこしているようなら、芯の方は完全に腐ってますね。はい、どうぞ奥さま」
玉ねぎを手渡された老婆は目をぱちくりとさせている。
行き場を失った怒りに戸惑いつつ、ユーリがやってみせたようにヘタの部分をつまんだ。
「あとおいくつ、ご入用ですか?」
「えっ……あ、そ、そうだね、五つばかりもらおうか……」
「はい!」
ユーリの笑顔につられたのか、不思議と老婆の表情も穏やかになっていった。
胸を撫でおろしたのは行商をやっている若者である。「ふぅ~」と首筋の汗を手で拭いながら、彼女が選別した玉ねぎを紙袋へと移していく。
「それからお兄さん、玉ねぎは荷台に竿か何かで吊るせるようにして、風通しをよくして運んでください。お日様にも当たるから、甘味が増します」
「そ、そうなんですか。自分、港町に地元の野菜を持ってくれば売れるだろうってだけで、ろくすっぽ農家の話も聞いてなくて……」
「それは『めっ』ですね。もっと生産者さんの声を聞いてください。一生懸命作ってるんですから、おいしい状態のまま、お客さんにお届けしてください」
ユーリが両手の人差し指でバツを作って叱って見せる。
もちろん本気で腹を立てている訳ではない。
それが分かっているからか、若者の鼻の下も伸びるというもの。デレデレである。
「めんぼくないです」
「それから、このナスとオクラなんですけど――」
ユーリによる夏野菜のレクチャーはしばらく続いた。
気が付けば荷車の周囲には、彼女の教えを聞いてうなずいている主婦と業者の人だかりが出来ている。
最後には謎のスタンディングオベーションが沸き起こり、ユーリは照れながらその場をあとにするのだった。
「ちょいと待ちな」
ふと呼び止められ振り向くと、そこにはさっきの老婆がいた。
竹で編まれたカゴを背負い、ジッと彼女を見つめてくる。
「えとぉ……差し出がましいことをしてしまい大変申し訳あり」
「まったくだよ、アンタのおかげで若造に文句を言いそびれた」
けっこう仰ってたと思うんですけど――とは決して口に出せない。苦笑いすら失礼になるかもしれない。どうしたものか、ユーリが考えあぐねていると。
「アンタ、昼メシは?」
「まだですけど、あの、行きたいお店がありまして。駅長さんのおすすめで」
「あん? 鼻っ垂れ小僧のターナーが?」
あの初老をして小僧扱いする老婆の正体やいかに、と思っていたが答えは割とすぐに明かされることになる。
老婆は年齢を感じさせぬ健脚でスタスタと歩き始めると「ついてきな」とユーリを一瞥した。
「あ、ちょ、ちょっと奥さま?」
「あのジジイ、どうせ口うるさいババアがどうのとか言ってたんだろ」
「へ?」
「あたしが『しおかぜ』のイブキ
南に昇ったギラついた太陽を反射して、老婆の金歯がキラリと光る。
まぶしっ。
ユーリは思わず瞳を閉じた。
それでもまぶたの裏にはしっかりと、イブキ婆さんのドヤ顔が浮かんでいる。
「これはなんとした……」
駅から出たロッシュはその足で駅前の大通りへとやってきた。
よその土地からも行商人が行き交う、つねに活気のいい場所であることは知っていたが、今日はいつにも増して繁盛している。
ばかりか商売そっちのけで、あちらこちらで討論が始まっていた。
「あ、先生! ちょっと聞いてくださいや! オクラってのは、暑さに弱い食べ物で行商にゃあ向かないんですってね。あんなにネバネバなのに!」
それはイブキ婆さんとモメていた行商の若者だった。
わずか数分のユーリによる野菜講座で熱心な生徒になってしまった彼は、おなじ行商人仲間たちに今得た知識を開陳している。
興奮のあまり、普段は畏れ多くて話し掛けられないロッシュに対してもこの様子である。
「ああ、そうだな。しかし私のローブのようにこうして魔法で低温を維持すれば――」
「あ、おい聞いてくれよ、ナスってのはさあ!」
新しく覚えたことは、とにかく誰かにしゃべりたい。
若者はオクラの情報をロッシュにひけらかすと、すぐにつぎの獲物を見つけてハイエナのように襲い掛かる。
ほかの店舗でも似たりよったりの状況だった。
市場の活性化は喜ばしいことだが、いつまでもひとの往来を愛でているわけにもいかない。
ロッシュは近くにいた買い物帰りの主婦を捕まえて、はちみつ色の髪をした女の行方を追うことにした。
聞けば、さっきの若者と口論をしていたイブキ婆さんをなだめたらしい。
この町においてはヒグマを素手で倒すくらいの快挙であるが、それを初対面の妙齢な女性がやってのけたことに驚愕を覚える。
主婦らも同じ意見だったようでその後の動向を見守ったところ、どうやらその場でイブキ婆さんに気に入られた女性は『しおかぜ』に招かれたという。
「あの
「ロッシュ先生、あの女性になんかご用?」
「いや、ちょっと迎えにいくことになっていたものでね。どうにも私の遅刻で行き違ったらしい。情報提供に感謝する。それでは」
颯爽とその場をあとにするロッシュであったが、彼は主婦たちのネットワークの凄まじさを甘く見ていた。
数秒後には市場の隅々まで、そして十分後にはすでに町中の住宅地にまで「魔法使いロッシュが、はちみつ色の髪をした
(つづく)
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