薄幸令嬢、魔法使いの後添えとなる
真野てん
第1話 薄幸令嬢、大地に立つ
カンカン帽にトランクひとつ。
彼女は駅に降り立った。母親ゆずりの、はちみつ色の髪を三つ編みにして。
ユーリ・カナデインは地方領主の娘だった。
豪農として知られ一代で成り上がった父と、優しい母親との三人家族。領民はみな働き者ばかり。地平線の彼方まで続く黄金の稲穂は、輝ける未来の象徴だった。
何不自由ない幸せな日々。
そんな穏やかな生活が一変したのは、彼女が十才の時だ。
流行り病で亡くなった母の後添えとして、父は貴族の娘を迎え入れる。地方領主としての権勢を盤石にするための政略結婚であった。
そうした事情もあってか、八つと歳の違わない継母はユーリに厳しくあたる。
また気に入らない使用人は悉く解雇され、人手不足を補う形でユーリも下女のような仕事をせねばならなくなった。
これも「
元来、雑事やちまちまとした仕事が苦にならないユーリはそれでも良かったが、十二も歳の離れた義妹が出来るといよいよ立場を失う。
もちろん、生まれた時から使用人のような扱いを受ける義姉に対して尊敬の念など抱くはずもなく姉妹仲は最悪であった。
折りも悪く父親は病に倒れ、介護はすべてユーリに丸投げされた。そして彼が亡くなったのがこの春先のこと。
ユーリは二十八歳になっていた――。
「あっつぃ……流石は夏の港町、やっぱり日傘も持ってくるべきだった……」
手にしたトランクを見つめながら、慌てて荷造りをさせられたことを思い出す。
ほぼほぼ追放といって間違いはなかった。
こと最後に及んでまで、継母と義妹は勤続年数だけは一丁前のお局メイドをクビにしたくらいの感慨しか持たなかった模様。
生前、父の会計係をしていた男からわずかばかりの金を持たされ、生家である屋敷を追い出されたのである。
理由は少しだけ複雑だが、簡単に言えば彼女が結婚したからだ。
生まれ育った故郷を離れて、ひとり見知らぬ土地の嫁ぎ先へとやってきた。
それでもユーリは晴れやかな気分であった。
もはや他人しかいないあの屋敷から離れることが出来たのだから。まだ
これからは自分と、自分の夫となるひとのためだけに生きよう――そう決心したのだが。
駅の構内にある時計を確認して小首を傾げる。
「お忙しい方だというのは伺ってるけど……」
どの汽車に乗るかは人づてではあるが、事前に日時を伝えておいた。
もしかしたら迎えに来てくれるかもしれないなどと、淡い期待を寄せるのはあまりにも図々しかっただろうか。
「ま、行くか」
トボトボと歩き出すと初老の駅員と目が合う。
髪の色が珍しかったのか「お嬢さん、この町は初めてかい?」と呼び止められた。
もうお嬢さんって歳でもないんだけどなと思いながら。
「そうなんですよ。魚介を使った美味しいお料理が食べられるって聞いて」
素直に「嫁入りしに来ました」と伝えても良かったが、亭主の許しを得ずに勝手なことを吹聴するのもよろしくなかろうとお茶を濁しておいた。
すると初老の駅員は顔をくしゃりとさせてさも嬉しそうに「おおよ!」と答える。
「金目鯛のアクアパッツァがおすすめだ。『しおかぜ』って店に行ってみな。口の悪いババアはいるが味は絶品だ。駅長のターナーに聞いたと言えば話は通るぜ」
ヤニで黄色くなった歯をむき出しにして「にひひ」と笑う。
その笑顔がどうにもかつての領民たちを思い出させて、グッと下唇を噛み締める。
「『しおかぜ』さんですね。行ってみます。ありがとう、駅長さん」
お互いに手を振りつつ、ユーリは駅を離れていった。
照りつける太陽に白く輝く石畳の街並み。ユーリは新生活の第一歩を踏みしめる。
「いい
蒼天に拳を掲げて元気よく。
そんな彼女の陽気につられ、道行く人々も笑顔になった。
ユーリが駅を出てから数十分後。
かれこれ四五本は汽車の出入りがあった頃だ。
季節感のまるでない厚手のローブを羽織ったひとりの青年が駅へと姿を現した。
「はて。王都の役人からは今日の昼だと聞いていたのだが」
白い肌に白い髪。
夏の暑さにいまにも倒れてしまいそうな彼が小首を傾げていると、つい数十分前に似たような光景を目の当たりにしていた駅長のターナーが声を掛ける。
「ロッシュ先生。駅にお越しとは珍しいですね。出張ですかい?」
「いやなに。ひとを迎えに来たのだが、どうやら日にちを間違えてしまったようでね」
「先生自らお出迎えとはそりゃ贅沢な話だ。一体どこの何様かね」
「何様ってことでもないんだが……」
ロッシュと呼ばれた青年は懐から一枚のメモを取り出し「えーと」と言って目を走らせた。
「歳の頃なら三十路手前、綺麗なはちみつ色の髪をしたそこそこ器量のいい
原文をそのまま読んでいるので、本人に悪意はなくとも随分な言いようである。
しかしなまじっかロッシュの先入観が介在しなかったのが幸いしたのか、ターナーはすぐにピンと来た。「ああ、その
戸籍の上ではすでに夫婦となったふたりだが、まだお互いにその姿を知らない。
彼らが出会うには、もう少し時間が掛かりそうである。
(つづく)
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